近年にはハリウッドデビューも果たし、国内だけでなく、海外の作品にも出演し、精力的に世界を飛び回っている渡辺謙。1987年の大河ドラマで注目を集め一見順風満帆な華やかな役者人生に見えますが、実は、若くして2度も白血病を発病し、壮絶な闘病生活を余儀なくされていたのです。今回は渡辺謙の白血病の発病から克服、仕事への意気込みなど、現在に至るまでの経過をさまざまな焦点から追ってみていきたいと思います。

目次
役者・渡辺謙の白血病完治復活までの軌跡を追う!
今や国内外で広く役者として名前が知られている渡辺謙さん。順調に有名な作品に出演し、キャリアを重ねていた矢先、突然病に襲われます。渡辺謙さんが病に侵され、完全復活を成し遂げるまでの軌跡を詳しくお届けしていきたいと思います。
渡辺謙 プロフィール
芸名(本名同じ):渡辺謙(わたなべ けん)
生年月日:1959年10月21日
出身地:新潟県魚沼市
血液型:A型
身長:184cm
靴のサイズ:26.5cm
職業:俳優
高等学校在学時には、吹奏楽部に所属し、トランペットを担当し、武蔵野音楽大学を目指したこともありますが、父親が病に倒れたこともあり、進学を断念し、高校卒業と同時に役者を目指し、演劇集団円付属の研究所に入所します。アルバイト先で知り合った猪俣公章の紹介で唐十郎作、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』のオーディションを受け、研究生ながら主演の青年役をつかむことができました。
研修生から劇団員に昇格した後、1984年には『瀬戸内少年野球団』で映画デビューも果たしました。こうして、次々に作品に出演するチャンスをつかみ、スターダムにのし上がっていったのです。
私生活では、1983年に元モデルの由美子さんと結婚し、1984年に俳優の渡辺大さん、1986年に女優でモデルの杏さんと二人の子供にも恵まれました。
白血病発症前の渡辺謙国民的俳優になる
渡辺謙は、1987年に放送された大河ドラマ「独眼竜 政宗」で主演の伊達政宗を演じます。それまで知名度の高くない若手俳優という地位でしたが、この作品により一躍国民的俳優となったのです。平均視聴率39.7%は今だに歴代トップで、2005年に行われたアンケートでも、30年以上経った今でも『最も好きな大河ドラマ』一位に輝くほど皆に愛されている作品なのです。
渡辺謙白血病の病に倒れる
渡辺謙は1989年、自身初主演映画になるはずだった「天と地と」のカナダのカルガリーロケに挑んでいました。しかし、この撮影中に急性骨髄性白血病で倒れ、降板しています。この映画は、角川春樹事務所が総製作費50億を投じだ超大型作品で、渡辺謙は、上杉謙信役で出演する予定したが、急遽オーディションで榎木孝明に代わりました。渡辺謙のこの時の願いは、ただただ白血病の完治、復活だったと思います。
渡辺謙を襲った白血病とはどんな病気?完治できる?
白血病は、血液の癌で、大きく「急性」、「慢性」、「骨髄性」、「リンパ性」に分類されます。症状としては、骨髄で作られる赤血球、白血球、血小板が正常な血液細胞とならずに、癌化し、貧血や鼻血などの出血、血が止まりにくい、免疫低下などの様々な症状をもたらすようになります。白血病かどうかは、血液検査や骨髄検査などで診断します。
白血病は、以前から多くの芸能人も発症していて、夏目雅子さん、本田美奈子さん、市川團十郎さんなどがいらっしゃいます。白血病にかかると、正常な血液が作られなくなりますから、生命を脅かされる病気です。渡辺謙も、このまま仕事を続けるのなら、「保証される生命は一ヶ月」と医者から宣言されたようです。
渡辺謙の白血病完治までの治療方法
渡辺謙は、一年に及ぶ過酷で副作用の強い化学療法をしたのと同時に、抗ガン剤の投与なども受けました。その他白血病の治療方法として、骨髄移植などもあり、渡辺謙も骨髄移植のドナーを探したのかもしれませんが、骨髄移植を受けたという正式な発表はありませんので、骨髄移植をしたかどうかは、確認できませんでした。ただ、渡辺謙のように、「急性」の白血病の場合、進行も早いですから、骨髄移植をすると決めたのなら、早目の行動が必要です。
白血病の治療方法は、骨髄移植や臍帯血移植が完治への最終手段という意識がありますが、移植をしたとしても、治療後5年間の生存率は40-50%で、半分強の方が骨髄移植などをしても亡くなってしまっています。ですから、骨髄移植を受けたとしても受けなかったとしても、他の治療方法に比べ、生存率はあまり変わりません。白血病患者のうち、治療後5年以上白血病が再発しなければ、一般的に完治したとみなされるようです。
日本でも年間8000人もの方が白血病で亡くなっていますが、渡辺謙は、治療後白血病が再発することがなく5年目に入った時、白血病の完治、復活を確信したことでしょう。
闘病中に渡辺謙が愛飲したヤクルトで白血病完治!?
渡辺謙は、闘病中毎日ヤクルト400を飲んで、腸内環境を整えていました。ヤクルトにより腸内環境が整えば、免疫力も自然とあがることは研究でも実証済みです。渡辺謙は、ヤクルトのおかげもあり白血病を克服できたと、ヤクルトのCMにも起用されました。白血病の克服は医療の力や、ヤクルト、また渡辺謙自身の生命力の強さや絶対にまた役者として復活したいという並々ならぬ信念なども関係しているのかもしれません。
ヤクルトと一言に言ってもたくさん種類があるのですが、その中でも乳酸菌シロタ株が入っているヤクルトが癌に効くようです。乳酸菌シロタ株は、胃液などで消滅せず、生きて腸まで届き、腸内環境を整えて、免疫力アップに貢献してくれる菌なのです。ヤクルト400には、従来のヤクルトの倍の乳酸菌シロタ株が含まれています。効果的なヤクルトの飲み方は、食後だそうです。良く振って継続的に毎日飲むと良いようです。
渡辺謙の白血病からの復活
渡辺謙は、完全復活とまではいきませんでしたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰し、定期的に入院治療を続けながら、ドラマ「仕掛人・藤枝梅安」などに出演しました。ただ、アクションなどが伴う役はできませんでしたし、大きな仕事はできませんでした。
渡辺謙の白血病の再発と俳優人生の危機!?
白血病の完治を示す五年後の1994年に渡辺謙は白血病を再発してしまいます。白血病は命にかかわる病気ですし、治療法があると言っても、化学療法は強い副作用を伴うため、渡辺謙は再発で、体も心も折れそうになってしまったに違いありません。しかも、治療の際の輸血にてC型肝炎に感染したりと、俳優人生の危機とも言える状況に陥り、仕事への復活など全く分からない状態でした。
骨髄移植は、いわば最終兵器のようなもので、白血病を再発した人に有効な治療方法なので、この時点で渡辺謙も復活を信じて骨髄移植の申請をしたかもしれません。ただ、骨髄移植を受けたいと思っても、ドナ―が見つからなければ、骨髄移植の手術を受けることができませんし、めでたくドナーが見つかり手術をしても、成功するまでに1か月、移植した細胞をうまく身体に馴染ませていくのに1〜3ヶ月程度と、じっくり治療を進めていく必要があります。
白血病闘病生活と元妻
闘病生活中、渡辺謙と元妻の由美子さんは、副作用などの苦しみや、闘病生活の不安を解消するかのように『釈尊会』という宗教に二人とも入信しました。特に元妻である由美子さんはこの宗教に大変傾倒し、周りの人に借金をしてまで2億円とも言われる多額の寄付をしました。このことがきっかけで、二人は2005年3月に離婚してしまいます。元妻は、献身的に渡辺謙を支えたと言われていますが、いつしか向かう方向がずれてしまったのかもしれません。
渡辺謙の飽くなき役者への意欲
2度の白血病発症にも屈せず、治療を続けながらも、完全完治、復活を目指して役者としても仕事を続けました。ただ、以前演じた「独眼竜政宗」の役があまりにもはまり役であったため、なかなかそのイメージを払拭することができませんでした。病気により、少し吹っ切れた部分もあったのか、イメージを打破するにも、『新・仁義なき戦い 謀殺』のやくざ役を熱演しました。
渡辺謙あの作品との出会いでついに世界進出への道が開く!
白血病の治療は続け、不安はありましたが、渡辺謙は精力的に役者として活動し、チャンスを一つ一つものにしていきました。2003年に放映されたハリウッド映画『ラストサムライ』(The Last Samurai)では、渡辺謙も主人公ネイサン・オールグレンを演じるトム・クルーズと肩を並べて「勝元」役を演じ切りました。この時のオーディションでは英語があまり話せなかった渡辺謙は、英語の猛勉強をし、今では通訳なしでも意思疎通ができるようです。
渡辺謙はこの作品で、ゴールデングローブ賞助演男優賞、ならびにアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、一躍彼の名は世界にとどろきました。他にも小雪や真田広之など多くの日本人が世界の作品に進出するきっかけとなりました。
2010年に放映された『インセプション』(Inception)では、渡辺謙は、日本実業家サイトウ役で、ハリウッドスターディカプリオと共演しています。
渡辺謙は『バットマン ビギンズ』に次いでクリストファー・ノーラン作品に参加しました。渡辺謙は、KEN WATANABEとして、もうすっかりハリウッドスターの仲間入りです。
2014年に放映された、ハリウッド版『ゴジラ』(GODZILLA)にも、怪獣たちの謎に迫る芹沢猪四郎博士役で出演しています。監督のオリジナルにできるだけ準じるような作品にしたいという言葉に、出演を承諾したそうです。2019年には同じ監督から続編にあたる『GODZILLA 2(仮題)』が日本で公開されることが決まっていて、渡辺謙も続投します。原語吹き替え版も渡辺謙が担当しており、『ゴジラ(Gojira)』と敢えて発音することにこだわりました。
2018年7月3日からイギリスのロンドン・パラディウム劇場で上演される「THE KING AND I」(「王様と私」)に、渡辺謙と大沢たかおが出演します。渡辺謙は、2015年にも同作品のブロードウェイ作品に出演していて、トニー賞の主演男優賞にノミネートされています。大沢たかおは、以前NY公演を鑑賞しており、渡辺謙のことは尊敬以外の何物でもないようです。二人の共演は楽しみですね。
渡辺謙白血病発症の経験を作品に生かす
2度もの白血病を発症したことは、辛いことでしたが、悲しいことばかりではありませんでした。2004年に萩原浩による小説で、2006年に渡辺謙主演で映画化された『明日への記憶』への意気込みは半端ないものでした。主人公は若くしてアルツハイマー症を発症してしまうのですが、主人公の病気を受け入れがたく、もがき苦しむ姿に、自身の闘病生活での経験を照らし合わせたと言います。
渡辺謙はこの小説に出会い、萩原浩氏に直接手紙を書いて、映画化を直訴したそうです。また、以前『池袋ウエストゲートパーク』で一緒に仕事をしたことがあり、気心が知れている堤幸彦監督を指名し、映画全体のエグゼクティブ・プロデューサーも務めました。白血病との出会いがなければ、こんなに作品に感化されることもなかったのではないでしょうか。
渡辺謙の白血病克服後の状況
50歳の頃に白血病やC型肝炎など白血病に伴う病気を克服し、順調に話題作品にも出演している渡辺謙。病気の不安も大分と減ったようです。しかし私生活では、お互い再婚でおしどり夫婦として有名だった南果歩と渡辺謙の女性問題がきっかけで2018年5月に離婚しています。
この点は渡辺謙にとっていいのか悪いのか、なかなか判断が難しいところです。というのも、今まで南果歩の希望で日本を拠点に仕事をしていましたが、一人身になり、家族という足かせがなくなった渡辺謙は今後拠点を海外に移す可能性もあります。したがって今後ますますハリウッドでの仕事が増えていくかもしれませんね。
渡辺謙は慈善事業にも積極的
渡辺謙は事前事業などにも積極的に取り組んでいますが、その姿勢は白血病を発症したことも少なからず影響しているようで、目の前に苦しむ人がいれば、とにかくなんとかしたいと体が動いてしまうようです。2011年3月11日に起こった東日本大震災でも忙しい合間をぬり、20か所以上訪問し、物資などを届けているのです。実際に行ってみなければわからなかったことも多く、このような経験、渡辺謙にとっても実に有意義なものになっているようです。
東日本大震災で渡辺謙の生まれ故郷である新潟県も大きな被害を受けました。震災後渡辺謙は元妻南果歩と一緒に被害の大きかった宮城県気仙沼市を中心に被災地を歩き大物俳優とは思えない気さくな行動で、みんなを勇気づけました。そこで出会った人たちとの交流がきっかけで、2013年11月「人が集まりくつろげる場所を」という願いを込めて『K-port』というカフェをオープンし、地元の人との交流を続けています。
白血病を完治し、前に邁進する渡辺謙に注目!
渡辺謙は、現在NHK大河ドラマ『西郷どん』で、西郷隆盛ら幕末に活躍する人物を育てた物語のキーマンである、島津家第28代目当主島津斉彬を好演しています。
テレビの渡辺謙を見て、誰がかつて白血病で生死をさまよった人だったと思うでしょうか!完全復活ですね!白血病を克服し、これからもまだまだ渡辺謙の快進撃は始まったばかりですね!
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