27歳という若さで亡くなった、伝説の女優といわれる「夏目雅子」さんのその半生には壮絶なものがあったようです。化粧品会社のCMでブレイクした夏目雅子さんは、後に結婚する事になる「伊集院静」さんと出会い交際を初めています。しかし伊集院静さんとの交際は一筋縄ではいかず、色々な困難がありました。それを乗り越え結婚した夏目雅子さんは幸せを掴み取りますが、その約一年後今度は病魔が夏目雅子さんを襲い、長い闘病生活がはじまりました。その交際中の困難、闘病生活の裏側とはいったいどんなものだったのでしょう。

目次
伝説の女優・夏目雅子と伊集院静の結婚の壮絶な裏側!と闘病生活
女優として生き、27歳という若さでその幕を閉じた「夏目雅子」さん。美しさはもちろんのこと女優として最後まで生きぬいた壮絶な闘病生活も人々の記憶に残っています。
女優を始めた直後の夏目雅子さんは、その演技の未熟さから最初は「お嬢様女優」として揶揄され美しさ以外は評価されることはありませんでした。しかしある時期からの演技にはそれまでとは違った、「女優・夏目雅子」として様々な賞を受賞するなど評価が一変しています。
また、脚本家でもありプロデューサーでもあり作家でもある「伊集院静」さんとの出会いの陰には、様々なエピソードが隠されているようです。伊集院静さんとは後に結婚はしますが、交際からの7年間は夏目雅子さんにとって決して楽な道のりではなかったようです。
映画やドラマなど女優として油の乗っていた夏目雅子さんは、1984年伊集院静さんと結婚します。決して楽な道のりではなかった伊集院静さんとやっとの思いで結婚でき、そこから幸せな道を歩むはずでした。
しかし、翌年1985年2月に思いもよらない悲劇が夏目雅子さんを襲います。舞台の公演の最中に大きな口内炎ができ、さらに激しい頭痛や目まい、極度の倦怠感に見舞われました。夏目雅子さんはこの時「這ってでも、舞台に出続ける」と女優魂を見せつけ周りが制するのを振り切ろうとしましたが、共演者に促され病院へ直行します。
病院ですぐに検査を受けた夏目雅子さんは、そのまま入院を余儀なくされます。夏目雅子さんの母親である「スエ」さんと結婚した伊集院静さんがつきっきりで看病にあたりました。しかし7ヶ月にも及ぶ闘病生活の後、夏目雅子さんは、亡くななってしまいました。
女優・夏目雅子さんの別れはファンならずとも人々に影響を与え、その若すぎる旅立ちに多くの人が悲しみを覚えています。
そこで、今回は夏目雅子さんと伊集院静さんとの交際や結婚の壮絶な裏側と闘病生活、そして夏目雅子さんの命を奪うことになってしまったその死因について徹底調査してみます。
夏目雅子さんのプロフィール
芸名 夏目雅子(なつめまさこ)
本名 西山雅子
旧姓 小達雅子(おだてまさこ)
生年月日 1957年12月17日
没年月日 1985年9月11日(27歳没)
出生地 東京都港区六本木
出身地神奈川県横浜市中区山手
職業 女優
活動期間 1976年-1985年
配偶者 伊集院静(1984-1985年)
夏目雅子さんデビューのきっかけ
伊集院静さんとの運命的な出会い
小学校3年生の頃から、テレビドラマを見て女優に憧れていた夏目雅子さんですが、芸能界デビューのきっかけは父の友人は紹介されてCMに出演したのがきっかけでした。その後テレビのサスペンスドラマのオーディションを受け、486人の中からヒロインに選ばれ本格的に芸能界デビューしました。
しかし顔は綺麗なものの、その演技はお世辞にも良いものとはいえなかったようで、周りからは悪い意味で「お嬢様女優」というレッテルを貼られています。この時から夏目雅子さんは、「お嬢様」という言葉に酷くコンプレックスを持つことになったようです。
女優として芸能生活をスタートさせた夏目雅子さん。演技の評価は高くないものの、その美しい顔は瞬く間に関係者の目に留まることとなります。
夏目雅子さんは、1977年化粧品メーカーの「カネボウ」のキャンペーンガールに選ばれることになりました。少しセクシーなこのCMは世間の注目を一気に集め夏目雅子の名を一気にとどろかせています。そして後の結婚相手となる伊集院静さんと運命的な出会いを果たしています。
夏目雅子さんCMをきっかけにブレイク
ブレイクのきっかけを作ったのは伊集院静さん
ブレイクのきっかけになったカネボウのCMのディレクターを務めていたのが、後の結婚相手となった伊集院静さんでした。運命ともいえるこの伊集院静さんとの出会いは、夏目雅子さんの芸能性活においてターニングポイントとなった出会いでした。
伊集院静さんプロフィール
本名 西山忠来(にしやまただき)
1950年2月9日
出身地 山口県防府市
職業 作家、作詞家
教育 文学士
最終学歴 立教大学文学部日本文学科
活動期間 1981年-
ジャンル 小説、随筆、作詞
代表作
受け月(1992年)
機関車先生(1994年)
ごろごろ(2001年)
主な受賞歴
吉川英治文学新人賞(1991年)
直木三十五賞(1992年)
柴田錬三郎賞(1994年)
吉川英治文学賞(2001年)
紫綬褒章(2016年)
デビュー作 皐月(1981年)
配偶者 一般人(-1980年)
夏目雅子(1984年-1985年)
篠ひろ子(1992年-)
伊集院静さん来歴・伊集院静さんが立教大学にを受験した理由
伊集院静さんは幼少の頃から野球が好きで、中学、高校とグラウンドで汗を流し白球を追いかけています。伊集院静さんの義理兄は「読売巨人軍」のプロ野球選手で、伊集院静さんもプロを目指していました。
高校の夏休みに義兄を頼りに東京に行った際にミスタージャイアンツ「長島茂雄」氏から、「野球をするなら立教にいきなさい」といわれ伊集院静さんは立教大学を受験する事にしたそうです。
伊集院静さん来歴・伊集院静さんは電通勤務だった?
立教大学文学部日本文学科を卒業した伊集院静さんは、広告代理店である「電通」に入社します。その関係でテレビ関係者と多く繋がりがあり、同社退社後伊集院静さんはCMディレクターになっています。
伊集院静さん来歴・伊集院静さん作家としてデビュー
伊集院静さんはCMディレクターの傍ら、小説を書き「皐月」を発表しデビューしました。その後も様々な作品を世に送り出しています。その伊集院静さんの作品の中には文学賞を受賞したものも多く多くの作品は賞賛を受けています。
伊集院静さん来歴・作詞家としても活躍
伊集院静さんは、「伊達歩」というペンネームで作詞家としても多くのアーティストに詩を提供しています。伊集院静さんが提供した主な作品は、「近藤真彦」さんの「愚か者」などがあり他にも「KinKi Kids」や「中森明菜」さんなど、伊集院静さんが詩を提供した曲は多くあります。
夏目雅子さん伊集院静さん交際の秘密
CMを担当する伊集院静さんと出演者の夏目雅子さんの出会いは仕事上の関係だけにとどまらずに、すぐに交際に発展していったようです。しかし当時の伊集院静さんには奥様と二人の子供がいて、伊集院静さんと夏目雅子さんの交際は、最初「不倫」の付き合いでした。そのような状態でも夏目雅子さんの伊集院静さんに対する想いは、並々ならぬものがあり、この後起こる困難に対しても覚悟を持った態度で伊集院静さんと付き合いを続けています。
実は四角関係だった?夏目雅子さん伊集院静さんの交際
実は伊集院静さんの当時結婚していた奥様以外の交際相手は夏目雅子さんだけではなく、女優の「桃井かおり」さんとも伊集院静さんは交際しており三角関係ならぬ四角関係でした。この時期も夏目雅子さんは取り乱すことなく、伊集院静さんだけを思い続けていたようです。
後の伊集院静さんの手記で明かされたエピソード
後に伊集院静さんは、自身の手記で夏目雅子さんとの交際中や結婚生活について赤裸々に語っています。出会いから別れまでについて書かれているエピソードの中で、もっとも驚かされるエピソードは、交際中に夏目雅子さんが伊集院静さんの子供を妊娠し堕胎していたという驚愕のエピソードが伊集院静さんの手記で綴られています。しかも伊集院静さんの子供を堕胎したのは一度ではなく複数回というものでした。
夏目雅子さん伊集院静さんと結婚
夏目雅子さんが伊集院静さんとの結婚で決めた覚悟
1984年、数々の困難を乗り越え夏目雅子さんは伊集院静さんと結婚します。伊集院静さんは1980年にすでに離婚していましたが、他の女優との関係などいくつもの困難が夏目雅子さんにはありました。その中での伊集院静さんとの結婚は夏目雅子さんにとっては相当の覚悟のことだったようです。初めての伊集院静さんとの出会いから7年の月日が経っていました。
この夏目雅子さんと伊集院静さんの結婚の記者会見が行われた時「新婚旅行にはどこに行きますか?」という質問に夏目雅子さんは、「韓国です」と一言答えていました。在日二世である伊集院静さんのルーツを指すこの言葉に、夏目雅子さんの結婚に対する覚悟が、伝わってくる言葉でした。
夏目雅子さん女優として
映画やドラマ、テレビ番組など順調に芸能生活を送っていた夏目雅子さんは、テレビドラマ「西遊記」で演じた三蔵法師役でさらに人気が爆発しました。そのためバラエティー番組の出演が多くなっていた夏目雅子さんは、本格的に女優生活を送るため事務所を移籍するという決断を下しています。
その後の芸能界での仕事はほぼ女優一本になり、映画やドラマでさらに活躍する事となりました。女優として演技の力も上達していて、この頃には「お嬢様女優」として夏目雅子さんを扱う関係者はいなくなり、女優としての価値を評価され数々の賞を受賞するほどになっています。
夏目雅子さん舞台公演中に倒れる
伊集院静さんと結婚し幸せを掴み、女優としても認められ充実していた夏目雅子さんに思わぬことが訪れます。
舞台公演最中に口の中に10円玉大の口内炎ができ、頭痛や目まい、体の倦怠感が夏目雅子さんを襲いました。それでも女優魂を見せつけ「這ってでも舞台に出る」と言い、休もうとしない夏目雅子さんを共演者が何とか制して病院へ運び込みました。
病院での検査の結果は「急性骨髄性白血病」という、最悪のものでした。すぐに緊急入院の措置がとられ、母であるスエさん、結婚した伊集院静さんも駆けつけて夏目雅子さんのその運命に対峙しています。
夏目雅子さん本人には「極度の貧血」と病名を告げ、長い闘病生活が始まりました。この瞬間から伊集院静さんは、全ての仕事をキャンセルし、夏目雅子さんの看病にあたる覚悟を決めています。
夏目雅子さん闘病生活の始まり
母のスエさん伊集院静さんで看病にあたる
母のスエさんは、夏目雅子さんの芸能界入りにとても反対していて、それは夏目雅子さんの人気が出て活躍してからも続いていました。しかし入院当初から夏目雅子さんの作品を見てはその感想を夏目雅子さんに話しかけていて、それを夏目雅子さんはとても喜んでいたそうです。
伊集院静さんは、その時埋まっていた仕事のスケージュールを全てキャンセルし夏目雅子さんの看病にその時間をあてています。女優である夏目雅子さん、人気作家である伊集院静さん、お互い結婚してから一番長く落ち着いていられた時間かもしれません。
夏目雅子さん闘病中のエピソード
主に抗癌剤を使った治療をしていた夏目雅子さんですが、その副作用の負担はとても大きく髪の毛がどんどん抜けていったそうです。しかし夏目雅子さんは気丈にも「大丈夫よ。私は三蔵法師の役の時から頭の形は褒められていたわ」と振舞っていたそうです。
しかし、治療が長引くにつれて医師から、効果が高いが副作用の強い抗癌剤と効果が薄いが副作用が弱い抗癌剤の選択を迫られた時に、夏目雅子さんは迷わず「副作用が弱い」方を選択していて、女優として髪の毛を気にしたのはもちろんのこと、かなり体には負担があったようです。伊集院静さんも夏目雅子さん姿を見て何も口出しが出来なかったと語っています。
伊集院静さんが夏目雅子さんの闘病中感じていたこと
夏目雅子さんには病名は伏せて治療にあたっていたので、伊集院静さんは病室にテレビを置かないようにしていました。連日テレビのワイドショーでは夏目雅子さんの病状について報道されているので、真実がわからないようにするためでした。
化学療法が行われている時以外は、時間をもてあます夏目雅子さんは伊集院静さんに「テレビが見たい」ことを伝えますが、伊集院静さんは病気の事を知られてしまうことを恐れ、「この病室にはテレビを置けない規則になっている」と告げました。伊集院静さんの言うことには、夏目雅子さんは素直に従っていたそうです。
ある時、治療のために車椅子で病室を出た後、伊集院静さんは隣の病室からテレビの音が聞こえてくるのに気付きました。治療が終わった後、病室に戻ってきた夏目雅子さんは笑顔で伊集院静さんに微笑みピースサインをしたそうです。この時伊集院静さんは「そうか、わかってて全て従ってくれているんだ」と切なく、やるせない気持ちになったそうです。
夏目雅子さん永眠その死因とは?
つらい闘病生活が続きましたが、夏目雅子さんの頑張り、そして母スエさんと伊集院静さんの看病のかいあってか、順調に回復していました。このまま順調に治療が進めば一時退院も可能なところまで来ていたそうです。
しかし1985年8月下旬ころに抗癌剤の副作用等が原因と見られる「肺炎」を併発しました。夏目雅子さんは高熱熱が続いていましたが9月8日にいったん熱が引き大丈夫かと思われました。しかし翌日から改めて高熱が出て意識不明となり27年間の短い生涯に幕を下ろしています。死因に関してのきっかけは、「急性骨髄性白血病」ですが直接の死因は「肺炎」によるものということになります。
後に明らかになった死因である肺炎を併発してしまった原因
夏目雅子さんの死因である「肺炎」を引き起こした原因として、夏目雅子さんが近くでおこなわれている「花火大会」を見たいと言い、やむなく伊集院静さんが屋上に連れていきその時に死因である肺炎を引き起こしたのではないかと言われています。
夏目雅子さんが行っていた抗癌剤治療は、免疫力も著しく低下させてしまいます。そのため屋上に出た時に直接の死因である肺炎になってしまったのではという憶測がなされています。
死因が急性骨髄性白血病ではなく肺炎による高熱というのは、治療が上手くいっていただけに少し残念な気がします。しかし本当に死因の原因である肺炎が「花火を見るため」というのが本当であれば死因がどうであれ、闘病生活の中、女優として女性としての夏目雅子さんの生き方を表しているエピソードかもしれません。
夏目雅子さんが残した功績
夏目雅子さんがなくなった後、夏目雅子さんの遺産を元に母のスエさんを中心に「夏目雅子ひまわり基金」を設立しています。これは抗癌剤治療で髪が抜けてしまった人のために無償で、医療用カツラを貸し出したり、退院後の社会復帰を支援する団体です。
伊集院静さんの現在
夏目雅子さんが亡くなった後は、しばらく表舞台から姿を消していた伊集院静さんですが、しばらくの間、伊集院静さんは喧嘩やギャンブル、酒におぼれる生活をしていたようです。それほどまでに闘病生活を支えた夏目雅子さんのことを処理しきれなかったのでしょう。
TVに作家の伊集院静が出てる。
— 川野隆之 (@lbPBXjeHHqj2gH4) January 23, 2018
先日音楽業界の年上の友人が来たが、彼を舞台監督で使ってたりしてて、ある日結婚相手を紹介したいと云われ会ったら夏目雅子さんだったと云ってた。
彼の小説は読まないと決めてたが読んだら面白かったらしい(笑) pic.twitter.com/SYEw7vppqu
伊集院静さんにとって大きな心の損失となった夏目雅子さんの死は、まともな精神状態を保つことができなかったようです。しかし伊集院静さんも徐々に心の傷から回復して作家業に戻ることができたようです。伊集院静さんは現在、女優の篠ひろ子さんと結婚し仙台にある自宅で過ごしています。
夏目雅子さんの祖父から葬儀で伊集院静さんが言われたこと
夏目雅子さんが亡くなった時に、伊集院静さんは、夏目雅子さんの祖父よりこう言われたそうです。「君は若い。良い女性がいたらさっさと次の家庭を持ちなさい。いつまでも追いかけていたら、周りも不幸になる。それが大人の生き方だから」この時、伊集院静さんは「こんな時に何を言っているのだろう」と思ったそうです。実際葬儀の後、伊集院静さんは半失踪状態になり「喧嘩、ギャンブル、酒」に溺れて自暴自棄になっています。
伊集院 静さん、紫綬褒章いらんかったら断わったらどうですか⁈その方が伊集院さんらしい。高齢の母君に諭され受章する?「海峡」何度も読みました。素晴らしい小説でした。故 夏目雅子さん、篠ひろ子さんといい何故、モテルんか昔、嫁に聞きました「頭の構造が違うアンタとは...?」らしい。 pic.twitter.com/GBkvvgm4gI
— 誰がおっさんやねん。 (@rex41957) November 2, 2016
伊集院静さんが仕事復帰した後でも、この言葉はとても伊集院静さんの心に引っかかっていたそうです。そしてその数年後、今の伊集院静さんの結婚相手である篠ひろ子さんと出会った時にその意味に気付いたと、伊集院静さんのエッセイで語っています。
Tokyo FM @tokyofmの番組『Dream Heart』(http://t.co/hPSk7KD7lg)の収録で、伊集院静さんにお目にかかりました。言葉の一つひとつに力がある。素敵な方です。 pic.twitter.com/n23uXWD6Hl
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) March 27, 2014
夏目雅子さんと伊集院静さんの結婚の壮絶な裏側と闘病生活まとめ
夏目雅子さんの女優としてのその生涯、伊集院静さんとの出会い、壮絶な結婚までの裏側。そして夏目雅子さんの闘病生活や死因の真相について調査してみました。
女優として成功した夏目雅子さんの女優への覚悟と、伊集院静さんに対する覚悟が胸を打ちます。特に伊集院静さんの出会いに対する思いは、最初「不倫」という世間では認められない部分からスタートしています。賛否両論あるでしょうが、それでも伊集院静さんへの思いを貫き通すのは夏目雅子さんの生き方や、最初「お嬢様女優」と揶揄されたことに対しての反発心があったのかもしれません。夏目雅子さんは伊集院静さんとの出会いに後悔は無いでしょう。
27年間という短い生涯、短い女優人生で伝説となってしまった夏目雅子さんですが、その裏では伊集院静さんとの出会いが、伝説の女優・夏目雅子を作り上げたのも事実です。
夏目雅子さんの没後30年以上経っても色褪せないその演技は、今だに多くの人を魅了し続けています。ファンの心にいつまでも夏目雅子さんが残り続けるでしょう。
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