若い頃にイケメンな人物は多いです。そんな若い頃にイケメンだったことで有名なのが歌手の美輪明宏なんです。昔の美輪明宏は絶世の美男子として有名だったんです。美輪明宏の生い立ちや、年齢ごとの経歴など、昔の美輪明宏のイケメンっぷりに一緒に驚いてみませんか?

美輪明宏は昔イケメンだった?若い頃の画像は?生い立ちや年齢も調査!

目次

  1. 美輪明宏の若い頃がイケメンすぎる!?
  2. 若い頃の美輪明宏はどんな人物だったのか
  3. これがイケメンと言われた昔の美輪明宏
  4. 昔の美輪明宏は貧乏に苦しんだ
  5. 若い頃の美輪明宏は美少年として歌手デビュー
  6. 美輪明宏は若い頃に同性愛者であることを告白
  7. 美輪明宏の起死回生のリサイタル
  8. 昔の美輪明宏は俳優としての活動も盛んだった
  9. 昔からの生活が美輪明宏の体調を狂わせた
  10. 『オーラの泉』で昔とは違った若い層への支持を広げた
  11. 美輪明宏は若い頃から白髪だった
  12. 若い頃から人生相談のプロだった
  13. 美輪明宏は昔から独身を貫いている
  14. 今も昔も変わらぬ著名人の支持
  15. 昔も若い頃も美輪明宏の魅力は変わらない

美輪明宏の若い頃がイケメンすぎる!?

歌手の美輪明宏という名前を聞いて、みなさんはどのようなイメージを持つでしょうか。歌手としてのイメージよりも、テレビ番組の『オーラの泉』でのスピリチュアルな活動の方をイメージするかもしれませんね。

確かに現在の美輪明宏は、そういったスピリチュアルな面が強調されていますが、若い頃は歌手や俳優としての非常に人気のあった人物なんです。若い頃の美輪明宏の容貌を見るとイケメンすぎて驚きますよ。

若い頃の美輪明宏はどんな人物だったのか

美輪明宏は1935年5月15日生まれの82歳です。長崎県長崎市で生まれた美輪明宏の本名は、丸山明宏と言います。幼名は臣吾という名前だったようです。美輪明宏は若い頃から芸能界をしており、1971年ごろまで、丸山明宏の名前で活動していたようです。

昔や若い頃の容姿に驚く現代のファン

美輪明宏の生い立ちは5人兄弟の次男として長崎市で生まれました。美輪明宏の実家は長崎市内の『丸山遊郭』と呼ばれる、遊女や芸者が集まる遊郭の街でした。そして、実家はそこで『世界』という名前のカフェを経営していたようです。

これがイケメンと言われた昔の美輪明宏

美輪明宏の生い立ちには、そういった特殊な街並みの中での生活は重要なキーポイントだったかもしれません。美輪明宏がまだ幼い年齢のころに、第二次世界大戦が始まったことから、敵国の文化であるカフェの営業の継続は難しいと考えて、カフェは閉店したようです。

そんな生い立ちの美輪明宏の若い頃の姿がこちら!日本人とは思えないほど、キリッとして中性的なフェロモンのある姿ですよね。いまの独特な雰囲気は、すでに若い頃から持っていたのです。しかし、美輪明宏がここまでくるのには、辛い生い立ちがの経験があるのです。

若い頃の姿にただただ驚くばかり

美輪明宏の生い立ちには、戦争が大きく関わっています。第二次世界大戦が始まり、長崎に原爆が落とされたとき、美輪明宏も爆心地から約4キロの地点に居たそうです。このとき10歳だった美輪明宏は、原爆投下から6日経った終戦の日に、祖父母を1で探しにいって、その惨状を目の当たりにするのです。

昔からその歌声の評価は高かった

そもそも、美輪明宏自身も爆心地から4キロ離れていたとはいえ、あの爆発の光を見ており、近隣の建物も爆風で飛ばされていた状態だったのです。原爆の影響により、カフェから金融業に転職していた父は、貸し付けたお金がまったく返ってこず、困窮に陥ります。

昔の美輪明宏は貧乏に苦しんだ

このころの年齢の美輪明宏は、父の後妻が他界、その後の妻も失踪しており、幼い異母兄弟たちと貧しい生活を送る日々が続いていました。そんな最中、美輪明宏は加賀美一郎という人物が出演していた映画を鑑賞します。その中で、加賀のボーイソプラノに衝撃を受けて、美輪明宏も声楽とピアノのレッスンを受けるようになります。

オペラ歌手、コンサート歌手になることを夢見て、1951年に上京することになります。15歳という年齢で上京した美輪明宏は、国立音楽高等学校に進学するため、進駐軍のキャンプ周りをしてジャズを歌ったそうです。

美輪明宏はこの頃からの活動を、自分にとっての歌手としての活動と位置づけていそうです。そのため、芸歴は60年以上になるというわけです。まともに住むところもなかったため、この年齢で新宿駅に寝泊まりして生活していたそうです。美輪明宏にはこういった生い立ちと下積みの時代があったんです。

若い頃の美輪明宏は美少年として歌手デビュー

17歳という年齢になった美輪明宏は、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙を見て、銀巴里と専属契約を交わして、歌手デビューを果たします。このころの美輪明宏は、国籍や年齢、そして性別も不詳にして活動するなど、昔から謎の多い人物として活動していたようです。

その不思議な魅力に取りつかれた文化人も多く、三島由紀夫や野坂昭如、大江健三郎や遠藤周作に寺山修司に支持されるようになります。

若い頃に発表した作品とは思えない

1954年に発表されたフランスのシャンソン曲である『メケメケ』を日本語でカバーし、その名前は一躍有名になりました。昔からユニセックスなファッションを好み、特に当時の中ではその独特のファッションは、戦後の日本にとって刺激が強かったようです。

昔から若い世代から文化人まで幅広い支持があった

戦後の暗い雰囲気の中に、突然現れた妖艶な美輪明宏の雰囲気は、多くの人間を驚かせたに違いありません。若い頃から美輪明宏は根強いファンが存在したようです。

三島由紀夫を中心とした文化人は美輪明宏を絶賛し、その論調に影響を受けたマスコミが美輪明宏を『神武以来の美少年』と賞賛する事態になりました。しかし、新しい文化が次から次へと生まれる時代だったため、美輪明宏のメケメケによるブームは1年ほどですぐに収まってしまったようです。

美輪明宏は若い頃に同性愛者であることを告白

歌手として活動する中で、美輪明宏は雑誌において自分が同性愛者であることを告白します。そして、シャンソンのイメージとは違った、独自の解釈による歌唱法が世間にはまだ受け入れられず、人気は薄れていくのです。

しかし、美輪明宏はそれでも歌手としての活動を諦めず、自身で作詞作曲を続けながら、活動を継続していました。この頃の、美輪明宏は多くのパトロンに生活を支援してもらいながら生活していたようです。そんな中で、美輪明宏は原爆症による吐血に悩まされることになるのです。

昔はこういったパトロンと呼ばれるいわば個人的なスポンサーに支援されながら、歌手の活動を続ける人が多かったのです。そして、自身が抱える病気が原爆によるものであることを自覚していない人も多かったようです。

美輪明宏の起死回生のリサイタル

歌手としての活動がうまくいかない中で、ジャズピアニストであり、作曲家だった中村八大が、美輪明宏のリサイタルを支援することになるのです。この中村八大は坂本九の『上を向いて歩こう』や『明日があるさ』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』などを作曲した人物なんです。

このリサイタルは日本では初めてとなる、全作品を自らの作品によって行われたものでした。そして、このリサイタルの翌年、1964年に美輪明宏の代表曲である『ヨイトマケの唄』を発表します。この曲は、美輪明宏がまだ幼い年齢だったころに、一緒に育った友人の亡き母を回顧した作品です。

『ヨイトマケ』とは、昔まだ建設機械などがない時代、重い槌を数人で掛け声をかけて滑車を上下するときの、掛け声のことなんです。語源は『ヨイっと巻け』という説があるようですね。昔の日雇い労働者と、その家族の関係がわかる唄となっており、この曲で美輪明宏の人気は再熱します。

昔の美輪明宏は俳優としての活動も盛んだった

歌手としての人気も再熱した中で、美輪明宏を支持する文化人の一人だった寺山修司が劇団を立ち上げます。その旗揚げ公演に、寺山修司は美輪明宏のために舞台作品を描き下ろします。美輪明宏はその舞台に主演として出演したのです。

このころの美輪明宏はこうして、歌手だけでなく俳優としての活動も多く経験しているんです。昔の妖艶な容姿は、俳優として重宝されたでしょうね。そして、1971年に36歳という年齢のときに、美輪明宏は読経中に『美輪』という文字が浮かんで、神が与えてくれた名前として、丸山明宏から美輪明宏に改名したのです。

若い頃から原爆の後遺症に悩んでいた

同時に女性役としての活動を事実上引退して、歌手としての活動に専念するようになりました。男性役での俳優活動は継続したようです。しかし、新しい活動がうまくいっていた中で、美輪明宏は突然、体調不良に苦しめられるのです。

昔からの生活が美輪明宏の体調を狂わせた

美輪明宏は西洋文化があふれる中での生い立ちだったこともあり、肉料理中心の生活が続いていたようです。特に中華料理やイタリア料理を好んだせいか、慢性気管支炎にかかり、それが年齢を重ねて悪化してしまったのです。

1985年、50歳という年齢に達した美輪明宏は、昔からの苦労がたたり、医者から余命三ヶ月を告げられる状態だったそうです。舞台の仕事も減らし、それでも歌手としての活動はなんとか続けていた中で、自らの歌手としてきっかけになった銀巴里の閉店コンサートを行います。

若い頃から、生い立ちを振り返ると美輪明宏は苦難の日々でしたが、それに屈すること無く活動を継続してきたのです。いつ倒れてもおかしくないという状態が続いていた1993年、美輪明宏は突然悪化していた持病が改善されたのです。

1996年に三島由紀夫が30年来熱望していた『葵上・卒塔婆小町』を上演します。また、宮﨑駿監督のジブリ映画『もののけ姫』に出演し、昔ながらイケメンボイスで存在感のある役どころを担当しています。

『オーラの泉』で昔とは違った若い層への支持を広げた

2002年には芸能生活50周年を迎え、2005年に美輪明宏の新しいファンを作り出したともいえるテレビ『オーラの泉』が始まりました。『愛の伝道師』という形で、自らの生い立ちや人生教訓をもとにしたアドバイスを送っています。

若い頃からの経験を、次の世代に受け継いでもらう。美輪明宏にはそんな願いがあったのかもしれません。若い頃のイケメンだったころから、年齢を重ねていく中で、様々な経験をしてきました、そういった昔の経験はいまの若い子には驚きのものだったかもしれませんね。

なぜか美輪明宏が言っていると信じたくなる。そんな魅力があるのかもしれません。落ち着いた雰囲気で、どんな質問にも冷静に温かく答える。そういった独特の雰囲気は今までの人生相談の映像とは違った要素があったかもしれません。

美輪明宏は若い頃から白髪だった

美輪明宏は若い頃から肺の病に苦しんでいたことで、30代のころにはかなり白髪が進んでいたそうです。そのため、昔から黒染めを行っていたようですが、2000年に入る前頃から風水によって、黄色く染めたロングヘアーにしているそうです。

なんとなく昔からあの黄色いヘアースタイルのイメージでしたが、その髪型にも白髪隠しと風水という理由があったんですね。

たくさんの美輪明宏の若い頃の写真を見ていると、本当にイケメンっぷりに驚きますよね。中性的な雰囲気があり、芸能界という世界の中でも、美輪明宏の代わりになるような人物は存在しないような気がします。

若い頃から人生相談のプロだった

美輪明宏は複雑な生い立ちのためか、若い頃から人生相談に乗ることが多かったようで、1970年からTBSラジオ『ラジオ身の上相談』を担当していました。25年という長さは芸能人が担当するものでも、トップクラスの長い記録です。

若い頃から自分で作詞作曲をしていたため、美輪明宏は自分を日本初のシンガーソングライターと考えているそうです。しかし、歌手であり俳優の加山雄三も若い頃から作詞作曲で同じようなことをしていたため、加山雄三も日本初のシンガーソングライターを名乗っているそうです。

昔から若い頃の魅力を失わない

美輪明宏のコンサートは若い頃から高い評価を得ていますが、現在でもその評価は非常に高いです。2014年に行われた舞台では、瀬戸内寂聴や、東山紀之が感動し、楽屋で美輪明宏にその気持を伝えたようです。いろんな舞台を見ている人たちでも、この美輪明宏の舞台を見ると感動の気持ちを抑えられないそうです。

美輪明宏は昔から独身を貫いている

若い頃からイケメンの美輪明宏ですが、過去に同性愛者であることを告白したこともあり、現在まで独身を貫いています。それでも、美輪明宏に恋愛相談に乗ってもらう人たちは多く、昔からその人生経験の豊富さが、説得力あるアドバイスを生み出しているのかもしれませんね。

三島由紀夫からはかなり強いアプローチがあったようで、美輪明宏の唯一の欠点に、自分に惚れないことをあげるなど、二人にしかわからない関係を若い頃から続けていたのかもしれませんね。

今も昔も変わらぬ著名人の支持

美輪明宏は昔から多くの文化人に支持されて、現在もその交友関係は広がり続けています。まだ、美輪明宏のようにユニセックスな人物からの支持も多く、華道家の假屋崎省吾は、美輪明宏の追っかけを公言しています。

特にオーラの泉で共演していたスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之とは交流が深く。いわゆる金儲けの占い師などと違って、数少ない本物として江原啓之との関係を続けているそうです。

同じくイケメンとして有名だった三島由紀夫との仲は有名ですが、三島由紀夫が割腹自殺による死を迎える前に、美輪明宏のコンサートにやってきた三島由紀夫と会話を交わしています。三島由紀夫のただならぬ様子には気づいていたようですが、それを問いただすことは出来ず、結局それが最後の会話となったようです。

昔も若い頃も美輪明宏の魅力は変わらない

現在82歳となった美輪明宏ですが、若い頃からの魅力は変わらず、2015年の『NHK紅白歌合戦』には、史上初の80代という年齢で出場を果たしています。改めて、若い頃の美輪明宏の魅力が伝えられる場面も増え、昔のイケメン姿に驚く人も多いようですね。

近年の美輪明宏は、若い頃に経験した昔の記憶から、戦争に対して断固反対する立場を取っており、その言動が注目されています。若い頃に原爆の経験をしているだけに、戦争に対して思うことがあるようですね。美輪明宏の唄を通して、そういった若い頃の経験を感じてみることをおすすめします。


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