明石家さんまの本名は?母親・父親など家族や生い立ちについてまとめ

お笑い芸人には意外にも悲惨な生い立ちの人物が多いのです。とても貧乏な生い立ちだったり、家族と不仲だったり。あのお笑い芸人の明石家さんまも生い立ちは悲しいものなのです。そんな明石家さんまの本名や、本名い関係のある父親や母親との関係を紹介します。

目次

  1. 明石家さんまの本名や意外な家族関係
  2. 明石家さんまの本名とその家族
  3. 本名・杉本高文である男の辛い生い立ち
  4. 継母に愛されたかった明石家さんま
  5. 明石家さんまがお酒を飲めない理由
  6. 本名以上に当時有名だった弟の事件が起きるまで
  7. 本名から笑福亭さんまに
  8. 明石家さんま逃亡!!
  9. お笑い芸人として本名から明石家さんまに
  10. 有名になった明石家さんまに起きた弟の自殺
  11. 明石家さんまの弟は灯油自殺だった
  12. 明石家さんまの弟は実家を継ぎたくなかった?
  13. 明石家さんまは父親が亡くなったときも仕事を続けた
  14. 明石家さんまの元妻の母親の本名がユニーク
  15. 意外な明石家さんまの生い立ちと本名だった
  16. 杉本高文という本名から見える素顔

明石家さんまの本名や意外な家族関係

お笑い芸人の明石家さんまと聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。いつも陽気でボケてばかり。お笑い怪獣で自分にも他人にも厳しい。そんな印象かもしれませんね。そんな明石家さんまの生い立ちを詳しく知っているでしょうか。

実はお笑い怪獣の明石家さんまの生い立ちはとても複雑で、明石家さんまの普段のイメージからは想像出来ないようなものなのです。明石家さんまが実は母親にまったく愛されず、除け者にされていたなんて想像できますか?明石家さんまの生い立ちや本名、家族について紹介します。

明石家さんまの本名とその家族

お笑い芸人の明石家さんまは1955年7月1日生まれの62歳。和歌山県東牟婁郡古座町生まれの奈良県奈良市育ちです。テレビでは奈良県出身として紹介されることが多いですね。

本名は杉本高文

明石家さんまの本名は杉本高文と言います。番組の構成を担当することも多く、その場合は本名の杉本高文の名前でクレジットされることが多いですね。意外かもしれませんが、明石家さんまは最初はお笑い芸人ではなく、落語家として芸能界に入ったんですよ。

明石家さんまの落語家の師匠は、2代目笑福亭松之助。そのため落語家として活動していたころの明石家さんまは、笑福亭さんまという名前なんです。実際に高座に上がったこともあり、いまでも落語はやろうと思えば出来るのだとか。

明石家さんまがそんな落語家やお笑い芸人になった理由は、ただ明石家さんまが天才的な才能を持っていたという明るい理由だけではなく、明石家さんまの複雑な生い立ちが大きく関わっているのです。

本名・杉本高文である男の辛い生い立ち

明石家さんまの家族関係は複雑で、明石家さんまが3歳のときに実の母親が亡くなっています。そのため、明石家さんまは父と兄と暮らすことになります。そして、明石家さんまが小学校に上がることに、父親は再婚して新しい母親が出来たのです。

この新しい母親が明石家さんまの生涯に大きな心の傷を作ることになります。再婚した母には連れ子が居て、明石家さんまには義理の弟が出来たのです。明石家さんまはこの義理の弟をとても気に入り、仲が良かったようです。

しかし、母親はなぜか明石家さんまと兄に心を開くことはなく、自分たちを愛してはくれなかったのです。母親にとっては自分の息子だけが子供であり、明石家さんまと兄はあくまで他人として優しくしてもらえなかったのです。明石家さんまは、どうしても新しい母親に愛されたかった。しかし、その夢は叶うこと無く毎日が過ぎていくのでした。

継母に愛されたかった明石家さんま

そんな明石家さんまは母親にどうすれば愛してもらえるの。そんなことばかり考えていたようです。そして、明石家さんまはある答えに行き着いたようです。たくさんふざけて面白い人になれば、母親に気に入ってもらえて笑ってもらえて、愛してもらえるのではないか?それが、お笑い芸人としての明石家さんまのスタートだったのです。

父親である杉本恒は、そんな明石家さんまと母親の関係に気づいていたのでしょうか…。明石家さんまの実家はさんまの開きを販売する水産加工品工場だったようです。そのことが、落語家になったときの笑福亭さんまという芸名につながるわけですね。

父親が経営するこの水産加工場の売り上げは良く、あまり貧しい生活ではなかったと言われています。この明石家さんまの父親が販売している、さんまの開きはとても美味しいと有名だったようですね。

明石家さんまがお酒を飲めない理由

明石家さんまは、弟自身とは仲良く暮らしていました。しかし、母親に愛されないことを兄と話し、二人で涙することもあったようです。そんな明石家さんまの母親は、継母という悩みがあったのか、ストレスのためか、お酒をよく飲むことが多く、そういった生い立ちの思い出からあまりお酒が好きな女性が好きではないようですね。

明石家さんまはそのため、長らくお酒を飲めない生活が続いていたのですが、大竹しのぶと結婚して、大竹しのぶの母親の話し相手になっているときに、お酒を一緒に飲んでくれる相手がいないことを悲しむ母親に付き合って飲むようになったようです。

初めは一番小さい缶ビールをゆっくり飲むことから始めたのだとか。明石家さんまにとって、大竹しのぶの母親との交流は自分の母親との失われた時間を取り戻すためのものだったのかもしれません。

本名以上に当時有名だった弟の事件が起きるまで

明石家さんまは一生懸命人を笑わせ続け、学生時代はとても人気者だったようです。特に高校時代などはサッカーをしており、運動神経もよく、髪の毛も長くてアイドル扱いだったようですよ。

そんな人気者だけに、よくふざけることも多く体育祭の短距離走では、スタートと同時に逆走して大ウケしたもの、そのまま先生に追いかけられたなんていう逸話まであるほどです。これほどユニークで面白い人物が芸能界の世界に進まないわけがなく、1974年2月、高校3年生で2代目笑福亭松之助に弟子入ります。

本名から笑福亭さんまに

明石家さんまが笑福亭松之助を師匠に選んだ理由は、花月劇場で見た笑福亭松之助の新作落語が面白かったから、という理由だったようです。センスがいいから笑福亭松之助を師匠に選んだと正直に入門の動機を語り、笑福亭松之助もそんな明石家さんまを簡単に受け入れたのだとか。

落語の世界はかなり厳しいというイメージがあるのですが、笑福亭松之助は型破りな人物で、明石家さんまを丸刈りにさせた以外は厳しい修行をさせず、ほとんと放任しているような状況だったようです。そして、本名から笑福亭さんまという芸名を名付けたのです。

明石家さんま逃亡!!

明石家さんまにとって新しい家族ともいえる弟子時代。生まれながらのセンスで、半年もたたないうちに初舞台にあがるなど、頭角を現すようになります。そんな明石家さんまも当時、交際していた女性と共に上京し、東京で活動しようとします。

このとき、明石家さんまはまだ笑福亭松之助の内弟子の状態だったものの、師匠はそんな明石家さんまの勝手な行動を許したそうです。しかし、東京での生活は思ったほどうまく行かず、師匠に借りていた着物を返すという名目で師匠の元を訪れます。

そんな明石家さんまを普段通り出迎え、裏では落語会に明石家さんまが帰ってきたから改めて頼むと根回しをしたそうです。その後、弟子として復帰した明石家さんまは、若手タレントのマネージャー的存在だった佐敷愼次によって、改めてタレントとして活動させることを決めたのです。

お笑い芸人として本名から明石家さんまに

明石家さんまがタレントとして初めてテレビにデビューしたのは、当時のお色気番組として人気だった『11PM』でした。師匠のアドバイスで、ど派手な赤いブレザーを着て登場したそうです。いろんなボケをしたところ、司会の藤本義一には気に入られなかったようですが、お笑い芸人の横山やすしにはその場で気に入られて、朝まで飲むことになったとか。

また、この様子をテレビで見ていた師匠は大いに喜び、落語家というテーマで登場した他の落語家たちと違って、自分のアドバイスどおり赤いブレザーを着ていたことをとても喜んだそうです。そして、1976年に『ヤングおー!おー!』に出演し、形態模写の芸で一躍人気お笑い芸人となったのです。

この番組の司会者だったのが桂三枝(現在は六代目桂文枝)でした。明石家さんまを気に入った桂三枝は良い意味で明石家さんまに厳しく若手の明石家さんまを世話したようです。しかし、明石家さんまは桂三枝と西川きよしの見栄の張り合いに巻き込まれるなどなかなか苦労していたのだとか。

桂三枝があるお店に連れていけば、翌日に西川きよしがその話を聞いて桂三枝より良いお店につれていくなど、先輩お笑い芸人にはとても好かれていたようです。

有名になった明石家さんまに起きた弟の自殺

次第に明石家さんまは、番組の中心人物になり、当時の阪神タイガースに在籍した投手の小林繁の投球フォームを形態模写して、さらに人気になりました。そして、同番組の司会を10年以上続けてきた桂三枝が番組を卒業することになり、1980年に明石家さんまが後任の司会者になったのです。

その後、番組が終了するまでの約3年間の司会を務め、人気番組を支え続けました。しかし、この人気絶頂期の明石家さんまに大きな事件が起きたのです。

それは、明石家さんまの家族の訃報でした。明石家さんまの父親が経営していたさんまの水産加工場で、火事が起きたというのです。この火事で明石家さんまの弟が死亡したというニュースが流れたのです。

明石家さんまの弟は灯油自殺だった

事件が起きたのは1983年4月2日。明石家さんまが28歳のときでした。初めは、工場で起きた火事で弟が亡くなったのかと思った明石家さんま。しかし、弟の遺体を調べた警察から、弟の身体には灯油をかぶった後があり、そこから出火しているということを告げられたのです。

本名など個人情報が多く載っていた当時の新聞

父親は火事には巻き込まれなかったものの、弟は火事で焼け死んでしまっていたのです。新聞の内容から、弟以外の家族は就寝中で、火事に気付いて逃げたこと、まだ弟が10代だったことがわかりますね。弟は、私立育英高校を卒業して、実家の手伝いをしていて、父親の仕事を継ぐ予定だったようですね。

明石家さんまの弟は実家を継ぎたくなかった?

父親の仕事を継ぐ予定だったという弟。しかし、全国的に有名になった大人気タレントの弟ということもあり、実家を継ぎたくないという風に考えていたらしいのです。10代ということもあり、いろんな葛藤があったのかもしれませんが、自殺するほど悩んでいたのでしょうか。

明石家さんまは家族の仲でもっともかわいがっていた弟の死をなかなか受け止められなかったようです。なにより、普段から困ったことがあったら明石家さんまに相談していた弟が、いきなり自殺するなんて信じられなかったようですね。

当時の週刊誌はこの事件を面白おかしく取り上げたようで、『さんまの丸焼き』などという見出しで事件を紹介したのだとか。今でも明石家さんまは実家が火事にあったことは話題にすることはあり、この見出しのことを笑いのネタにしていますが、弟のことに関しては一切触れることはありません。

しかし、お笑い芸人として世間の人たちが事件を知っているため、自殺があったともテレビには明るく出演し、共演し友人だったオール巨人に、事件を面白おかしくギャグとして扱ってもらって支えてもらったようです。

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明石家さんまは父親が亡くなったときも仕事を続けた

複雑な生い立ちにも負けず、弟と仲良く成長してお笑い芸人として人気になっていたときに起きた事件。明石家さんまにとっては、本当につらい事件だったと思います。

明石家さんまは、2006年2月4日に父親である杉本恒が78歳で亡くなった際も、普段と変わりなくテレビに出演したのだとか。すでに明石家さんまは50歳という年齢になっており、師匠である笑福亭松之助にその訃報を報告したそうです。

電話で父親が亡くなったことを、いつものような明るい雰囲気で伝えて、葬儀は密葬で行うことを報告したのだとか。父親の死因は不明ですが、奈良市内の病院で心肺停止のため亡くなったそうです。弟の死のときもそうですが、明石家さんまのプロとしての根性と同時にどこか悲しさも感じますよね。

家族の不幸にも負けず、どこか感情を殺したように明石家さんまが生きている姿は複雑な気持ちになるのではないでしょうか。

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明石家さんまの元妻の母親の本名がユニーク

そんなつらい生い立ちと家族の関係ですが、兄は現在も健在でときどき、テレビに写真が出ることがあるようですね。継母についてはやはりタブーな部分もあり、まったく現在の情報はありませんね。明石家さんまがデレビで語る家族は、祖父や父親と兄の話しぐらいですね。

そういった自分の家族との複雑な生い立ちの代わりに、明石家さんまが語る家族の話といえば、元妻である大竹しのぶとのエピソードですよね。家族の話しといえば、大竹しのぶというイメージを作ることで、自分の父親や母親たちの話しを自然と避けることが出来ているのです。

大竹しのぶの母親の本名は江すてる

ちなみに面白いのが、大竹しのぶの母親で、本名が江すてるという名前らしいのです。これは明石家さんまが、子供の名前に二千翔と名付ける際に出てきたエピソードのようですね。

『21世紀にはばたく』という意味から二千翔という名前を子供につけたかった明石家さんま。大竹しのぶの母親に反対されるものの、その母親の名前が江すてるという名前だったことから、結局は珍しい名前でも大丈夫という明石家さんまの意見が通ったそうです。大竹しのぶの母親とはかなり仲が良かったようですよ。

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意外な明石家さんまの生い立ちと本名だった

お笑い怪獣の明石家さんまの意外な生い立ちについてでした。父親とは普通の関係だったようですが、まさか母親に愛されずに育てられたなんて意外でしたよね。その上、弟は焼身自殺。また、明石家さんまも日航機墜落事故にあわや巻き込まれかける経験をするなど、かなり複雑な人生なんです。

だからこそ、明石家さんまは人生は笑って生きる。そして、お笑い芸人はテレビでは泣かないというルールを自分に強いているんです。

60歳を越えてもお笑い界の頂点にあり続けるのは、いつまでも消えることのない母親に愛されたいという気持ちの裏返しなのかもしれませんね。明石家さんまは寝ることがないと言われていますが、実際は精神的なものから来る不眠症とも言われていますね…。

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杉本高文という本名から見える素顔

明るく陽気な明石家さんま。そんな明石家さんまの生い立ちを知ることで、どんな人にも辛い経験があって、それに負けないように努力して生きていることを知れましたね。明石家さんまの笑いが多くの人を救ってくれているのは間違いないと思います。

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