寺田理恵子の現在・画像は?夫の急死と娘との関係まとめ【元祖アイドル女子アナ】

今や女子アナと言えばアイドルの様な存在ですが、その先駆けであり「元祖アイドル女子アナ」として人気を博したのが元フジテレビの寺田理恵子アナウンサー。フジテレビ時代には「オレたちひょうきん族」や「NG大賞」などのバラエティ番組に出演し、アイドル女子アナとして大活躍していた事で有名。そんな寺田理恵子アナの現在について皆さんはご存知でしょうか?今回はそんな寺田理恵子の現在までの道のりを画像を交えながらご紹介したいと思います。夫の急死など壮絶な日々を乗り越えた寺田理恵子のこれまでの歩みとは?

目次

  1. 寺田理恵子アナの現在に迫る!
  2. 寺田理恵子とは
  3. 寺田理恵子の経歴
  4. 寺田理恵子一度目の結婚
  5. 寺田理恵子二度目の結婚
  6. 寺田理恵子が再婚した夫は物凄い人物だった!
  7. 天国から地獄に落ちた寺田恵理子
  8. 夫が大動脈瘤破裂によって急死
  9. そんな寺田理恵子に救いの手を差し伸べた人物がいた
  10. 父と娘の確執
  11. 寺田理恵子は波乱万丈な人生を送っていた

寺田理恵子アナの現在に迫る!

人気女子アナとして活躍した寺田理恵子の現在までの人生を画像と共にチェック

今でこそ女子アナと言えばまるでアイドルの様な存在として認識されておりますが、そうした流れが生まれたのは1980年代の事で、それまで女子アナウンサーと言えば、どちらかというとお堅い職業というイメージの方が強かったそうです。そんな時代において「アイドルアナウンサー」として先駆けとなり、「元祖アイドル女子アナ」として人気を博したのが元フジテレビの「寺田理恵子アナウンサー」その人です。

フジテレビ時代には「オレたちひょうきん族」や「NG大賞」などのバラエティ番組に出演し、アイドル女子アナとして大活躍していた事で有名。そんな寺田理恵子アナの現在について皆さんはご存知でしょうか?今回はそんな寺田理恵子の現在までの道のりを画像を交えながらご紹介したいと思います。夫の急死など壮絶な日々を乗り越えた寺田理恵子のこれまでの歩みとは?

寺田理恵子とは

寺田理恵子の画像とプロフィール

本名 関本 理恵子
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1961年7月15日(56歳)
血液型 A型
最終学歴 聖心女子大学
所属事務所 生島企画室
職歴 フジテレビジョン(1984年 - 1989年)
活動期間 1984年 - 2000年 / 2014年 -
ジャンル バラエティー、報道番組
配偶者 関本雅一(2012年没)
家族 長女、次女、関本忠弘(義理の父)

寺田理恵子(てらだりえこ【本名・関本理恵子】)は、1961年生まれの現在56歳。元フジテレビアナウンサーとして知られる彼女は、現在主にラジオのパーソナリティなどを中心に活動を行われております。90年代から巻き起こったアイドル女子アナブームの先駆けとなったアナウンサーと言われており、当時はバラエティー番組を中心に絶大なる人気を獲得していました。彼女がいなければ今の「○○パン」は存在していなかったかも⁉

寺田理恵子の経歴

寺田恵子のアナウンサー時代の歩みをチェックしよう

それでは寺田理恵子という人物がフジテレビを退社するまでの歩みについて、画像を交えながらチェックして参りましょう。東京都世田谷区出身の寺田理恵子は、東京女学館中学校・高等学校を経て聖心女子大学の文学部外国語外国英文学科に入学し、4年後に同校を卒業。眉目秀麗が絶対条件と言われる女子アナウンサーの世界において、申し分ない学歴を携えてのフジテレビ入社となりした。

実は寺田理恵子は大学時代にテレビ朝日の「クイズタイムショック」にアシスタントとして出演していたのですが、フジテレビの面接の際にはこの事を告げておらず、内定を貰った後にこの事実が公となった事で一度は人事から内定の白紙を言い渡されたそうです。しかし社内で寺田理恵子の採用を強く推した人物がいたらしく、その結果決定が覆り、大学卒業後の1984年に無事アナウンサーとしてとして入社する事が出来たようです。

そんな寺田理恵子アナですが、フジテレビの局アナとして活躍した期間は意外と短く、1989年に寿退社するまでの5年間が局アナとして活動していた期間です。その後はフリーアナウンサーとして数々の番組に出演してきた寺田理恵子アナ。しかしながら彼女が大ブレイクしたのは、間違いなく当時絶大な人気を誇っていたバラエティ番組「俺たちひょうきん族」があったからでしょう。

寺田理恵子一度目の結婚

寺田理恵子1度目の結婚は1989年

入社からまもなくして直ぐに人気アナウンサーとして頭角を現した寺田理恵子アナでしたが、フジテレビ入社から5年後の1989年、寺田理恵子アナが28歳の時に一度目の結婚を果たします。最初の夫となったお相手は制作会社のディレクターで、寺田理恵子アナはこの結婚を機にフジテレビを寿退社しております。その後フリーアナウンサーに転向し、第一子となる長女も設けましたがやがて離婚しシングルマザーとなります。

この一度目の夫との結婚生活については現在もあまり触れられておらず、結婚相手の画像等も当然のことながら見つけ出す事は出来ませんでした。制作会社のディレクターとフジテレビの人気女子アナウンサーともなれば、同じテレビ業界のカーストで考えれば雲泥の差がある訳ですから、もしかするとそういった面が結婚後に顕著となって結婚生活が破綻してしまったのかも知れませんね。

寺田理恵子二度目の結婚

寺田理恵子二度目の結婚は2000年

そうした経緯があってシングルマザーとなった寺田理恵子ですが、彼女に二度目の結婚のチャンスが訪れます。それは2000年の事で、当時広告代理店大手として知られる電通に勤務していた関本雅一と再婚。無事に二度目の結婚を果たす事となります。電通と言えば誰もが知る広告業界最大手の超一流企業ですが、その電通の社員と二度目の結婚を果たしたのです。

この再婚を契機に寺田理恵子アナは正式にアナウンス業から引退をしております。電通の社員ともなれば収入の面においても間違いのない年収を稼ぎ出しているでしょうし、そう考えると夫婦二人共稼ぎで有る必要はない確かにないでしょう。ただし、アナウンス業を引退したのは収入面のみが理由ではありません。寺田理恵子アナの再婚相手はとんでもない大物の血筋だったのです。

寺田理恵子が再婚した夫は物凄い人物だった!

誰もが羨む玉の輿!お相手はあのNECの元会長の長男

寺田理恵子アナの再婚相手である関本雅一。彼は電通の社員である事はご説明しましたが、彼の父親はあのNECの元会長である関本忠弘であり、早い話がその長男で有る関本雅一は超エリート家系の御曹司という訳です。彼の父親である関本忠弘は社長就任と共に情報通信に力を入れ、あの歴史に残る名機であるPC-9800シリーズで同社を日本最大のパソコンメーカーに育てあげた人物として知られています。

夫は独身では無かった⁉

そんな財界TOPのご子息と再婚を果たした寺田理恵子アナ。これ以上ない玉の輿であると世間は彼女の再婚を羨んだようですが、実はそこにとんでもない落とし穴が待ち受けていたのです。実は再婚相手である夫の関本雅一には家庭があったというのです。という事は寺田理恵子アナは妻子持ちの男性と不倫をしていたという事に成りますが、夫はこの事実を寺田理恵子アナには内緒にしていたのだそうです。

そしてこの事実が明るみに出て夫は離婚、その結果寺田理恵子アナと再婚という事になったのですが、夫はこの一件で父親から勘当されていますし、寺田理恵子アナがアナウンス業から引退したのも、実はこの結婚が「略奪婚」としてマスコミに叩かれた事が原因なのです。不倫である事も知らず、略奪愛だと言われもない理由で叩かれるとは、寺田理恵子アナも心中はきっと穏やかではなかった事でしょう。

天国から地獄に落ちた寺田恵理子

略奪婚と叩かれた寺田恵理子に更なる悲劇が訪れる

何はともあれ無事に再婚を果たし、次こそは幸せな結婚生活を送れる筈だった寺田理恵子アナですが、彼女にとって子の結婚は悲劇の始まり以外の何物でもありませんでした。結婚した直後の2000年、夫が勤務先の電通で広告費3億円を顧客に対し水増し請求していたという事実が発覚し、その事によって電通より懲戒解雇されてしまったのです。

その後IT企業を自身で立ち上げたりと再起を図りましたが、いずれの事業も上手くいかず、借金ばかりが膨らんでいったそうです。やがて資金難に陥った夫は運転資金を手に入れるために自宅を担保に入れて融資を受ける事に成ります。そうまでしても経営は上向かずに借金は膨らみ、やがて返済すらままならない状態に陥ってしまします。

そうなると当然担保に入れている自宅は差し押さえられてしまう事になるのですが、それだけは免れようという事で、自宅の名義を夫から寺田理恵子アナの名義に変更していた事から、その後借入先の信販会社から裁判を起こされた際には寺田理恵子アナも被告人となってしまいます。結果的に裁判では敗訴となり、債権者に対しては6500万円の借金の内500万円を支払う事で和解となっております。

夫が大動脈瘤破裂によって急死

夫の急死によって寺田理恵子は残された借金の肩代わりを余儀なくされる

裁判に敗訴し、その後は借金返済の苦しい生活が続きます、そんな中またしても夫は犯罪を起こしてしまいます。以前経営していた人材派遣会社から約5600万円を着服し、その結果業務上横領の容疑で逮捕。結果的にこちらは不起訴処分となりますが、この後もあれやこれやと手は出すモノの何一つとして上手くいかず、借金ばかりが雪だるま式に膨れ上がって行ったそうです。

そんな生活を続けていた2012年12月、夫は突然大動脈瘤破裂によって倒れてしまいます。病院に搬送されましたがすでに手遅れだったようで、数日後には息を引き取っています。この突然の夫の急死によって、それまで雪だるま式に膨らんでいた夫の借金は全て妻である寺田理恵子アナが肩代わりする事になってしまいます。文字通り地獄の日々の始まりであり、夫の急死を嘆く間も無く惨い現実だけが露わになったのです。

そんな寺田理恵子に救いの手を差し伸べた人物がいた

生島ヒロシによって人生の再出発を図る事が出来た

夫の急死に伴い、文字通り地獄の日々の片道切符を手に入れてしまった寺田理恵子アナ。そんな彼女に一人救いに手を差し伸べてくれた人物がいたのです。それが人気フリーアナウンサーとして知られる生島ヒロシでした。彼は自身が経営する生島企画に、寺田理恵子アナをタレントとして迎え入れ、自身がパーソナリティーを担当しているラジオ番組のアシスタントとして起用したのです。

これによって安定した収入を確保する事が出来るようになった寺田理恵子アナ。キャスターとして芸能活動に復帰し、死に物狂いで働き続けた結果無事に借金を全額払い終える事が出来たそうです。今の穏やかな生活が有るのは、間違いなく生島ヒロシという人間が手を差し伸べてくれたからでしょう。

父と娘の確執

「一生許さない」そう娘に憎まれた夫

寺田理恵子アナには前夫との間で授かった娘がおりましたが、夫も前妻との間に娘を授かっていました。再婚と共に二人の娘の母親となった寺田理恵子アナでしたが、どうやら父親は寺田理恵子アナの娘に対して明らかに毛嫌いしていた様で、事あるごとに嫌がらせを受けていたそうです。そうした経緯もあって寺田理恵子アナの娘と夫の間には絶対に埋められない確執があったそうです。

そんな父娘の確執も、母の寺田理恵子アナの8年に渡る努力の結果として家族4人で言った家族旅行の際に消えてなくなったそうです。死に行く5分前に母親を抱きしめ「今までごめん!」と言っていたそうです。恐らくは自分が死ぬことを分かったうえで最後に発した言葉だったのでしょう。そうした経緯もあり、娘は父に対し今はもう一切の蟠りはないそうです。

寺田理恵子は波乱万丈な人生を送っていた

今回は元祖アイドル女子アナとして人気を博した寺田理恵子アナの壮絶な人生について、当時の画像等を交えながらご紹介して参りました。二度目の結婚は誰もが羨むものに成る筈だったのですが、それが地獄の始まりとは寺田理恵子当人は元より、周りの誰もが想像しなかった事でしょう。結婚当時の幸せそうな画像等を観てもまさかこの後そんな壮絶な日々が起こるとは予想もしていない筈です。

言われもない理由で自分が悪者としてバッシングを受けるなど、文字通り壮絶な日々を送り、波乱万丈な人生を送られてきた寺田理恵子。現在は既に全ての重荷から解放され、毎日を穏やかに暮らされているそうです。今後は何事もなく、波風の立たない静かな毎日を送る事が出来ると良いですね。

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