元女優の鮎川いずみさんというと時代劇の『必殺仕事人』や『水戸黄門』などに出演していたことで有名な女優さんです。女優時代はテレビなどで色々なドラマで活躍されていた鮎川いずみさんですが、92年にスタジオ事故を起こしたことが原因となり、芸能界を引退してしまったといいます。現在は何をなさっているのでしょうか?今回は女優時代の鮎川いずみさんの事と、現在のお仕事や旦那さんの事などについてまとめてみました。

目次
「必殺仕事人」などに出演していた元女優の鮎川いずみさんの現在は?
女優の鮎川いずみさんはかつて時代劇「必殺仕事人」の「何でも屋のお加代」役を長く演じた事で有名です。しかし現在は女優は引退されているそうです。今回は鮎川いずみさんが何故女優を引退したのかという原因と、旦那さんの事や、現在何をされているかなどをまとめていこうと思います。
女優の鮎川いずみさんについて
鮎川いずみさんのプロフィール
本名:玉尾 千枝(たまお ちえ)(旧姓:加藤)
生年月日:1951年3月8日(67歳)
出身地:日本・東京都港区榎坂町
活動期間1967年 - 1992年
1967年:映画「また会う日まで 恋人の泉」でデビュー
鮎川いずみさん、25歳以降の尼さん→おねむの怪演は素晴らしい。
— (株)あわぬこ所沢支店 (@awanuko2017) March 31, 2018
そして仕事人では割と出来るマネージャーだった加代を「あぶ刑事」の薫のように破壊して新たなキャラを創造する。
ってか、尼さんとおねむはかわいい゚+.(*ノωヾ*)ャン♪+゚ pic.twitter.com/HPYrqq2P0N
鮎川いずみさんはデビュー当時は「鮎川いづみ」という芸名でした。1967年に映画『また会う日まで 恋人の泉』に出演して、芸能界入りをします。1968年にはミス宝くじ・幸運の女神のメンバーとなって活躍しました。その後、1980年に「いづみ」から「いずみ」に芸名を変更しています。
鮎川いずみさんの主な出演作
「必殺仕事人Ⅰ~V激闘編」(何でも屋のお加代)、「翔べ! 必殺うらごろし」(おねむ)、「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」(秀英尼)、「ザ・ハングマン6」(アイリス)「江戸を斬る 梓右近隠密帳」(お艶)、「江戸を斬るVII」(ひさごお仙)、「大岡越前」(お蓮)「お荷物小荷物」(1970年)「水戸黄門」(ゲスト出演多数)
鮎川いずみさんの代表作・必殺シリーズについて
依頼人に金で雇われ、晴らせぬ恨みを晴らす闇稼業の人間が活躍する時代劇「必殺シリーズ」は、1972年から放映が始まり。それまでの勧善懲悪な時代劇とは打って変わってのダークで泥臭い雰囲気と、闇稼業に身をやつしたアウトローで魅力的な登場人物たちが人気を呼び、長期間続くシリーズとなりました。
ちなみにシリーズ第1作である「必殺仕掛人」のみが池波正太郎先生の小説「仕掛人・藤枝梅安」が原作となっています。
「必殺仕事人」以前の「必殺シリーズ」にも出演していた鮎川いずみさん
「必殺シリーズ」の鮎川いずみさんといえば「必殺仕事人」の「何でも屋のお加代」が有名ですが、「仕事人」以前のシリーズでもゲスト出演を何度もしています。初のシリーズレギュラーとなったのは、1978年のシリーズ第12作「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」の秀英尼役です。
#江戸プロフェッショナル・必殺商売人
— ロック提督@ロアナプラ泊地 (@Teitoku_Rock) May 23, 2018
必殺史上屈指のバッドエンドであったと言っても過言ではなく、中村主水は『仕留人』で義兄弟だけでなく三女を失い『新・必殺仕置人』では人生における親友であった『鉄』までをも失ってしまう…『裏稼業』の持つ『因果』と積み重ねてきた『業』により子供まで失う pic.twitter.com/oarpCh1Lp6
1978年放送のシリーズ第14作「翔べ! 必殺うらごろし」にも鮎川いずみさんは、おねむ役でレギュラー出演をしています。ちなみにこの「飛べ!必殺うらごろし」は幽霊や超常現象を取り扱った、シリーズ屈指の異色作となっています。またオカルトを扱っていたせいか、レギュラー俳優達に原因不明の事故や病気などのトラブルが相次いだことでも有名です。
現在でも人気のシリーズの顔となる「必殺仕事人シリーズ」の誕生へ
異色作だった「飛べ!必殺うらごろし」が視聴率的に大惨敗して打ち切りの憂き目に遭い、必殺シリーズそのものも打ち切りの危機に晒されます。「だったら必殺の決定版にしよう!」とスタッフが考え、舞台を「商売人」の続きとし、「商売人」の最終回で仲間を失った、藤田まこと演じる中村主水を主役に据え、タイトルも第1作を意識して「必殺仕事人」となりました。
こうしてシリーズの原点復帰としてスタートした「必殺仕事人」は放映が延長に次ぐ延長を経て、84回も続く大ヒットなり、必殺シリーズの代表作となりました。とはいっても好評故に内容は大衆向けへと次第にマイルドに路線変更され、それが原因で後に、シリーズ初期のダークでハードな路線と比較され「後期必殺」と揶揄されるようになります。
とはいえど、今でもその人気は高く、「仕事人」はシリーズ中でも続編が数多く制作され、スペシャル番組や劇場映画が何本も制作されるほどの人気を誇っていました。
最初は脇役だった中村主水
普段の家や職場ではダメ旦那、裏では凄腕の仕事人という二面性が人気の主人公・中村主水ですが、シリーズ初期では話の中心にいたのは山崎努さん演じる「念仏の鉄」でした。「新・必殺仕置人」でようやく話の中心に来ますが、「仕事人」以降では表の顔であるダメ旦那の部分が強調され、シリーズがコメディ化していく事態が発生します。
鮎川いずみさん演じるお加代の登場は29話から
「必殺仕事人」にお加代こと鮎川いずみさんがレギュラーになるのは、29話からとなります。路線変更の最中での登場となったので、初登場時は元締めの密偵として、殺しには関与しないものの、結構有能な役回りでしたが、次第にコメディリリーフ的な役回りへとキャラが変わっていきます。
続編となる「新必殺仕事人」以降は「何でも屋」を始め、怪しげな商売や小銭稼ぎをしながら情報を集めて、仕事人たちへの情報提供をするという「情報屋」の役回りが定着します。「必殺仕事人Ⅲ」以降では新レギュラーとなる、ひかる一平さん演じる西順之助とのペアで、ターゲット達を牽制して仕事人たちをサポートする事もしていました。
鮎川いずみさんが主題歌も担当
こうして必殺シリーズのレギュラーとして定着した鮎川いずみさんは、必殺シリーズの主題歌もいくつか担当しています。担当したのは「仕事人Ⅲ」、「Ⅳ」「V激闘編」となっています。「Ⅲ」の主題歌である「冬の花」では日本有線大賞新人賞を受賞しています。
「必殺仕事人V激闘編」の主題歌「女は海」は「組紐屋の竜」役の京本政樹さんのプロデュースによるものです。そしてこの「必殺仕事人V激闘編」が鮎川いずみさんの「何でも屋のお加代」としてのレギュラー出演ラストになります。
レギュラーシリーズ終了後はスペシャル番組に出演
その後は「必殺シリーズ」のレギュラーシリーズ終了後に放映されたスペシャル番組「必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー」出演しますが、この時は仕事人グループの絵日傘を率いる元締「絵日傘の加代」として出演します。(その後絵日傘一味は崩壊し、お加代は情報屋に戻りますが)
その後のスペシャル「必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察」にも出演し、ラストで江戸を去り、以後現在に至るまで、シリーズにお加代は登場せず、最後の出番となっています。
#鮎川いずみ と #野川由美子
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鮎川いずみさん、事故が原因で引退へ
こうして86年の「必殺仕事人V激闘編」までレギュラーを務めた鮎川いずみさん。その後も時代劇の「大岡越前」等に出演していましたが、1992年に事故を起こしてしまいます。(事故の原因は撮影中と言われていましたが、プライベートでのことだったようです。)足を骨折する全治3ヶ月の重傷を負い、それが原因でレギュラー番組の降板を余儀なくされました。
事故が原因で引退を決意する鮎川いずみさん
事故で重傷を負ってしまった鮎川いずみさん。そのまま女優を引退してしまいます。女優業について思う所も色々とあったようで、これについては後にインタビューで「この事故が原因で引退を決意した」と鮎川いずみさん自身が語っています。
引退して再婚、そして現在は?
引退後、会社を立ち上げて、現在は女性実業家に
こうして芸能界を引退した鮎川いずみさんは、その後広告代理店を立ち上げて会社経営を始めます。女性実業家として第2の人生をスタートしてから程なくし、1995年に結婚します。
旦那さんは野村総合研究所元専務
再婚相手である旦那さんは、野村総合研究所元専務の玉尾豊光さん。は芸能人ではない一般の方なので、顔写真などは世の中に出回ってはいませんが、旦那さんとの夫婦仲は良いようですね。ちなみに旦那さんとの間にはお子さんはいないとの事です。
女性実業家としての鮎川いずみさんの現在
現在は化粧品会社「リッチ・ラメラ」を設立し経営
そうして女性実業家として腕を振るう鮎川いずみさんは、2004年に化粧品会社「リッチ・ラメラ」を立ち上げて、現在はその経営に勤しんでいます。鮎川いずみさん自ら商品のプロデュースをするなど、精力的に活動している姿が見られます
女優時代の経験を現在の仕事に活かす
宣伝Vなどでは、女優時代、撮影のために無理なメイクで肌を痛めて、皮膚科の先生などに相談して「自分に合った化粧品」を探して肌荒れを改善した経験などを話し、自分で化粧品をプロデュースする事にした経緯を語っています。この「リッチ・ラメラ」は周囲の勧めで事業化しましたが、軌道に乗るまで10年ほどかかったと、後のインタビューで苦労話を語っています。
ちなみにこの化粧品事業を始めるにあたり、鮎川いずみさんはエスティシャンと管理美容師と調理師の資格を取得したそうです。
現在事業家として第2に人生を邁進中の鮎川いずみさん
女優を引退してから、自ら会社を興し実業家に転身していた鮎川いずみさん。自分で会社を経営していくのは簡単な事ではありません。成功するまでには、きっと並大抵ではない苦労をされていたことでしょう。
鮎川いずみさんは「必殺シリーズ」を「あれほど斬新であれほど愛された時代劇に出させてもらった事は引退した今でも忘れられない」と振り返ります。芸能界から完全に引退した現在でも、「必殺シリーズ」関連の取材には応じているという事なので、その思い入れの強さが伺えますね。今後も新しい人生を更に邁進していって頂きたいですね。
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