日本を代表するアルピニストとして知られる栗城史多さんが、エベレストからの下山の途中に死去されたという衝撃的なニュースが舞い込んできました。これまでに数度のエベレストへのアタックを行っている栗城史多さん。2012年の秋季エベレストでは重度の凍傷となり手の指9本を失うという信じられない悲劇を経験されています。今回はそんな栗城史多さんが8回目の挑戦で死去してしまった事についてまとめてみました。

登山家・栗城史多さん死去。エベレスト下山途中に遺体発見か?

目次

  1. 登山家の栗城史多が死去
  2. 栗城史多とは
  3. 栗城史多の生前のチャレンジ
  4. 栗城史多は何故死去したのか?
  5. 多くの命を奪ってきたエベレスト
  6. これまでに8度エベレストにアタックしている栗城史多
  7. 栗城史多は凍傷で指を9本失っている
  8. 指の再生を試みた栗城史多
  9. 栗城史多は結婚していた?
  10. 栗城史多は嘘つき?
  11. 栗城史多氏のご冥福をお祈り申し上げます

登山家の栗城史多が死去

日本を代表するアルピニストの突然の死去

日本を代表するアルピニストとして知られる栗城史多さんが、エベレストからの下山の途中に死去されたという衝撃的なニュースが舞い込んできました。これまでに数度のエベレストへのアタックを行っている栗城史多さん。2012年の秋季エベレストでは重度の凍傷となり手の指9本を失うという悲劇を経験されましたが、その後もそれにめげずにエベレストへのアタックを試みておりました。

そんな栗城史多さんが今回8度目のアタックで遂に帰らぬ人となってしまったという、何とも痛ましいニュースが舞い込んできたのです。では何故今回栗城史多さんはエベレストの下山途中で命を落とす事に成ってしまったのでしょうか?今回は栗城史多さんが命を落とした今回のエベレストアタックについての詳細や、彼に纏わる様々な話題についてご紹介して参ります。

栗城史多とは

栗城史多のプロフィール

生年月日 1982年6月9日
出身地 北海道瀬棚郡今金町
死去 2018年5月21日(35歳没)ネパール エベレスト山麓 C2
国籍 日本
出身校 札幌国際大学
肩書き 株式会社たお代表取締役

栗城史多(くりき のぶかず)は北海道瀬棚郡は今金町の出身。「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤにアタックを行う登山家として知られておりました。エベレストへの単独無酸素登頂と頂上からのインターネット生中継を目標に2009年からチャレンジを行ってきましたが、本年5月21日に死亡が確認されました。享年は35歳でした。

栗城史多の生前のチャレンジ

ヒマラヤ以外は登頂成功している

栗城史多さんは生前数々の山にアタックし、チャレンジを成功させております。彼は北米最高峰のマッキンリー、南米最高峰のアコンカグア、ヨーロッパ最高峰のエルブルース、アフリカ最高峰のキリマンジャロ、オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドと、南極大陸最高峰のビンソンマシフと、ヒマラヤ以外の最高峰へのチャレンジは全て成功させております。

ヒマラヤの壁が栗城史多の前に立ちはだかる

そんな栗城史多さんも8000mを超える尾根が連なるヒマラヤ山脈へのアタックに関しては、満足な結果を残せておりません。生前8度に渡り世界最高峰であるエベレストへのアタックを繰り返してきましたが、何れもが失敗。2014年に8047mで世界第12位のブロード・ピークに登頂成功したのが、彼が唯一8000mを超える山へのアタックに成功した結果となりました。

栗城史多は何故死去したのか?

下山途中に死去と報じられた実際の流れを検証

それでは続いて今回彼が死亡した経緯について順を追って説明していきます。今回8回目のエベレストにアタックした栗城史多さんは、先月27日にベースキャンプに到着し、エベレストの登山ルートの中でも最難関といわれる「エベレスト南西壁」に単独・無酸素で挑戦していました。しかし単独登山の最中に体調を崩してしまい、登頂を断念。そして標高7400m付近より下山する事を決めます。

しかし下山を始めた栗城史多さんとその後連絡が取れなくなり、無線連絡にも全く反応が無くなったそうです。更に暗闇を下から見上げでも栗城史多さんのヘッドランプの明かりが一切見当たらない事から、異常を察知したキャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索したところ、息絶えている栗城史多さんの遺体を発見したそうです。死因は明らかになっていませんが、低体温症では無いかと考えられているようです。

多くの命を奪ってきたエベレスト

エベレストではこれまでにも多数の登山家が死去している

登山に対して然程知識を持たない我々一般人でも、エベレストが世界で最も高い山で有る事は知っています。そしてエベレストでは多くの登山家が命を落としている事も有名です。人間がギリギリ生存可能な標高である8000m以上の標高エリアの事を通称「デスゾーン」と呼ぶらしく、ここでは少し寝ただけで途端に命を落としてしまうのだそうです。

そんな8000m級の山々が連なるヒマラヤ山脈で、最も高い世界最高峰のヒマラヤ山脈の標高は何と8848m。世界の屋根に立つ事を目指し、これまで数多くの登山家達がアタックしてきましたが、そのうち258人が命を落としております。そして回収不能な200体以上の遺体がミイラとなって今も「虹の谷」と呼ばれるエリアで眠っているのです。

これまでに8度エベレストにアタックしている栗城史多

いずれも結果は敗退

栗城史多さんは、お亡くなりになった今回のアタックも含めてこれまでに8回エベレストに挑戦しております。2009年9月に最初のアタックを行いますが、体力の限界により7,950mで敗退。その後2017年までに計7回アタックを繰り返して来ましたが、いずれも敗退という結果に終わっています。7000m級の登頂は過去に成功している栗城史多さんですが、8000mの壁を乗り越えられなかったようです。

これには前章でも説明した通り、8000m以上がデスゾーンと呼ばれるという事が関係しているのは間違いありません。この8000mという壁は、我々が考えるよりも遥かに高いという事は間違いありません。彼が8000mの壁を超える前にいつも断念せざるを得なかったのは、そもそも人間としての生存限界がその辺りであるという事を如実に物語っていると言えるでしょう。

栗城史多は凍傷で指を9本失っている

原因は「スマホをいじるため」だった⁉

2012年8月に栗城史多さんは4回目のエベレストに挑戦しましたが、この際に指が凍傷となり、その後右手の親指以外の9本の指の第二関節迄を切断する事になってしまっています。何故この時こんなに酷い凍傷になってしまったのかというと、何とそれはスマホを弄る為だったのです。

正しくはスマホを弄る為に穴あき手袋を使用していた事が原因で、指が凍傷となってしまったのです。これは彼が登頂途中に行っていたインターネット中継を行う為のモノで、その結果指を9本も失う事になってしまったそうなのです。

指の再生を試みた栗城史多

様々な方法によって指の再生を試みるも結果は切断

前途のアタックによって、親指一本を残した残り9本の指が凍傷となってしまった栗城史多さん。当然そのままでは指を切断するしかない状態だったのですが、彼は様々な方法を使って指の再生を試みたそうです。彼は指を再生させる為に2012年に先ずインドへ向かい、そこで治療を受けますが結果的に指の再生は出来ず、それどころかインドで感染症を患ってしまっています。

その後も指先がミイラ化するまで粘った栗城史多さんは、アメリカで「指が再生する魔法の粉」や民間療法、またウクライナで治療を受けたり、スポンサーになっている会社のサプリ等で再生を試みるも全て結果が出る事はありませんでした。最終的にアメリカで切断手術を受ける事に成りましたが、その際に受けられる細胞外マトリクス治療に再生への一縷の望みを繋ぐも結局は効果なし。結果的に9本の指を失うに至っています。

栗城史多は結婚していた?

栗城史多に関する結婚等プライベートの情報は一切見当たらず

35歳という若さで死去された栗城史多さんですが、彼は結婚されていたのでしょうか?年齢的には結婚し家庭を築いていても全くおかしくないのですが、栗城史多さんの結婚の有無に関しての情報は一切何も見当たらず、ネット上では栗城史多さんは結婚している・していないの憶測で意見が真っ二つに分かれているそうです。どちらも何の根拠もない情報の為、結婚の有無に関しては全く分からない状況です。

しかしながら、もし栗城史多さんが結婚していたとしたら奥さんの方から今回の死去の件について何らかのコメントが発せられてもおかしくは無い筈ですが、現在までそうしたコメントは一切なし。そう考えると栗城史多さんは結婚はしていなかったのではないか?というのが順当なところでは無いかと考えられます。確かに指の切断や再生という大事な局面でも、奥さんの存在を感じるような事もありませんでした。

栗城史多はいつか自分がこうして死去する事も想定していたのではないか?

栗城史多さんが結婚していないのは、自身がいずれこういった形で命を落とす事を自ら予想していたからでは無いでしょうか?「余りにも無謀」と他の登山家から口々に言われる登山家であった栗城史多さん。彼も心のどこかでこんな日が来ることを想定していたのかも知れません。「そんな自分と結婚しても悲しませるだけ」と、彼がそう考えたかどうかは定かではありませんが、もしかするとそんな気持ちがあったのかも。

栗城史多は嘘つき?

死去した者に掛ける言葉では無いが栗城史多は生前「嘘つき」と言われていた

死去した方に対して取り上げる話題では無いでしょうが、生前の栗城史多さんは「嘘つき」と呼ばれていたという情報が流れていますが、では何故栗城史多さんは嘘つきだといわれていたのでしょうか?これは栗城史多さんの登頂スタイルに理由があります。栗城史多さんは「エベレストへの単独無酸素登頂」を売り文句にスポンサーを集めていましたが、ここに彼が嘘つきと言われる理由が隠されていたのです。

「嘘つき」というよりは登山に対する意識の低さが原因か

エベレストへの単独無酸素登頂というのは、文字通り登山家が誰の力も借りずに単独で登頂する事を意味していますが、実際の栗城史多さんは他の登山家が残したロープを使ったり、他の登山家が何人も通って歩きやすくなった時期や道を選んだりと、間接的に人の助けを受けていると見做されるような行動が多数見受けられていたのです。これが栗城史多さんが嘘つきと言われる原因になっているようです。

本人はこの行為をNGと思っていた節は無いようでしたが、この単独登頂を売りにスポンサーを集めていたのでやはり問題視される事に成ったようです。しかも今回栗城史多さんの安否を駆け付ける為にシェルパが駆け寄ったと報道されている事から、結局はシェルパが居た事も明らかになっています。死去された方に向けるべき言葉ではありませんが、これでは「嘘つき」と言われても仕方ない部分もあるかもしれません。

栗城史多氏のご冥福をお祈り申し上げます

若くして死去された登山家の安眠を

今回は栗城史多さんのこれまでの歩みや、今回の死去の原因となったアタックの詳細などを中心にまとめた物をご紹介して参りました。若くして命を落としてしまった栗城史多さん。そのアタックは死しても歴史の1ページとなり、今後も永遠に語り継がれていく事でしょう。安らかなご冥福をお祈り申し上げます。


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