伝説的な歌手として、芸能界に未だに根強いファンがいる山口百恵。旦那である三浦友和との結婚の理由が引退の原因だったと言われています。そんな旦那である三浦友和との出会いの馴れ初めはどのようなものだったのでしょうか。山口百恵の共演による出会いから結婚までを紹介します

山口百恵と旦那・三浦友和の馴れ初めは?共演作、出会いや結婚まとめ!

目次

  1. 山口百恵と旦那の三浦友和の馴れ初めとは
  2. 山口百恵の経歴
  3. 旦那の三浦友和が羨ましがられた山口百恵
  4. 山口百恵の旦那の三浦友和の経歴
  5. 山口百恵と旦那になる三浦友和の馴れ初め
  6. 偶然の出会いが素敵な旦那の生まれるきっかけに
  7. 三浦友和の気遣いが山口百恵の旦那へのきっかけに
  8. 山口百恵と三浦友和の『赤いシリーズ』
  9. 山口百恵が三浦友和を旦那に決めた理由は
  10. 1979年山口百恵は三浦友和との関係を告白
  11. 山口百恵を支えた旦那の三浦友和
  12. 21歳という若さで芸能界から引退した山口百恵
  13. 旦那とは対象的に芸能界とは距離を置いた
  14. 山口百恵と旦那のお三浦友和の才能を受け継いだ息子
  15. 旦那である三浦友和は子供を必死に守ろうと奔走した
  16. 近年の山口百恵はどうしているのか
  17. 旦那である三浦友和の活躍ぶり
  18. 山口百恵は家族に囲まれて幸せな日々を過ごしている

山口百恵と旦那の三浦友和の馴れ初めとは

人気絶頂期に突如、結婚を理由に芸能界から引退した山口百恵。引退してから数十年経ったいまでも、好きな歌手として名前があがるほどです。そんな山口百恵は結婚した旦那の三浦友和とどのような馴れ初めから結婚に至ったのでしょう。

歌手として彗星のように現れ、彗星のように去っていった山口百恵。三浦友和との馴れ初めは当時、非常に大きな興味を持たれました。なぜ、三浦友和と出会い、結婚するに至ったのか。いまだに、旦那となった三浦友和を羨ましいと思う人は多いようですね。

最近、アイドルでありタレントとして人気の高かった嗣永桃子が、教師として幼児教育の世界に進むため芸能界を引退しました。この姿を見て、山口百恵の突然の引退を思い出す人も多かったようですね。同じ歌手という共通点もあり、人気絶頂の中で引退する部分など共通点も多かったです。

山口百恵の経歴

歌手の山口百恵は1959年1月17日生まれです。本名は同じで、現在は結婚した旦那の三浦友和の姓を名乗っています。そのため、現在は三浦百恵が本名になります。歌手、女優として活動した人物で、その人気は現在も続いています。

ちなみに作詞を行うときは別名を使っています。山口百恵と旦那の三浦友和のリリースした曲を見ると、何枚かこの名前でクレジットされている作品があるんですよ。

その中で有名なのが、あの歌手の浜田省吾が作曲した『銀色のジプシー』です。この作詞が横須賀恵になっており、山口百恵が初めて作詞した作品なんですね。この頃の山口百恵は、歌う側から作る側に対する新しいチャレンジをしていた時代ですね。

旦那の三浦友和が羨ましがられた山口百恵

東京都渋谷区恵比寿で生まれた後に、神奈川県横浜市瀬谷区、そして横須賀で山口百恵は育ったそうです。1972年にオーディション番組として有名だった『スター誕生!』で、牧葉ユミの『回転木馬』を歌って、準優勝に輝きます。

このときに、山口百恵のスター性を感じ取った各社はこぞって、山口百恵を指名することになります。なんとその数は20社近くあったそうです。当時、山口百恵も同い年の年齢で活躍してた森昌子に憧れた山口百恵。ここから山口百恵はここから歌手としてのスターダスを駆け上がることになります。

1973年4月に映画『としごろ』に出演し、同名のタイトルで歌手デビューを果たしました。このころから山口百恵は、先程の森昌子と桜田淳子とともに『花の中三トリオ』と呼ばれるようになります。山口百恵のキャッチコピーは『大きなソニー、大きな新人』というもので、山口百恵に対する期待の大きさを感じさせるものです。

山口百恵の旦那の三浦友和の経歴

後に山口百恵と結婚し、その馴れ初めが気になる俳優の三浦友和。三浦友和は1952年1月28日生まれの65歳です。山梨県塩山市で生まれた三浦友和は、山梨県の大菩薩峠のふもとを転々と引っ越しする幼少期だったようです。

小学校3年生のころに東京に引っ越すことになった三浦友和、日野高等学校ではあの忌野清志郎と同級生で、毎朝同じバスだったようです。そのため、忌野清志郎が組んでいたバンドRCサクセションとも知り合いでした。このRCサクセションと忌野清志郎との出会いが三浦友和を芸能界の世界に導くのです。

三浦友和は進学校から音楽の道へ

忌野清志郎は才能が無いやつは大学に行けと考えていたようで、三浦友和はそんな話を聞いて自分も音楽で食べていくことを選択してしまうのです。この当時、三浦友和が通っていた高校は進学校であり、進学率は9割以上だったのです。

20歳になってやっとTBS『シークレット部隊』で芸能界デビューを果たします。実は三浦友和という名前は本名ではなく、三浦稔という名前が本名なんです。芸名は先輩俳優だった宇津井健が、このドラマのプロデューサーだった野添和子の名前を取って考えた名前だったんです。

当時の若者は長髪や粗野な格好をするのが流行りだったため、事務所は三浦友和を七三分けの真面目な格好にしてドラマに出演させました。しかし、このことで友人だった忌野清志郎に七三分けの格好を見られて、絶交されかけたそうです。

実はこれは忌野清志郎なりの冗談で、実際は、三浦友和のたった一言しかなかったセリフを何度も真似てくれたそうです。

山口百恵と旦那になる三浦友和の馴れ初め

山口百恵と三浦友和の馴れ初めは、1974年5月のCMで共演したことが出会いでした。二人が初めて出会った場所は、東京の桜の名所である世田谷の砧公園でした。

このときの共演したCMはグリコのCMでした。実はこのCMはグアムですでに撮影が終わっていたものでした。山口百恵は他の共演者とこのCMを撮影したのですが、なんとこのCMはスポンサーから良い評価が受けれず、お蔵入りになってしまったのです。

そのため、CMを急遽撮り直すことが決まったのです。もしかするとこの撮り直しという出来事がなかれば、山口百恵と三浦友和の馴れ初めは生まれなかったのかもしれません。スタッフは爽やかなイメージのある三浦友和に白羽の矢を立てたのです。

また、たまたま有名な俳優のスケジュールが確保出来ない中で選ばれたのでした。しかも、三浦友和を推薦したのは、三浦友和の事務所を退職し、山口百恵のスタッフになっていた人物と、様々な偶然が重なって山口百恵との出会いが生まれたのです。

偶然の出会いが素敵な旦那の生まれるきっかけに

あくまでこの共演は馴れ初めの一つで、まだ山口百恵と三浦友和は交際に発展したわけではありませんでした。三浦友和はこのCMをきっかけに知名度が一気にアップしました。

その後、1974年に山口百恵と三浦友和は映画『伊豆の踊子』で映画初共演を果たします。この作品での共演が二人の距離をぐっと近づけたのは間違いないでしょう。伊豆の踊子は大ヒット映画となり、出演した山口百恵や三浦友和は高い評価を受けました。

悲しいかな、あまりに映画がヒットしたことで山口百恵のスケジュールはパンパンになってしまったのです。寝る時間もほとんどなく、山口百恵はかなり疲労がたまっていたようです。そんな最中、三浦友和と仕事で車移動することになります。

三浦友和の気遣いが山口百恵の旦那へのきっかけに

三浦友和は共演しているころから、山口百恵の仕事による疲労を感じ取っていたようで、山口百恵にゆっくりと眠るように声をかけたそうです。ささやかな一言でしたが、その何気ない気遣いと優しさが、山口百恵の心を温かくしたようです。

1975年に映画『潮騒』で山口百恵は三浦友和と再度共演を果たします。ここから二人は、5年連続で映画に共演することになります。このことで、二人は世間からも交際していると噂され、結婚すると噂されるようになったのです。

二人は東宝の『百友コンビ』と言われるようになったのです。映画業界や事務所も、二人の共演作が立て続けにヒットするので、そういった毎年のように映画が製作されるようになったようです。特に当時は映画業界が下火になりかけだったので、山口百恵と三浦友和の存在はとても重要な存在だったのです。

なんと山口百恵が、伊豆の踊子以降、引退するまで出演した映画13作品中、12作品が三浦友和と共演作という形になるのです。

山口百恵と三浦友和の『赤いシリーズ』

山口百恵はTBSが大映テレビと共同で製作したドラマ『赤いシリーズ』に出演するようになります。このドラマは山口百恵、そして三浦友和の先輩である宇津井健がシリーズの顔といえる作品でした。山口百恵は1974年のシリーズ一作目『赤い迷路』に出演しました。

三浦友和はその二作目の『赤い疑惑』に出演し、テレビドラマでも山口百恵と共演することになります。また、歌手として山口百恵はシリーズの主題歌『ありがとうあなた』を歌っています。その後も三浦友和と共演するとともに、歌手の山口百恵は『赤い運命』や『赤い衝撃』などシリーズの主題歌を担当することになります。

1978年には『NHK紅白歌合戦』で紅組のトリを10代で初めて務めることになります。このように、山口百恵は歌手としても女優としても、芸能界を代表する人物になっていました。しかし、突如、山口百恵は三浦友和との結婚を発表し、芸能界を引退することになるのです。

山口百恵が三浦友和を旦那に決めた理由は

三浦友和は、出会ってから少し経った17歳のころの山口百恵に電話番号を渡していたようです。しかし、17歳という年齢であり、恋に奥手だった山口百恵が電話をかけることが出来たのは、それから半年ほど経った頃だったようです。

そういった経験と、出会いを重ねていくことになる二人は、山口百恵が18歳になったころから交際を始めていたようです。三浦友和からのアプローチに、少しずつ交流を重ねたのが交際の馴れ初めになったんですね。

1979年山口百恵は三浦友和との関係を告白

山口百恵は、1979年10月20日に、大阪厚生年金会館で行われたコンサートで、三浦友和と交際していることを告白します。これはあまりにも突然の交際宣言で、ファンにとっても噂程度で思っていたことが、現実と知り驚かされたのです。

三浦友和も、記者会見で山口百恵との出会いから、交際に至ったことを告白します。そして、翌年の1980年3月7日に、山口百恵は三浦友和を旦那に決めたことを発表し、なんと引退を宣言するのです。

そして、山口百恵は引退までの間に発表されるレコードや公演の予定をファンに告げたのです。この山口百恵の引退前後、共に戦ってきたキャンディーズが1978年に解散、そして山口百恵の引退翌年の1981年にピンクレディーが解散することになります。

山口百恵を支えた旦那の三浦友和

実は山口百恵には複雑な生い立ちがあったのです。父親には本妻以外の別の女性が居て、山口百恵は本妻ではない別の女性の子供だったのです。愛人の娘という立場だった山口百恵は、時々訪ねてくる父親と交流はあったものの、結局離婚はせず、父親には複雑な気持ちを抱いていたようです。

そんな父親はさらに、歌手となった山口百恵の力を利用して事務所から借金をしていたのです。その上、山口百恵を母親から奪おうとまでしていたのです。多額の手切れ金で父とは縁を切った山口百恵。それだけに、結婚というものに踏み切るのは大きな決断が必要だったようです。

三浦友和と出会い、自分は幸せな家庭を築けるだろうかという想いを抱えた山口百恵。しかし、真摯な態度の三浦友和に、結婚に踏み切り、そして芸能界からも引退することを決意したのです。1980年10月5日に日本武道館で引退コンサートを行い、マイクをステージ中央に置いて舞台から去ったのです。

21歳という若さで芸能界から引退した山口百恵

引退を宣言してから、芸能界は慌ただしく山口百恵と三浦友和の姿を追いました。結婚式は1980年11月19日に行われました。披露宴は東京プリンスホテルで行われ招待客は1800人でした。山口百恵の父の席には、ホリプロ社長の堀威夫でした。

こうやって山口百恵と三浦友和の二人の記者会見を見ていると、とてもお似合いですよね。引退後にリリースされた『一恵』は山口百恵が横須賀恵名義で作詞しています。

旦那とは対象的に芸能界とは距離を置いた

山口百恵は三浦友和と結婚して、芸能界を引退したあとは、芸能界とは徹底的に距離を置いています。唯一、芸能界復帰の噂が出たのは、アンルイスに提供した作詞のときだけでした。

1982年にアンルイスに作詞を提供し『ラ・セゾン』がヒットしています。芸能界に山口百恵の復帰を期待する声は、たびたび出ましたが、山口百恵はこの活動以外に芸能界に関わることはありませんでした。

NHKは何度も山口百恵に出演依頼を出しており、特にNHK紅白歌合戦への出演依頼をしていたようです。しかし、山口百恵は引退している身として、その以来を断っています。

山口百恵は芸能界における自分のプライバシーの侵害に相当傷ついていたようです。引退以降もマスコミによる山口百恵の私生活を狙う行為は続き、旦那である三浦友和が人権擁護局に助けを求める事態にまで発展したほどだったようです。

山口百恵と旦那のお三浦友和の才能を受け継いだ息子

山口百恵は引退後、三浦友和との間に二人の子供を授かっています。長男はシンガーソングライターの三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大です。

三浦祐太朗は、バンドとして活動していた中、2011年下らソロプロジェクトを行っています。2015年に母親である山口百恵の曲を披露するなど、改めて山口百恵という存在が注目されるきっかけも作り出しました。

そして、2017年に山口百恵の名曲をカバーしたアルバム『I'm HOME』を発表しています。比較的芸能界では、両親に関わるような発言を避けたり、作品を作ることを避ける子供が多いのですが、三浦祐太朗はあえて、母親の曲をカバーすることに挑戦しました。

三浦祐太朗自身も、両親があまりにも有名だったことから小さい頃からメディアに追いかけることがあり、入園式や運動会など、たびたびトラブルに巻き込まれていました。小学生のときには、自宅に山口百恵のファンを名乗る男が侵入し、自殺しようとする騒ぎも起きていました。

旦那である三浦友和は子供を必死に守ろうと奔走した

兄弟仲は良く、弟の三浦貴大とは時々、一緒に飲みに行くような仲のようです。三浦友和と山口百恵は、二人の子供のプライバシーを守るために本当に苦労したようです。

近年の山口百恵はどうしているのか

山口百恵は引退後は基本的に公の場に姿を表していません。数少ない引退後の動きのある映像として、引退から6年経った1986年の映像があります。当時のマスコミのプライバシーを無視した取材ともいえます。このとき、山口百恵は三浦友和との離婚の噂があり、別居の噂があったんですね。

しかし、山口百恵はすでに主婦業に専念していることから、こういった取材は止めてほしいと困惑したようですね。引退して一般女性になった中でも、唐突な取材に冷静に対応しているあたりが、山口百恵の凄さなのかもしれません。

旦那である三浦友和の活躍ぶり

ドラマでの活躍ぶりが続いていた三浦友和ですが、近年は映画を中心に活動するようになっています。次男の三浦貴大と作品を通しての共演はいまのところありません。

しかし、2011年公開映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』の舞台挨拶のときに共演しているのです。実はこの映画で主演を務めた三浦友和。次男の三浦貴大は同作の第1シリーズに出演していたので、サプライズゲストとして、舞台挨拶に駆けつけたのです。

三浦友和も三浦貴大がゲストだったことは知らず、驚きとどこか恥ずかしそうな姿が印象的ですね。その後も、作品を通しての共演はありませんが、この様子だと近い日に親子共演が見られるかもしれませんね。

山口百恵は家族に囲まれて幸せな日々を過ごしている

山口百恵と三浦友和の馴れ初めから出会いについて紹介しました。伝説的な歌手であり、三浦友和とゴールデンコンビと言われた山口百恵。引退後は母として芸能界から完全に距離を空けるなど、そういった姿がいまだに山口百恵が人気がある理由なんだと思います。

二人の夫婦仲も良く、姉が経営するペンションに家族で定期的に静養に出かけるなど、あの騒がしい日々が嘘のように平和な日々を過ごしているようです。現代でも理想の母に名前が上がるなどその人気と知名度は薄れていないようです!


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