プロ野球も終盤を迎える秋。毎年この辺りに成ると選手たちの去就に関する話題がチラホラと聞かれる様に成るのだが、今年はあの巨人の投手である杉内俊哉選手が今季限りでの引退を発表し話題と成っている。杉内俊哉選手と言えば福岡SBホークスの先発ローテーションの柱として大活躍し、その後巨人入りした球界を代表する名投手。然しながら移籍後は怪我に泣かされて満足の行く成績を残せなかった事でも知られている。今回はそんな杉内俊哉選手の引退に際し、これまでの成績や年俸についてをご紹介していきたいと思う。

巨人の杉内俊哉が今季で引退!怪我やこれまでの成績・年棒まとめ【画像あり】

目次

  1. 巨人の杉内俊哉選手が今季限りで現役を引退へ
  2. 杉内俊哉選手とは
  3. 杉内俊哉選手の経歴
  4. 杉内俊哉選手の成績一覧
  5. 杉内俊哉選手の年度別年俸推移
  6. 杉内俊哉選手の第二の人生に幸あれ!

巨人の杉内俊哉選手が今季限りで現役を引退へ

杉内俊哉選手の17年間に渡るプロ生活での成績や年俸の推移を調査する

日本を代表する名投手として知られる読売巨人軍のピッチャー「杉内俊哉」選手。フリーエージェントで福岡SBホークスから巨人入りしたその年にノーヒット・ノーランを達成するなど、名実ともにこの国を代表する名投手の一人として知られる存在だった。そんな杉内俊哉選手が今シーズン限りで現役を引退し、17年間のプロ野球生活に幕を下ろす事を発表。この杉内俊哉選手引退のニュースには巨人ファンだけではなく、全国の野球ファンが驚きを隠せないといった状態である。

今回はそんな杉内俊哉選手の引退に際し、彼のプロフィールや経歴、そして引退までの成績や年俸推移の一覧をご紹介させて頂こうと思う。パ・リーグを代表する投手から日本を代表する投手へと成長した杉内俊哉選手。晩年は怪我に泣かされ満足の行く成績を残せなかったが、彼が日本球界に残したインパクトは非常に大きなモノである。今回はそんな球界を代表する名投手の野球人生を振り返ってみよう。巨人ファン成らずとも野球ファンなら必見の内容だ。

杉内俊哉選手とは

杉内俊哉選手のプロフィール

名前 杉内俊哉(すぎうち としや)
出身地 福岡県大野城市
生年月日 1980年10月30日
年齡 37歳
身長 175 cm
体重 82 kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト3位
初出場 2002年4月1日
年俸 3,000万円+出来高(2018年)
在籍順
鹿児島実業高等学校
三菱重工長崎
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (2002 - 2011)
読売ジャイアンツ (2012 - )
国際大会
五輪代表 2000年、2008年
WBC代表 2006年、2009年、2013年

杉内俊哉(すぎうち としや)は、福岡県大野城市出身・1980年10月30日生まれの現在37歳。読売巨人軍に所属するプロ野球選手である。ポジションはピッチャーで左投げ左打ち。2001年にドラフト3位で当時の福岡ダイエーホークスへ入団。2012年にFA権を行使して読売巨人軍へと入団。以後今シーズンまでの6年間を同球団で過ごしている。オリンピック代表に2度、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)代表にも3度選出されている。今シーズン限りでの引退を先日発表した。

杉内俊哉選手の経歴

鹿児島実高から生まれたスター投手

それでは続いて杉内俊哉選手の経歴を振り返ってみよう。小学4年生の時に地元大野城の少年野球団に所属して野球人生をスタートさせた杉内俊哉選手。最初は外野手だったが、翌年に1塁手、そして6年生の時にピッチャーへと転向。エースとして全国大会に出場しチームをベスト16に導いている。中学では市の少年硬式野球チームのエースとしてチームを全国準優勝に導いている。そして高校は全国有数の強豪校である鹿児島県の鹿児島実業高等学校へと入学した。

鹿児島実業高等学校時代は2度甲子園に出場しており、第80回全国高等学校野球選手権大会の1回戦では八戸工大一相手にノーヒットノーランを達成している。その後松坂大輔擁する横浜高校に敗れるも、大会後には松坂や新垣、村田修一、上重聡らといった同年代の選手達と共に「第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表」に選出され、中村順司監督の期待に応えて見事優勝を果たしている。この当時から既に杉内俊哉選手は将来プロ野球界を背負って立つ投手と目されていた。

福岡SBホークスで大活躍!WBCでも2連覇に貢献した杉内俊哉選手

高校卒業後に三菱重工長崎へと就職を決めた杉内俊哉選手は、社会人野球を舞台に大活躍。シドニーオリンピック野球日本代表にも選出され、4位という好成績を残りしている。その後2001年のドラフトで地元福岡ダイエーホークスから3位で指名を受け入団を決意。背番号は憧れの工藤公康投手の番号である47番を与えられた。

入団2年目からローテーションの一角として活躍した杉内俊哉選手だったが、2004年に自らベンチを殴った怪我により全治3ヶ月となり、そのシーズンを棒に振る。しかし翌年からは大車輪の活躍を魅せチームを牽引。ソフトバンクホークスを代表する投手の一人として二桁勝利を毎年重ねていく。そしてWBC代表としても選出され、日本の勝利に多大なる貢献を果たしている。

怪我に泣かされた引退前の杉内俊哉選手

2011年シーズン終了後にFA権を行使して読売巨人軍へ移籍し、セ・リーグに活躍の場を移した杉内俊哉選手。移籍1年目の2012年に早速ノーヒット・ノーランを達成するなど球界を代表するエースピッチャーぶりを魅せるも、その後は怪我に泣かされた。2015年10月には右股関節の形成手術を受けたものの、17年には左肩痛を発症。結局その傷が癒える事は無く、最終的に今シーズン限りでの現役引退を決断したようだ。

杉内俊哉選手の成績一覧

杉内俊哉選手引退までの年度別成績を一覧でチェック

【2002年】福岡ダイエー:11試合2勝2敗・防御率5.93・自責点29
【2003年】福岡ダイエー:27試合10勝8敗・防御率3.38・自責点61
【2004年】福岡ダイエー:10試合2勝3敗・防御率6.90・自責点35
【2005年】福岡ソフトバンク:26試合18勝4敗・防御率2.11・自責点46
【2006年】福岡ソフトバンク:22試合7勝5敗・防御率3.53・自責点52

【2007年】福岡ソフトバンク:28試合15勝6敗・防御率2.46・自責点54
【2008年】福岡ソフトバンク:25試合10勝8敗・防御率2.66・自責点58
【2009年】福岡ソフトバンク:26試合15勝5敗・防御率2.36・自責点50
【2010年】福岡ソフトバンク:27試合16勝7敗・防御率3.55・自責点72
【2011年】福岡ソフトバンク:23試合8勝7敗・防御率1.94・自責点37

【2012】巨人:24試合12勝4敗・防御率2.04・自責点37
【2013】巨人:24試合11勝6敗・防御率3.35・自責点57
【2014】巨人:26試合10勝6敗・防御率3.16・自責点56
【2015】巨人:17試合6勝6敗・防御率3.95・自責点42
※2016年から今シーズン迄は怪我による故障の為登板は無し。

以上が杉内俊哉選手の年度別成績の一覧である。本当であればもっと詳細なデータがあるのだが、ここでは分かりやすいものだけを厳選して抜粋した。このデータを見るだけでもお分かりかと思うが、杉内俊哉選手は2005年から常に安定した勝利数を上げ続けている。勿論SBホークスの打線や守備といった部分も影響は有るが、何よりも杉内俊哉選手自身の防御率と自責点を見れば、彼が如何に「崩れない投手」かということがお分かり頂けるのでは無いだろうか?

杉内俊哉選手の年度別年俸推移

杉内俊哉選手引退までの年度別年俸推移を一覧でチェック

【2002年】所属:福岡ダイエーホークス・年俸: 1500万円・前年差:-
【2003年】所属:福岡ダイエーホークス・年俸: 1500万円 ・前年差:0

【2004年】 所属:福岡ダイエーホークス・年俸:5300万円・前年差:+3800万円
【2005年】 所属:福岡SBホークス・年俸:4000万円・前年差:-1300万円
【2006年】 所属:福岡SBホークス・年俸:1億5000万円・前年差:+1億1000万円
【2007年】 所属:福岡SBホークス・年俸:1億2000万円・前年差:-3000万円
【2008年】 所属:福岡SBホークス・年俸:1億9000万円・前年差:+7000万円

【2009年】所属:福岡SBホークス・年俸:2億3000万円・前年差:+4000万円
【2010年】所属:福岡SBホークス・年俸:3億円・前年差:+7000万円
【2011年】所属:福岡SBホークス・年俸:3億5000万円・前年差:+5000万円
【2012年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:3億5000万円・前年差:0
【2013年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:5億円・前年差:+1億5000万円

【2014年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:5億円・前年差:0
【2015年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:5億円・前年差:0
【2016年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:5000万円・前年差:-4億5000万円
【2017年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:5000万円・前年差:0
【2018年】所属:読売ジャイアンツ・年俸:3000万円・前年差:-2000万円

こちらが杉内俊哉選手の年俸推移の一覧だ。成績と共に年俸も右肩上がりの上昇と成った現役時代。国内プロ野球選手の年俸上限とも言われている5億円に到達したのは巨人への移籍後である2013年の事だった。そんな頂点を極めた杉内俊哉選手だったが、2016年には何と10分の1の年俸額である5000万円に。前年度の収入に対する税金が加算されるだけに、これだけ年俸が下がるとそれだけでも恐ろしい事に成るのは明白だ。それでも彼は野球を続ける道を選んだのだろう。

杉内俊哉選手の第二の人生に幸あれ!

引退後は野球関係の仕事に?

今回は今シーズン限りで現役を引退する杉内俊哉選手の成績や年俸推移を中心にご紹介してきた。晩年は怪我で泣かされた杉内俊哉選手だが、彼が球界を代表する名投手であったことは間違いない。今後はコーチや解説者など野球に携わる仕事に付くことは間違いないだろうが、彼の第二の人生に対し心からのエールを送りたい。


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