キンブオブリアクション芸人である出川哲朗。お笑い界でもっとも身体を張っている出川哲朗の実家がお金持ちって知っていましたか?実は出川哲朗の実家が横浜にある海苔のお店で、家族が取締役をしている噂があるのです。意外なお金持ちと噂な出川哲朗の実家を紹介します。

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あの出川哲朗の実家は大金持ち!?
お笑い芸人と一口に言っても、そのジャンルはさまざまです。ピンからコンビやトリオ。しゃべくり漫才からシュールな漫才。そんな中でテレビにおいて欠かせないのが、リアクション芸人です。お笑い芸人の中でその代表は出川哲朗でしょう。
この動画を見ると、出川哲朗がお笑い芸人として、誰にも負けないセンスを持っていることがわかりますよね。オリジナルの英語に、体全体を使ったリアクション。このようなお笑い芸人は、どのような実家で育ったのでしょう。
出川哲朗はどんな実家で育ったのか
出川哲朗は1964年2月13日生まれの53歳です。神奈川県横浜市神奈川区生まれの出川哲朗は、50代を越えてもリアクション芸人として、お笑い界で活躍しているんです。嫁は元レースクイーンの阿部瑠理子です。子供は居ないようですね。
出川哲朗はお笑い芸人というイメージが強いかもしれませんが、もともとは劇団を仲間と主催した劇団員のリーダーなんです。その劇団が『劇団SHA・LA・LA』です。この劇団が同じお笑い芸人のウッチャンナンチャンの内村光良と南原清隆らと設立したものなんです。
出川哲朗は、横浜市立栗田谷中学校、私立武相高等学校を卒業しています。その後、1985年に横浜放送映画専門学院(現在の日本映画大学)を卒業しました。その後、1987年にこの専門学校で知り合ったメンバーと、劇団を設立したわけなのです。
出川哲朗の実家はお金持ちで有名!?
そんな出川哲朗ですが、横浜にある実家はどんな家庭だったのでしょうか。実は、この出川哲朗の実家は、明治27年から続く、伝統を受け継ぐ老舗の海苔屋だというのです。出川哲朗の先祖、出川金蔵が海苔問屋として、商売を始めたものが、120年以上経った今も残っているのです。
旦那さまが社員旅行で箱根に行ったのに、黒たまごも買わずに、出川哲朗の元気のりのりを買って来た(笑)
— みゅーく (@miyua_kisarazu) June 13, 2017
出川哲朗って箱根の海苔屋さんなんだね、、、って宮城って書いてあるやんけ!!!
会社自体はあまり大きくせずに、全国各地の生産地から仕入れた選りすぐりの海苔を扱っているようです。海苔以外にも、削り節や昆布、椎茸やお茶なども扱っているようです。結婚式の引き出物や記念品としても扱われるようなお店のようです。
お笑い芸人の【出川哲朗】の実家は横浜市の老舗海苔問屋『つた金海苔店』というのは有名なんですが、現在の代表取締役社長は実兄の出川雄一郎で、自身も取締役に就いているんです。商品のひとつとして、自身の顔写真を使った「元気のりのり」の焼き海苔と味付けのりが発売されているんです。
— 有名人トリビアを語るりんぱなbot (@RinrinHanayo) June 20, 2017
この出川哲朗の実家の海苔屋の名前は『株式会社 蔦金商店(つたきん)』と言います。本社の所在地は、横浜市神奈川区栄町89にあって、代表取締役は出川哲朗の兄の出川雄一郎なんです。従業員の数は20名で、役員に出川家の人物も入っており、お金持ちというよりは、老舗の伝統的を守るお店のようですね。
出川哲朗の実家は有名
出川哲朗の実家が扱っている海苔を、公式のサイトで見てみるとかなりしっかりとしたもののようです。贈答品としてきれいな筒型の缶に入れられていて、9つ切りの72枚入りが2000円となっています。少し普段買いの海苔としては高級品という感じかもしれません。
それよりもすごいのが、実は出川哲朗の顔が印字された海苔が売られているんです。その海苔は『元気のりのり 焼き海苔』という名前で販売されているんです。8切りが5枚で11袋入って、440円です。これなら、ちょっとしたおみやげとして人気になりますよね。
パッケージは焼き海苔や味付け海苔で、それぞれ違うようですが、この画像のようなパッケージになっているんです。このことから、出川哲朗は実家の海苔屋に協力的なことがわかりますよね。地元の名物の一つになっており、おみやげとして買いに来る人が多いようです。
実家以外にも出川哲朗の身内のすごい話
兄が横浜の実家海苔屋の取締役を務めている以外にも、実は身内に凄い人物がいろいろ存在しているんです。まず、出川哲朗の大伯父は三鬼隆で、日本製鐵・八幡製鐵(現在の新日鐵住金)の元社長なのです。鉄鋼業界の大御所で、実家というより、大伯父がお金持ちといえますね。
大伯父は残念ながら、1952年に日航機もく星号墜落事故で遭難死という悲しい出来事で亡くなっています。曽祖父は三鬼鑑太郎で、実業家であり政治家でした。花巻軽便鉄道の初代社長です。また岩手軽便鉄道の社長でもあります。このように出川哲朗の家系は名門と言っても過言ではないのです。
出川哲朗の実家のPV
劇団員、お笑い芸人という世界を選んだ出川哲朗ですが、その実家はお金持ちの名門だったわけです。また、母方の親戚には『永遠の処女』と呼ばれる戦前、戦後を代表する日本映画黄金期の女優、原節子で、すごい家系なんですよね。
出川哲朗の兄が代表取締役を務める海苔屋のPVも見ることができます。出川哲朗の兄は、たしかに目元がとても似ていますよね。しかも、ちゃんと出川哲朗の実家であることを明かして、兄であることも宣伝していますね。出川哲朗がパッケージになった商品のアピールをしています。
すっかりSNSなどを通して、地元以外でも有名になったためか、取締役として自社の商品をいろんなところで売り込んでいるみたいですね。気になる方は、横浜市神奈川区に行った際は、お店を覗いて見ることをおすすめしますね。かなり気さくに対応してくれるそうです。
出川哲朗は実家の会社役員だった!?
現在、実家の海苔屋の取締役は兄ですが、一時期この海苔屋の取締役のときがあったようです。そのため、古い方の公式サイトを確認すると、役員の取締役のところに、たしかに出川哲朗の名前があるんです。名ばかり取締役だったかは分かりませんが、しっかり商品の売り込みはしていたようです。
よくよく考えてみると、出川哲朗は自分が良いところのお坊ちゃんであることをアピールしていたようです。この動画でも自分が海苔屋の息子で海苔に関しては、知識があることをアピールしていますね。
10種類の海苔の中から、実家の海苔屋の海苔を当てるという企画ですが、なんとばっちり正解しているんです。ちなみに、ちゃんと『海苔』という漢字も書けるようです。また、正解を当てるときも、当てずっぽうではなく、まったく違うものに関しては、海苔を破いただけで、違うものだとはっきりわかっているんです。
出川哲朗は海苔に関する知識をちゃんと持っていた
この企画で、出川哲朗に用意された海苔はスーパーで買えるような安価なものから、高級品まで用意されていたのですが、口にすることなく、破った音、海苔の目などではっきりと当てるほど、ちゃんと目利きが出来ていたんです。
普段はリアクション芸人として情けない場面が多いのですが、この企画では海苔の種類の中に、初摘み(その年の一番始めに取れた海苔)があることも香りで見抜くなど、ただのお金持ちのおぼっちゃんでないことが照明されたんです。
企画の全編はこちらで見ることが出来ますが、正直、普段の出川哲朗とは違うかなりかっこいい出川哲朗が見ることができます。この出川哲朗には、スタジオも驚きでかっこいいと連発でしたね。昔から親しんでいる味とは言え、はっきりと当てているのはさすがに凄いです。
実家の海苔屋の知識もしっかりあった出川哲朗の経歴
出川哲朗の実家に関するすごい話とともに、出川哲朗の海苔に関する知識を再認識したところで、改めてその経歴を振り返って見ようと思います。
出川哲朗が劇団SHA・LA・LAを設立したのは1987年でした。活動は1998年の第18回公演まで行われました。最後の公演内容は『タイタニック』だったようです。その後、出川哲朗や内村光良や南原清隆の仕事が忙しくなったことにより、一時的に活動は休止しました。
2009年に、劇団は再始動し公演を行いました。この劇団は毎年何人かで集まって、そのときの全員が公演をやる気のときのみ、その年の公演を行うことを決めているようです。出川哲朗たちらしい劇団といえるかもしれませんね。
劇団では座長として、ギャラの交渉やスケージュールを管理するなど、しっかりと座長として役職を全うしていたようです。その後、劇団員から俳優として端役になり、あの映画『男はつらいよ』シリーズにも出演していたんです。
ウッチャンナンチャンは、劇団を設立するまえからテレビにお笑いコンビとして出ており、さきに有名になっていました。1990年に『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』でテレビに出るようになったことから、テレビタレントの活動を本格的に始めるようになりました。
出川哲朗の体を張った芸はまさにプロ
その後、ビートたけしの番組に出るようになったころから、体を張った芸を行うようになり、ドッキリ企画などで、そのリアクション芸が高く評価されるようになりました。お笑い番組の中に、リアクション芸人枠を作り出した人間の一人と言えるでしょう。
みなさん今日は暑いですね〜!!そんな暑さに負けない方をお呼びしました!なんと出川哲朗さんのお兄様!創業明治27年の海苔問屋「蔦金商店」の四代目社長であらせられます!
— 東急ハンズ横浜店 (@yokohama_hands) June 10, 2017
「出川哲朗の元気のりのり」シリーズをアツ〜ク販売中です!
マジでヤバイよヤバイよ!!#ハンズ#出川哲朗 pic.twitter.com/XbcGcejerY
汚れキャラ、いじられキャラとして、自分の立ち位置を確立して以降は、良い意味でも悪い意味でも注目されるようになりました。そのため『嫌いな男ランキング』では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までの5年間は連続一位に輝いています。
出川哲朗の結婚には実家も驚いた?
アンケートから殿堂入り扱いされ、対象から除外された出川哲朗。そんな出川哲朗は2004年にまさかのレースクイーンと結婚して、世間を騒がせました。また、プロポーズはテレビ朝日系バラエティ番組『ロンドンハーツ』で放送されました。
嫌いな男のランキング上位なものの、出川哲朗のファンも多く、結婚以降も人気は変わらず体を張っています。意外にも学生時代は中学で水泳部、高校で軟式野球部に所属しており、現在も草野球をするようです。
また、矢沢永吉の大ファンで、出川哲朗の謎のカッコつけたキャラクターは矢沢永吉の影響かもしれませんね。他にも極度の下戸で、まったくと言っていいほどお酒を飲めず、代わりにコーラが大好物など子供っぽい一面もあります。
愛される出川哲朗はこれからもリアクションを取る
出川哲朗の実家話はかなり意外だったかもしれませんね。普段はリアクション芸人として汚れ役を担当するものの、実家は長い歴史を持つ名門だったわけです。実家との関係も大事にしながら、実家も出川哲朗というブランドを有効的に使っているのが素敵ですね。
50代に入り、ヘルニアの手術を何度も受けるなど、身体のメンテナンスを日々行っている出川哲朗。これからも少しでも長く、出川哲朗のリアクション芸が見れることを望みますね。実家の海苔もぜひ、一度食べてみたいものです。
評価 4.6/ 5(合計10人評価)
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