お笑い芸人の中で、引退をした人間は何人もいます。中でも復帰を望まれる人物もいます。島田紳助はその一人かもしれません。その島田紳助の引退の理由を覚えていますか。引退理由の真相を改めて知るなかで、様々な暴露が行われていたことがわかります。噂の真相に迫ります

島田紳助の引退理由は?暴力団との交際?それ以外にもある?真相を調査!

目次

  1. 島田紳助の引退の理由の真相に迫る
  2. 島田紳助の引退の理由の真相とは
  3. 予兆があった島田紳助の引退とその理由
  4. 引退した理由の真相は島田紳助の性格にある
  5. 引退の理由は島田紳助が成功しすぎたから?
  6. 島田紳助が過去に起こした事件の真相
  7. 島田紳助が引退を回避できた真相
  8. 引退すると嘘をついた理由
  9. ついに島田紳助が引退に追い込まれた理由
  10. 島田紳助は暴力団と関係があったのが引退の理由
  11. 島田紳助に引退しないで欲しいファンも
  12. 真実を言えない理由とは
  13. 島田紳助は引退から復帰するのか
  14. 真相を知れば知る程島田紳助の復帰は難しい
  15. 島田紳助は最後まで自分の存在を演出したい理由

島田紳助の引退の理由の真相に迫る

お笑い芸人のトップの一人として君臨していた島田紳助。しかし、その島田紳助はある騒動によって、引退を余儀なくされました。黒い噂が絶えなかった島田紳助の引退騒動の真相について改めて迫ります。

詳しい噂の真相に迫るまえに、改めて島田紳助の引退会見をまず見ることがおすすめです。この動画の中で、島田紳助が語ったことの真相は何だったのでしょう。なぜ、お笑い芸人としてトップにいた島田紳助が、引退ということを決断しなければならなかったのか。その理由は深い闇を感じさせるものでした。

島田紳助は1956年3月24日生まれの61歳です。本名は長谷川公彦といいます。お笑い芸人として活動する他に、司会業の能力が高く評価されて、様々な番組の司会を務めてきました。元吉本興業に所属していた島田紳助は、1974年から2011年まで活動していました。

元々は漫才ブームの中で松本竜助と1977年にコンビを組み『紳助・竜介』として活動していました。元々、島田紳助は、あの明石家さんまとコンビを組みたかったのですが、断られて代わりに紹介されたのが松本竜助だったようです。

島田紳助の引退の理由の真相とは

島田紳助は、国鉄職員である父親のもとに生まれ、父親は非常に真面目な人物だったようです。しかし、その真面目すぎる性格と、いわゆるヤンキーブームによって、島田紳助は不良として中学生時代から有名だったようです。

そのため、学校の窓ガラスを割ったり、教室で盗んでいたものを売りさばいていたことが後に本人や周りから暴露されています。また、高校のときには、車上荒らしで補導され、少年鑑別所に送致されたことも暴露されています。どうも昔からヤクザに憧れがあったようで、広島ヤクザの浪谷守之に憧れていたそうです。

本人は他にもいろんなことをネタとして暴露しており、暴走族として活動していたことも明かしています。しかし、高校のときに教師に叱責されたことから、面白い不良を目指すことを決意し、お笑いの道を目指したのが、この道を選んだ真相だったようです。

予兆があった島田紳助の引退とその理由

このようなチンピラエピソードが後の噂の原因になるとは、島田紳助本人は思っていなかったかもしれません。10代のころは、お笑いの道を目指しながら、ボクシングジムにも通っており、将来は料亭で働いた経験を活かし、寿司屋や競艇選手か漫才師を目指していたようです。

18歳のときに、お笑いコンビの『B&B』に憧れて、漫才の世界に飛び込みます。それぞれ師匠や、お笑いの立場は違えど同期としては、明石家さんまやオール巨人、桂小枝などが挙げられます。芸名の由来は、師匠である島田洋之介の一門として、島田と師匠が考えた紳助の名前を貰ったそうです。

当時から毒舌は芸として日常茶飯事で、熱く涙もろい性格だったようです。しかし、時には激情家として行き過ぎた行動があったと噂されています。実際に、松本竜助に出会うまでの間、他の芸人とコンビを組んだもののまったくうまくいかなかったのは、後の引退騒動を想像させるものだったかもしれません。

引退した理由の真相は島田紳助の性格にある

漫才の研究をしながら、明石家さんまと営業に出て大スベリするなど、若手お笑い芸人の王道ルートを辿っていた島田紳助は、1977年にうめだ花月の進行をしていたお笑い芸人の松本竜助に出会います。島田紳助は、この松本竜助とコンビを組むことを決意したのです。

リーゼント頭に、つなぎの作業着の衣装という『ツッパリ漫才』を生み出し、一躍若い男性から人気のお笑い漫才師になりました。1980年ごろに起きた漫才ブームに乗って、関西を代表するお笑い漫才師になった島田紳助は、後のダウンタウンたちにも大きな影響を与えました。

そして伝説的な人気番組『オレたちひょうきん族』にレギュラーとしてコンビで出演することになります。あまり目立たなかった松本竜助に対して、島田紳助は人気者になりました。しかし、このことが、コンビよりもソロとしての仕事を増やし、後のコンビ解散の原因になりました。

引退の理由は島田紳助が成功しすぎたから?

結局、漫才ブームの終了にともない、1985年に島田紳助は松本竜助とのコンビを解散してしまったのです。この決断は一部では、島田紳助が松本竜助を捨てたようなものだと、暴露されることにもなりました。

ピンになってからは、司会業もこなすようになり、現在の島田紳助の原型が出来上がりました。しかし、あまりにも人気が高まる中で、島田紳助の暴走を止められなくなったのも、後の引退の真相の一つだと思います。司会業、バイク、プロデュース業、音楽など、どんなことをやっても成功する人間が出来上がりました。

島田紳助が過去に起こした事件の真相

50代を間近にした島田紳助は、引退騒動の前に、一つ大きな事件を起こしています。それは2004年に、自身の冠番組である朝日放送『クイズ!紳助くん』の収録前に、コラムニストの勝谷誠彦の40代のマネージャーに傷害事件を起こしたのです。

この事件の真相は、島田紳助が尊敬する会社社長やお笑い芸人などを呼び捨てにしており、その女性がこの世界に入ってすでに5年目ということを知り、激怒したようなのです。女性を別室に連れ込み説教をし、反省の様子がないと感じて、拳や物で殴った上、髪を掴んで壁に打ち付けたというのです。

女性は全治1週間の頚椎捻挫を負った上、女性はすぐに被害届を出し、傷害容疑で告訴されることになります。元から暴力を振るうことが噂されていただけに、島田紳助の事件はいずれ暴露されていたとも言われています。

島田紳助は、すぐに謝罪会見を開き、傷害について認めることになりました。このときも島田紳助は、相手の出方次第では引退をすることを口にしていましたが、それ以外の質問に対しては、謝罪するのみで、真相はわからないままになったのです。

この事件で、島田紳助は約1ヶ月の謹慎処分を事務所から言い渡されます。レギュラー番組は通常通りに放送され、唯一、法律を扱う内容だっただけに『行列のできる法律相談所』のみは、後輩芸人が代役として司会を担当する形で放送されました。

島田紳助が引退を回避できた真相

傷害事件を起こした人間の番組がそのまま、通常通り放送される当たりが島田紳助のバックの強さを感じさせるかもしれません。いまなら、おそらく島田紳助といえど、放送は見送られ、即刻引退にさせられているかもしれませんね。

島田紳助は結果的に、傷害罪の容疑で書類送検、罰金30万円の略式命令が下されます。そのまま正式な裁判は行われず、有罪として罪は確定しています。島田紳助は事務所からの謹慎期間を、自ら無期限延期することを表明し、一時的にテレビから引退の形を取ることになります。

本当はこのときを理由に引退していてもおかしくなかっただけに、その後も活動を続けられたのは奇跡だったかもしれません。早くに芸能界を引退した松本竜助も晩年は工事作業員だったようで、どちらも不遇な形をたどることになりました。

引退すると嘘をついた理由

被害者からは、会見で口にしていたように、引退を求められたものの、結局2ヶ月程度の謹慎で2005年1月2日に、法律相談所で復帰しています。この復帰には、先輩である大物お笑い芸人の上岡龍太郎の後押しがあったと噂されています。

もちろん、この行為に被害女性が納得するわけはなく、島田紳助と吉本興業を相手取って、4400万円の損害賠償の裁判を起こしています。女性は退職扱いについても異議を申し立てており、この2つの点について裁判が行われたものの、1045万円の賠償命令は下ったものの、退職無効については棄却されました。

吉本興業はその後の裁判についての具体的な内容については明かすことはなく、真相は闇に葬られてしまったのです。ここに吉本興業と島田紳助、そしてヤクザ事務所とまで言われる黒い噂が見え隠れすることになったのです。

ついに島田紳助が引退に追い込まれた理由

騒動後、復帰した島田紳助はいろんな噂を暴露されながらも、なんとか芸能界でいつものように活動できるようになっていました。しかし、2011年8月ごろに、吉本興業に外部からある噂が舞い込んできたのです。

その真相は、島田紳助が暴力団と関係しているというものでした。この内容は、島田紳助が暴力団と交わしているメールだったようです。吉本興業はすぐに島田紳助に事実確認を行い、島田紳助は事実を認めたようです。そして、その対応を競技した結果、島田紳助は引退を決意したのです。

島田紳助の引退会見は8月23日に行われました、島田紳助はこの問題の真相について、自分の力だけでは解決できない悩みを相談していた相手だったと釈明したようです。どうも10年近く前から交流があるらしく、自分の友人のつながりから、偶然助けてもらったことから、交流が出来たらしいのです。

島田紳助は暴力団と関係があったのが引退の理由

この友人は元は一般人であったものの、その後暴力団関係者になったらしく、その流れから暴力団関係者の知り合いが出来たようなのです。島田紳助は、あくまで友人が暴力団関係者になっていたこと、その知り合いも当初は暴力団だったとは知らなかったようです。

もちろん、島田紳助も暴力団関係者とつながることは表立ってすることもなく、数年に一度会う程度の、トラブルのときのいざというときの備えのような関係だったようです。騒動以前に連絡を取ったのは、やはりあの女性マネージャーへの傷害事件のときだったようです。

いろんな人から連絡が来る中、友人から連絡が来て、その知り合いである暴力団の人物も心配していることを伝えられ、頼りにしていると返信したと言われています。このことから、やはり島田紳助はバックに暴力団が居ることは、自分にとって有利になると考えていた可能性があります。

さまざまな噂が巻き起こる中、島田紳助は後輩に示しがつかないという理由から引退を決意。また、引退は以前から考えていたことで、今回の事件はあくまでその一つに過ぎないと暴露しています。島田紳助の引退の真相は結局、本人からは明確にされないまま引退することになったのです。

島田紳助に引退しないで欲しいファンも

島田紳助が過去にこの友人と暴力団に、トラブルを救ってもらったという真相を暴露した人物もいるようです。どうも、島田紳助は十数年前に、自身の番組で右翼街宣車について暴言を吐いたようなのです。そのとき、右翼団体がこの件について激怒。外部の力を借りて事態を収集してもらうことになったようです。

そのような真相が明確に明かされないまま引退したこともあってか、未だに島田紳助の復帰を望む声も多数あるようです。たしかに、島田紳助の才能は素晴らしいものはありますが、暴力団とつながりがある人間と発覚した限りは、許されないかもしれません。

また、引退の真相として、島田紳助の友人と言われているのが、元プロボクシング世界王者の渡辺二郎だったといわれているのです。この人物は島田紳助の引退以降に、恐喝未遂容疑で懲役2年の実刑を受けており、過去に男性射殺事件で使われた拳銃を譲り渡した銃刀法違反の罪にも問われている人物だったのです。

真実を言えない理由とは

結局、島田紳助が引退で語った話は真相とはいえず、友人は過去犯罪に関わっている人物であり、その知り合いである暴力団というのも、山口組の最高幹部の一人で、大阪に本拠地を置く極心連合会会長というとんでもない人物だったというのが、噂の真相だと言われているのです。

本人が引退の真の理由を隠しても、様々な関係者から暴露が続いて、渡辺二郎の存在、暴力団と一緒に写ってる写真が暴露され、島田紳助の引退会見は、引退を惜しまれる自分を演出しただけと言われています。

島田紳助は引退から復帰するのか

引退のその後で気になるところは、暴力団との関係があることが暴露された島田紳助が、もう一度芸能界に復帰する可能性があるかということです。島田紳助は現在、ハワイに居ると言われています。謹慎していたころは、宮古島に居たようですね。

そんな島田紳助を、芸能レポーターの井上公造が直撃したようですが、島田紳助は余生を過ごしているような状態のようです。ゴルフをしたり、筋トレをしたり、時々草野球をしたり、老け込まないように身体だけは動かしているようですね。

現在の島田紳助は、後輩の松本人志のようにムキムキな体型になっているようです。すでに本人は自由な旅人状態で、いろんなところに旅に出ているようです。ハワイというのも一つの旅の通過点のようなもののようですね。井上公造が島田紳助に出会ったのも沖縄で、すでに沖縄にも居ないようです。

芸人を集めた誕生日会は行われているようで、その場所ではマイク片手に4時間近く喋り倒すようで、引退してからも、そのお笑いとしての才能は衰えていないようです。しかし、本人は復帰の意思は、一応はないようです。

真相を知れば知る程島田紳助の復帰は難しい

どうも島田紳助としては、復帰はする気はないとは言いながらも、みんなに言われて仕方なくという理由の体で戻って来たいとも噂されているのです。特に、同期の明石家さんまに促されてと言う形にしたいと噂されています。

復帰しにくい理由は民放に起用できないから

また、明石家さんまも島田紳助の復帰に関しては前向きと言われており、復帰の可能性は0ではないと言われているんです。しかし、民放への復帰は難しく、インターネット配信や舞台などなら復帰出来るかもしれないと言われていますね。

引退は何度も考えていたとはいえ、その理由がこんな形になったのは、プライドの高い島田紳助としては納得していないようです。とはいえ、惜しまれて引退している状態も気持ちいいもので、復帰の話が出る存在で居たいという理由も、現在のような状態で居る理由なのかもしれません。

島田紳助は最後まで自分の存在を演出したい理由

昔から熱い性格で、自分を演出するようなことが好きな島田紳助。それだけに、このままの形で自分が引退で終わっていくというのを受け入れられるとは思えないですね。

先輩芸人である上岡龍太郎が、冗談半分で引退を口にしたところ、本当に引退することになったのを見ているだけに、最後の形にはこだわりたいはずです。完全に引退出来ない理由は、お笑い芸人としてのプライドなんでしょうね。

同期のBIG3と言われる明石家さんまとタモリが芸能界には残っています。タモリも『笑っていいとも』を終了させたものの、親友である明石家さんまは現役バリバリです。その姿を見ていて、かつての自分の活躍してたころを忘れることは出来ないという理由はあるはずでしょうね。

周りが引退しないことが復帰の理由になるかも

可能性があるとしたら、毎年行われる『27時間テレビ』かもしれません。2017年はビートたけしと関ジャニ∞の村上信五ですが、明石家さんまがまた司会と務める年が来れば、島田紳助復帰の可能性もあり、注目して見るのをおすすめしますね。


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