将棋ブームを引き起こし、羽生世代と呼ばれるほど伝説のエピソードを生み出した羽生善治。まるで芸能人のように様々なエピソードを持つ羽生善治。その天才と呼ばれ神の一手と呼ばれる将棋スタイルのすごさを改めてまとめてみました。羽生善治の伝説にただただ驚くばかりですよ

羽生善治の伝説まとめ!天才エピソードや神の一手など、すごさを再認識!

目次

  1. 羽生善治の伝説的なエピソードまとめ
  2. 伝説を重ねていく羽生善治
  3. 羽生善治の伝説はライバルとの戦いの中で生まれた
  4. 羽生善治は厳しい条件に打ち勝ち奨励会に入会
  5. 羽生善治の伝説的なデビュー
  6. 羽生世代が伝説を作り出していく
  7. 知れば知るほど羽生善治の伝説のすごさに気づく
  8. 羽生善治による伝説の七冠独占
  9. 再度挑戦した羽生善治が史上初の七冠制覇
  10. 羽生善治の伝説はチェスの世界でも!
  11. これからも羽生善治は伝説を生み出していく

羽生善治の伝説的なエピソードまとめ

現在、芸能人のように藤井聡太四段の29連勝で将棋に対する注目が高まっていますが、そんな藤井四段の神の一手を超えるすごさをを持った天才が存在します。それが、天才棋士である羽生善治なのです。天才・羽生善治の伝説的なエピソードをまとめてみました。

羽生善治は1970年9月27日生まれの46歳です。幼い頃から神の一手と言われる将棋スタイルで戦っていただけに、まだ年齢的にそんなにいっていないことに驚かされるかもしれません。埼玉県所沢で生まれた羽生善治は、幼稚園のときに東京都八王子に移り住みます。

羽生善治のすごさは、小学一年生のときに同級生に将棋を教えてもらってすぐに開花することになります。2年生のときに、羽生善治は『第1回夏休み小中学生将棋大会』に出場します。このときは1勝後に、2連敗して失敗しています。敗北から羽生善治の将棋大会の伝説的なエピソードは開始するのです。

羽生善治がその敗北が悔しかったのかは分かりませんが、そこから羽生善治は毎週末、八王子将棋クラブに通うようになったそうです。この道場の一番下の級は7級だったものの、羽生善治に昇段の喜びを与えたいという配慮から、羽生善治は14級から開始することになりました。

そんな配慮が功を奏したのか、5年生の段階で5段になっており、アマチュア棋士としては、強豪レベルにまで成長するすごさだったのです。すでに羽生善治の家で羽生善治に勝てる人間はおらず、家族はただただそのすごさに驚くばかりだったというエピソードが残っています。

伝説を重ねていく羽生善治

羽生善治の初めての大会での優勝は、1981年1月7日に行われた『第1回小田急将棋まつり小学生大会』でした。そのころの、羽生善治のユニークなエピソードが存在します。

羽生善治の母親は、いろんな将棋大会に出場する我が子がわかりやすいようにと、プロ野球チームの広島カープの赤い帽子を被らせていたのです。実は羽生善治自身は、読売ジャイアンツのファンだったようで、なんともユニークなエピソードですよね。

羽生善治の伝説はライバルとの戦いの中で生まれた

このころの羽生善治は、様々な大会である人物と戦うことが多かったのです。それが、森内俊之だったのです。羽生善治が初めて優勝した大会で、羽生善治が最後に破った相手が森内俊之だったのです。

その後、神の一手と呼ばれ天才と評価される羽生善治ですが、同時期にもう一人、神の一手を打ち、天才と言われる森内俊之が存在していたのです。この頃から、ライバル関係として森内俊之とともに伝説を作っていくことになったのです。

共に切磋琢磨する中で、羽生善治は小学5年生でアマ名人戦の都下予選を史上最年少で通過しています。そして、東京の4つの小学生大会で優勝し、さらに注目されることになります。そこから、羽生善治はプロを目指し『新進棋士奨励会』に入会することを志します。

羽生善治は厳しい条件に打ち勝ち奨励会に入会

将棋クラブの師範代であった中嶋克安は、『小学生将棋名人戦優勝』という条件を突きつけたそうです。いくら神の一手を持ち、天才と言われる羽生善治でも、これは厳しい条件のはずでした。しかし、羽生善治は6年生のときに見事優勝し、この条件をクリアしてしまったのです。

ライバルの森内俊之はこの大会で3位に終わっており、羽生善治のすごさをうかがい知ることが出来るものです。母親は、羽生善治が優勝するとすぐに、中嶋克安の師匠である二上達也に電話を入れています。そして、その後奨励会入試試験に見事合格したのです。

6級から1年あまりで初段に昇格するという、伝説的な功績を残し、三段で13勝4敗という記録も残しています。そして、四段への昇格を果たします。この四段とは、プロになったことを意味するのです。これが名だたる伝説的な棋士、加藤一二三、谷川浩司に続く史上3人目の中学生棋士の誕生でした。

羽生善治の伝説的なデビュー

当時、この出来事はまるで芸能人の結婚騒ぎのように大きく取り上げられました。それは、羽生善治という人物の伝説のまだまだ序章に過ぎなかったのです。

神の一手と言われる羽生善治の対局の中で繰り出される一手。その一手によって羽生善治はプロデビュー少年度に、40勝14敗という全棋士中1位の勝率を叩き出したのです。そして、将棋大賞と新人賞と勝率一位を受賞したのです。

そしてそれは、羽生善治と同年代の強豪棋士たちとともに、羽生世代(チャイルドブランド)と呼ばれるようになるのです。この命名は、初代竜王である島朗によるものでした。

羽生世代が伝説を作り出していく

羽生世代には、羽生善治、そしてライバルである森内俊之を中心に、村山聖、佐藤康光、先崎学、丸山忠久、藤井猛、郷田真隆が存在します。それぞれ竜王や名人、王位などを獲得しています。

羽生善治のライバルの一人でもあった村山聖が1998年に進行性膀胱癌で29歳という若さでこの世を去ることになりますが、村山聖を含め、この羽生世代が新しい将棋ブームを生むことになります。

1988年のNHK杯の神の一手

羽生善治は五段のときに、NHK杯に出場し、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠という当時現役の名人経験者4名をすべて破るという驚きの結果を残したのです。ここから、羽生善治が芸能人のように取り上げられるようになります。

この対局の中で、羽生善治のひらめきから生まれる一手によって、名だたる棋士が破れたのは誰もその才能を認めざるを得ませんでした。この1988年は、対局数、勝利数、勝率、連勝の記録4部門を独占し、将棋大賞の最優秀棋士賞を史上最年少の18歳で受賞しました。

藤井聡太四段の騒ぎは芸能人のようですが、やはりこのときの羽生善治の人気は、その辺の芸能人よりはるかに大きな羽生フィーバーだったと言えるでしょう。なお、この記録4部門制覇は羽生善治だけが達成しているもので、しかもこの後、その記録を後に3回も達成しているのです。

知れば知るほど羽生善治の伝説のすごさに気づく

こうやって羽生善治の伝説をまとめていくと、そのすごさに改めて気づくのではないでしょうか。羽生善治の伝説には『初』『最年少』などの言葉が目立ちますよね。

羽生善治が初めてタイトルを獲得したのは、1989年のことでした。それが『竜王戦』でした。七番勝負と言われるタイトル戦の相手は、初代竜王の座についた島朗でした。

島朗との全8局の結果は、4勝3敗で見事、初めてのタイトルを獲得することができたのです。この19歳2ヶ月という年齢でのタイトル獲得は、当時の最年少記録でした。翌年に谷川浩司に竜王を奪われるものの、棋王を獲得し、ここから毎年少なくとも一冠以上を維持した状態が続くことになります。

基本的に羽生善治が段位を名乗ったのは竜王戦に挑戦したときの『六段』が最後となっており、以降は何らかの冠位が肩書として付くことになります。そして、羽生善治は1992年からまとめるのも驚きの、まさに伝説的な活躍をすることになります。

羽生善治による伝説の七冠独占

羽生善治の伝説は、1992年に王座と棋王の複数冠を手にしたところから始まります。谷川浩司に勝利し、竜王に、1993年に谷川浩司から棋聖、郷田真隆から王位を獲得し五冠になります。その後、竜王戦で佐藤康光に敗れて、四冠になるものの、1994年に米長邦雄を破り、名人を獲得します。

そして、竜王を佐藤康光から奪還、この時点で史上初の六冠王となります。そして、残るタイトルは谷川浩司の持つ王将の冠。しかし、この谷川浩司とのタイトル戦に破れ、羽生善治が初めてタイトルに挑戦して破れたという結果に終わりました。

再度挑戦した羽生善治が史上初の七冠制覇

羽生善治はその後、王将戦に挑むまで、自身のタイトルに挑んでくるライバルを破り、何度も防衛を果たしました。そして、1996年、羽生善治は谷川浩司を破り伝説の七冠を独占したのです。このとき、タイトル戦が6つ以上になった1975年以降、初めての全冠制覇だったのです。

実は体調は万全ではなく、風邪をひいた状態だったと言われる羽生善治。しかし、このまま七冠をまとめて保持したまま防衛にも成功し、年度の全7タイトルの制覇も達成しています。1996年に、七冠王として2つ目の防衛戦に、小学生時代からライバルだった森内俊之と戦うことになります。

しかし、この森内俊之を瀬戸際で破り名人3連覇となったものの、永世名人の資格を獲得するのにはここから12年かかることになります。永世名人は通算5期というのが条件なのですが、あと2期の獲得に時間がかかったのです。

羽生善治の伝説はチェスの世界でも!

ちなみに、羽生善治の伝説は将棋に留まらず、チェスでも伝説的な人物なのです。チェスでもタイトルを複数保有しているのです。チェスを始めたのは26歳と遅い年齢だったのにもかかわらず、世界的なプレイヤー相手にも勝負を挑まれています。

2007年には、日本国内1位、世界ランキングも2796位、アジアでは260位に輝きました。将棋だけではなく、チェスでも伝説的な人物だったんですね。将棋でも伝説を残し、チェスでも伝説を残すという、これぞ伝説的な人間ですよね。

これからも羽生善治は伝説を生み出していく

棋士が芸能人のように注目される。それだけ伝説的な記録を残した人物というわけです。さまざまな伝説をまとめると、七冠独占の凄さが際立ちますが、それ以降も永世名人獲得、7つの永世称号、棋聖のタイトルは通算81期で歴代単独1位など、その伝説は挙げればきりがありません。

1995年には、元女優の畠田理恵と結婚しており、その結婚式は芸能人のようにマスコミで大きく取り上げられました。特に、寝癖がついたままの披露宴もある種の伝説として語り継がれています。

新しい若い世代が、この生ける伝説に挑戦してこようとしています。25年連続年度複数冠を達成している羽生善治。次はどんな伝説を残してくれるのでしょう。若手のホープたちとの勝負も楽しみです!


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