落合博満の成績まとめ!天才にして伝説のバッターの凄さを振り返る

落合博満という天才バッターをご存知でしょうか?近年では、監督としてのイメージの強い落合博満氏ですが、現役時代は天才的なバットコントロールで素晴らしい成績を収めました。落合博満の打撃成績についてご紹介すると同時に、様々な伝説も一緒に調査しました。

落合博満の成績まとめ!天才にして伝説のバッターの凄さを振り返る

目次

  1. 落合博満の成績!天才バッターを振り返る
  2. 伝説の最強バッターと呼ばれる落合博満の成績を振り返る
  3. 落合博満のプロフィール
  4. 落合博満の高校時代の成績
  5. 落合博満の社会人時代の成績
  6. 落合博満のドラフトでの評価
  7. 落合博満のプロでの成績(ロッテ時代)
  8. 落合博満のプロでの成績(中日時代)
  9. 落合博満のプロでの成績(巨人時代)
  10. 落合博満のプロでの成績(日ハム時代)
  11. 落合博満の成績の凄さを名選手と比較する
  12. 落合博満は成績だけではない数々伝説
  13. 落合博満の成績は天才バッターと呼ばれるにふさわしい
  14. 落合博満の成績を超えるバッターは現れるのか
  15. 落合博満の成績のまとめ

落合博満の成績!天才バッターを振り返る

歴史あるプロ野球界では、これまで数々の天才バッターと呼ばれる選手が存在しました。そんな選手の中でも、様々な伝説を残し天才バッターとしての名をほしいままにした名野球選手といえば、落合博満氏だと言えるでしょう。

近年では、中日監督として1度もBクラスを経験させないなど、中日を強豪に育て上げたことで、監督としての印象の強い落合博満氏ですが、現役時代は天才バッターとして、素晴らしい成績を残しました。天才と称される抜群のバットコントロールを持ち、数々の伝説を持つ落合博満氏の成績をまとめてご紹介します。

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伝説の最強バッターと呼ばれる落合博満の成績を振り返る

「オレ流」のイメージが強く、野球選手としての評価よりも、監督としての印象が強くなっている落合博満氏。プロ野球選手として活躍した期間は20年。イチローは26年、松井秀喜氏は19年間と、落合博満氏と同じく天才と称されるバッターは、基本的にプロ野球選手としての活躍した期間が長い印象があります。

しかし、イチローや松井秀喜氏が高校卒業の19歳でプロ野球選手となったことに対して、落合博満氏がプロ野球選手になったのはなんと25歳のとき!社会人を経験して、ルーキーとしては比較的遅い年齢でプロ入りしたのにも関わらず、20年間もプロとして活躍できる凄さ、そして野球界でも伝説となっている成績や記録の数々を打ち立てた落合博満氏。その輝かしい成績を振り返ってみましょう。

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落合博満のプロフィール

落合博満氏は、1953年12月9日生まれ。出身は秋田県です。小学生の頃から、長嶋茂雄に憧れ野球を始めましたが、高校では野球部の体育会系のノリに耐えられず、退部。しかし、野球部員の中で、誰よりも速い球を投げられ、誰よりもホームランを打てるという理由で大会の度に野球部に戻されたそうです。

高校時代は、退部→復活を合計7度繰り返すという、伝説が残ってる落合博満氏です。何度退部しても戻されるという凄さが、落合博満氏の才能を物語っているでしょう。その後、大学に進学するも、同じく体育会系のノリについて行けずに退部し、大学も中退。その後はボウリング場でアルバイトをし、プロボウラーを志したりと野球から離れた時期もありますが、高校時代の恩師のすすめで社会人野球に進みます。

日本代表などに選出されるなど頭角を現し、25歳の誕生日を迎える年にロッテからドラフト3位で指名を受け、プロ入りしました。余談ですが、ボウリングの腕前もかなりの凄さだと言われており、プロボウラーのテスト当日にスピード違反で捕まらなければ、プロ野球には進まずにプロボウラーになっていたと言われています。

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落合博満の高校時代の成績

天才バッター、落合博満はどのようにして成長していったのでしょうか。その成績を振り返ってみましょう。落合博満氏は、学生時代そこまで注目されるバッターではありませんでした。日本のプロ野球の場合、基本的に学生野球で活躍した一部の選手がドラフトにかかり、そのままプロ野球の道に進むというのが一般的です。

しかし、落合博満氏は、高校時代に目立った活躍はしておらず、甲子園にも出場はしていません。そのため、他のプロ野球選手に比べると、高校時代の成績などは特に残っておらず、その凄さは野球の成績からは測ることができません。しかし、高校時代の落合博満氏は凄さがわかる伝説が残っています。

それは、高校の部活の体罰や体育会系のノリが嫌いで、簡単に退部したのにもかかわらず、試合が近づくと部員から説得されて部に復帰していたという伝説です。高校時代のオフィシャルの成績は残っていませんが、高校時代はほぼ部活にも出ずに、練習もしないでエースで4番を打っていたという天才エピソードが語り継がれています。

プロに入る前は才能だけでプレーしていた落合博満氏ですが、それでも周りを黙らせるくらい、圧倒的な成績を残していたに違いないでしょう。

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落合博満の社会人時代の成績

高校では退部→復帰を繰り返し、まともに練習しなかった落合博満氏ですが、その才能は誰の目でも明らかだったこともあり、落合博満氏は大学に進学しましたが、半年で退学してしまいます。その後、紆余曲折を経て、社会人野球に進むと、その天才的バッティングが一躍脚光を浴びます。

ここでは、5年間プレーし、合計で70本のホームランを放ち、アマチュア野球の日本代表に選出されるなど、世間が落合博満氏の凄さを知った期間だったと言えるでしょう。チームを創設以来、初の都市対抗野球出場へ導くなど、チームの中心選手として活躍しました。その活躍が認められ、落合博満氏はドラフト指名されることとなりました。

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落合博満のドラフトでの評価

落合博満氏は、「日本の野球会を背負って立つ」と西本幸雄監督が称したように、その天才的なバッティングセンスは多くの球団が高い評価をしていました。しかし、実際にはドラフト3位でロッテから指名という評価でした。一番のネックになったのは、やはり年齢でした。いくら社会人で好成績を残し活躍したとはいえ、ドラフトされた年に落合博満氏は25歳になる年齢でした。

プロ1年目には26歳になることもあり、伸び代があまりないと考えられており、高順位で指名することは、一定のリスクを伴うこともあり、高い評価をしづらい選手であったことは間違いありません。結果として、ロッテがドラフト3位で指名しましたが、巨人はドラフト2位で落合博満氏を指名する予定だったそうです。

しかし同年のドラフトは「江川事件」と呼ばれる、日本球界史に残る事件があり、巨人はドラフトをボイコットしていたので、落合博満氏の指名は幻に終わりました。

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落合博満のプロでの成績(ロッテ時代)

1979年、ロッテに入団しプロ野球選手としてのキャリアをスタートした落合博満氏は、プロの世界で活躍するために様々な監督やコーチの指導を受け、自分なりのバッティングをマスターして行くこととなります。また、それだけではなく、球種を見極める技術など、バッターとして大切な要素を盗むと、1980年にはその才能が一気に開花します。

2軍で5試合連続ホームランの記録を作り1軍へ合流すると、57試合で15ホームランという天才的なバッティングをみせます。1981年にはオールスターに選出され、4番の大役を任されると、この年は首位打者のタイトルを獲得。プロ入り2年目のシーズンで首位打者のタイトルを獲得するという凄さを見せてくれました。1982年にはさらに成績が向上します。

史上最年少でシーズン3冠王の成績を残すと、1983年は首位打者を獲得。1985年にも3冠王という成績を達成するという凄さ。1986年には、2年連続で3冠王のタイトルを獲得するという凄さを見せつけました。2年連続の3漢王は史上三人目、3回目の三冠王は落合博満氏のみという、素晴らしい成績を残すと、1986年にはトレードで中日ドラゴンズへ移籍します。

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落合博満のプロでの成績(中日時代)

日本人初の1億円プレーヤーとなった落合博満氏は、その年俸に見合う成績を残し続けます。1987年には打率.331でリーグ3位、1988年は打率が初めて3割を切ってしまうなど衰えたという声が聞こえてきましたが、1989年には、打率.321、ホームラン40本、打点116のという見事な成績を残します。

1990年には、ホームラン、打点の2冠王に輝く成績を残す凄さを発揮し、落合博満健在をアピールします。1991年、1992年も高い成績を残し中日の主力として活躍しました。1994年には、FA権を使って、憧れの巨人へ移籍します。

落合博満のプロでの成績(巨人時代)

在籍3年間で、二度のリーグ優勝を果たすなどチームの4番打者として活躍した落合博満氏。当然成績も高水準を維持していました。40歳を超えてもなお、シーズン打率3割を超えるバッティングセンスは、まさに天才的と称しても良いでしょう。チームの主力としての活躍はもちろん、この3年間で3番バッターだった松井秀喜氏にいろいろなアドバイスを送っています。

これが後年、落合博満氏に並ぶホームランバッターが誕生する要因の一つになったと言っても過言ではないでしょう。個人タイトルの獲得こそ巨人時代はありませんでしたが、巨人在籍中に2000本安打を達成するなどの成績を収めました。巨人に清原氏が移籍してくることとなり、「長嶋監督が悩む姿を見たくない」という理由で、移籍することとなります。

落合博満のプロでの成績(日ハム時代)

日ハムに移籍した落合博満氏は、1年目はプロ生活で最低の成績となる打率.262、ホームラン3本、打点43という悲惨な成績を残しました。年齢的な衰えだけではなく、いろいろな要因が重なったことでこのような成績となってしまった落合博満氏。

しかし、現役最終年となる1998年は、シーズン途中まで3割をキープするなど活躍を見せますが、徐々に出場機会が減り、このシーズンでの引退を決意。現役最終打席は代打でファーストゴロという結果でした。現役通算成績は、打率.311、ホームラン510本、打点1564点でした。

落合博満の成績の凄さを名選手と比較する

落合博満氏の成績の凄さを他の名選手と比較して見ましょう。まず、巨人時代に一緒にプレーした松井秀喜氏の生涯成績は、日米通算ですが、打率,293、ホームラン507本、打点1649点でした。落合博満氏の方が、打率とホームランでわずかに上回っています。次に巨人から移籍するきっかけとなった清原氏はどうでしょう。

打率.272、ホームラン525本、打点1530点と、ホームランでは負けていますが、それ以外は落合博満氏が上回っています。落合博満氏が尊敬する長嶋茂雄氏は、打率.305、ホームラン444本、打点1522点と、全てにおいて落合博満氏が上回っています。

プロ年数や時代が違うので、一概に比較はできませんが、日本野球界において落合博満氏はトップクラスの選手といっても良い成績を残していることは間違いありません。

落合博満は成績だけではない数々伝説

落合博満氏は、成績だけではなく、伝説と言われる数々の逸話も存在します。特に多い伝説としては、その天才的なバットコントールにまつわる話です。何度注意してもどかないカメラマンに対して、カメラを狙うと宣言した上でカメラに直撃させる。

予告通りのホームランを放つなど、狙ったところに打ち返す天才的なバットコントールに関する伝説は数多く存在します。プロ入りは遅かったですが、そのバットコントロールの凄さで、これだけの成績を残したと言えるでしょう。

落合博満の成績は天才バッターと呼ばれるにふさわしい

イチローや松井秀喜氏、王貞治氏など、日本を代表する「天才」と呼ばれるバッターは数多く存在します。そして、落合博満氏よりも良い成績を残しているバッターももちろんたくさん存在します。しかし、本当の意味で「天才」と称されるバッターは、落合博満氏以外にはいないのではないでしょうか。彼の天才的なエピソードは、数々語られており、成績以上にセンスのかたまりだったと言えるでしょう。

落合博満の成績を超えるバッターは現れるのか

落合博満氏の成績を超えるバッターはこの先現れると思います。しかし、通算3回の3冠王の獲得や、類まれなバッティングセンスをもつ天才バッターは今後現れないかもしれません。落合博満氏のプロ入りまでのエピソードは、神様が落合博満氏に野球をやらせるために、様々な試練を与えているように感じます。まさに、天才バッターと呼ぶにふさわしい野球選手でしょう。

落合博満の成績のまとめ

落合博満氏の成績をご紹介しました。類い稀なバッティングのセンスを持ち、天才的だと言われる天性のものと努力で見つけた選球眼を持って、史上初の3度の3冠王や、2年連続3冠王を達成するなど、バッティング分野で大きな成績を残してきた落合博満氏の凄さがわかったでしょうか。監督としてのイメージの強い落合博満氏ですが、超一流のバッターでもあったのでした。

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