男女ともに愛されている星野源さん。しかし、いつも明るい姿を見せているその姿から想像がつかないくらい人生は順風満帆ではありませんでした。そんな星野源さんの生い立ちを知ることで生き様が見えてきます。そして他にはない彼の魅力が一層引き出されるのです。星野源さんが楽曲に秘めた思いとは一体どういったものがあるのか。星野源さん生い立ちとともに、地獄から這い上がったエピソードなどを調べてみました。

星野源の生い立ちが泣ける!壮絶な闘病生活から家族・現在まで!

目次

  1. 音楽も演技も文章も。才能の塊、星野源さん
  2. 星野源さんはなぜこんなにも愛されるのか
  3. 星野源さんの生い立ち
  4. そんな生い立ちを過ごした星野源さんでしたが
  5. 生い立ちから学んだ「そのうちなんとかなるだろう」ということ
  6. 生い立ちで学んだことや生への執念がカッコイイ理由
  7. 地獄を経験した星野源だからこそ作れる、最高のポップス

音楽も演技も文章も。才能の塊、星野源さん

作り出す曲全てが話題作となるほど、世の中の人々を魅了してやまないヒットメーカーの一人星野源さんは、音楽家としてだけではなく、俳優としてもそして作家としてもその才能をいかんなく発揮しています。すい星のごとく現れた天才星野源さんですが、実は壮絶な生い立ちを経験しているとか。今回は星野源さんの生い立ちや家族そして病気についてなどまとめました。

星野源さんはなぜこんなにも愛されるのか

星野源戦はライブのアンコールでは、布施明さんのモノマネ(?)をした格好の「ニセあきら」として登場してみたり、ライブ中に便意を感じたためライブを中断してトイレにいったりすることもあるとか。後にこの行動はお客さんへのウケ狙いと告白しています。宮藤官九郎さんは星野源さんのことを「思いきりのいい、大胆でバカになれる人」と評価をしています。

星野源さんは下ネタもあっさりとさらっと発言します。そのため嫌らしさは感じないのです。ミュージックビデオなどでもその個性は際立ってます。ライブやミュージックビデオなどを見ると、ダンスのキレもなかなかなもので、歌い手としてまたは作曲家としてだけではなく、エンターテイナーとして自然体で自分を表現するところが星野源さんの魅力といえるのでしょう。

星野源さんのプロフィール

星野源さんは芸名でなく、本名も星野源です。1981年1月28日に埼玉県にある蕨市で生まれましたが、星野源さんの出身地は川口市となるそうです。星野源さんの公式プロフィールによると身長は168cmで血液型ABです。2000年10月に星野源さんは同じ高校出身の同級生らと一緒に、インストゥルメンタルバンドの『SAKEROCK』を結成し、ギターとマリンバを担当しています。

星野源さんは音楽家としてだけではなく、俳優や作家そして映像ディレクターなど多岐に渡る才能を発揮しています。そして、星野源さんはそのどれにおいても比類ない才能を見せています。ちなみに、音楽活動に関する所属事務所はアミューズで、俳優業に関する所属事務所は大人計画事務所となっています。これは星野源さんの芸能活動の経歴に関係しています。

彼女の噂があるけれども・・・

星野源さんはドラマの共演者と度々、カップルではないかという熱愛報道がなされています。その理由としては、星野源さんは記者会見などでリップサービスで、相方の女優と結婚したいですなどと言うからだといいます。その発言から噂が真実味を帯びてしまうそうです。ただし、aikoさんとの熱愛報道はスクープされていたので、彼女だった信憑性はあるかもしれませんね。

星野源さんの彼女ではと噂になった芸能人は何名かいらっしゃいますが、最新の情報で今の彼女は某女優兼ファッションモデルだという噂があります。これもやはりドラマの共演から彼女ではという噂がたったわけですが、ドラマの中で台本には無いキスを星野源さんが迫ったなどで噂に火が付いたとか。いずれにしても新しい彼女がいてもおかしくはないですよね。

星野源さんの生い立ち

多彩な才能を発揮している星野源さんですが、その生い立ちはとういった様子だったのでしょうか。星野源さんの少年時代は、音楽は聞くものの至って普通の子供だったそうです。また、星野源さんは家族とも仲が良かったようで、皿やちゃぶ台などを叩いてちゃぶ台でドラムをするのでドラム教室に通わされていたことがあったそうです。幼いころから音楽に長けていたのでしょうか。

星野源さんの家族

星野源さんの家族構成はご両親と星野源さんの3人家族です。ちなみに、星野源さんのご両親は元ジャズミュージシャンでした。お父さんがピアニストでお母さんがボーカルだったそうで、腕前はプロ並みだったようです。ご両親もプロを目指して活動していましたが、星野源さんが生まれたことにより夢を諦めたとか。プロになっていたら星野源さんとの共演もあったかもしれませんね。

星野源さんが生まれたことでプロを諦めたご両親は、お祖父さんが経営していた八百屋を継ぎ、家族を養う事にしました。星野源さんが小さな頃は休日になるとお父さんがピアノを弾いたそうです。そんな家族に育った星野源さんが音楽の才能に長けるのは当然だったのかもしれませんね。星野源さんの学生時代の彼女も音楽が好きだったのではとか想像してしまいますよね。

ちなみに星野源さんの実家の八百屋は2005年に閉店しています。その後ジャズ喫茶を開店しましたが、そのジャズ喫茶も2016年10月には閉店してしまいました。閉店の原因は星野源さんのファンが押し寄せてきたからだとか。気持ちはわかりますがもったいない話ですよね。今でもご家族と星野源さんでジャズを楽しむことがあるのでしょうか、興味がありますよね。

星野源さんの出身地

星野源さんは出生地は埼玉県の蕨市ですが、出身地は隣の川口市となっています。星野源の出身が蕨市だと勘違いされがちなのはこのためで、出身地としては川口市が星野源さんの公式プロフィールとなります。星野源さんの出身地である川口市は、埼玉県南東部にある中核市です。ちなみに出身地と間違えらえる蕨市は全国の市で面積が最も小さな市だそうです。

星野源さんの出身の川口市は、さいたま市に次いで埼玉県で2番目に人口が多い市となります。また、市の位置的にも荒川を挟んで東京都となっているため、住宅地が広がっているようです。星野源さんはこんな都会ともいえる出身地で育ったことが、現在のお洒落な着こなしなどに繋がってリうのではと考えてしまいます。

星野源さんの出身である川口市が出身の著名人は非常に多くいます。ミュージシャンのCHARAさんの川口市の出身ですし、元女子プロレスラーのブル中野さんやキューティー鈴木さんも同じく川口市の出身です。彼女たちも幼少時代は住宅街に住んでいたのかなと想像すると、何だか不思議な感じがしますが・・・

しかし順風満帆な生い立ちではなかった・・・

小学校は地元の公立学校である川口市立前川小学校に進学した星野源さんですが、学校になじめない少年時代を過ごしたといいます。小学校に入学した星野源さんでしたが、日がたつにつれて顔からは笑顔が消えていったそうです。それまではちゃぶ台をドラムにするなど暖かな家族に囲まれて過ごしていたでしょうから、その気持ちは計り知れません。

そんな小学校生活を送っていた星野源さんでしたが、極めつけとなった出来事が小学校3年生の時に起きてしまいます。それは、体育の授業中に星野源さんはおもらしをしてしまったのです。これをきっかけに星野源さんは小学校でイジメにあってしまうことになります。

元々学校になじめていなかった星野源さんはこのイジメを受けていく中で、パニック症候群という病気を発症してしまいました。パニック症候群というのは、突然起こる激しい動悸や発汗など体の異常が起きるとともに、死んでしまうという強い不安感に襲われる病気です。この病気に星野源さんは高校生の頃まで苦しめられたそうです。

こうした病気を発病してしまったために精神的に追い詰められていく星野源さん。心理的な病気ですのできっかけが無いと回復に向かうのは難しい物だと思います。そうした病気に悩まされながら過ごしていた星野源さんでしたが、高校生の時に病気から立ち直る切っ掛けとなる出来事がありました。

そんな生い立ちを過ごした星野源さんでしたが

いつ抜け出せるか分からない病気に苦しめられていた星野源さんを救ったのは、クレイジーキャッツの『だまって俺についてこい』という歌でした。この歌の中で歌われた『そのうちなんとか、な~るだ~ろお~』という歌詞に、星野さんは心が救われたといいます。子供の頃から家族と楽しんできた音楽が星野源さんを救ったのです。

『そのうちなんとかなるだろう』という歌詞に救われたという星野源さんはこう話しています。「当時の自分は完全に絶望していて、俺はこれから完全に狂ってしまうんだと思ってたときに、『そのうちなんとかなるだろう』ってあの声で歌われたときに、これを信じるしかないというか。」と。星野源さんの生い立ちには、こんなことがあったのですね。

生い立ちから学んだ「そのうちなんとかなるだろう」ということ

苦しい生い立ちから立ち直った星野源さんは2000年10月にインストゥルメンタルバンド『SAKEROCK』を結成し、音楽活動を開始します。また、2003年には『ニンゲン御破算』という舞台に参加します。ちなみに、この舞台を切っ掛けに大人計画事務所へ所属しています。2007年には『テレビブロス』で「細野晴臣と星野源の地平線の相談」で連載が開始されています。

舞台活動や音楽活動などを続けていく星野源さんは、映像制作ユニット「山田一郎」を山岸聖太さんと大原大次郎さんそして星野源さんの3人主宰で、『SAKEROCK』の「ホニャララ」MVを制作すると、2009年の『SPACE SHOWER Music Video Awards』のBEST CONCEPTUAL VIDEO賞を受賞することとなり、映像制作でも才能を発揮していくこととなりました。

2010年になると星野源さんは細野晴臣さんの薦めもありソロデビューを果たします。星野源さんのソロ第一弾アルバム『ばかのうた』をビクター内にある細野晴臣さん主宰のレーベル「デイジーワールド」から発売すると、CDショップ大賞第3回に入選します。2011年10月には第二段となるアルバム『エピソード』を発表、オリコン・ウィークリーチャートで5位などを獲得します。

順調に進んでいたが・・・

2012年12月22日、星野源さんは激しい頭痛に悩まされながらも、『化物』の歌を入れるためレコーディングを行っていました。頭痛をごまかしながらなんとかレコーディングを終えた星野源さんでしたが、終わったとたんに急に目の前がぐにゃっと曲がった感覚があったそうです。そして地面にへたり込みました。星野源さんは『くも膜下出血』で倒れてしまったのです。

ご存知の通り、星野源さんが抱えてしまった病気『くも膜下出血』は死亡率も低くないうえ、病気から回復したとしても寝たきりになってしま可能もある病気です。こんな病気にかかってしまうと自分自身だけではなく、彼女や家族にも大きな負担を与えてしまいます。星野源さんは何とか一命をとりとめることができました。

しかし、本当の苦しみは手術後だったと星野源さんは語っています。それはそれは壮絶な闘病生活となりました。「ほんとうの地獄」は手術の後に待っていたのです。星野源さんは痛みや吐き気、そしてちょとした音や匂いにも神経過敏になってしまいました。さらには、身体中を固定されていて頭も動かせず、食べることや飲むことができない状態で3日間過ごしたそうです。

生い立ちで苦しめられた星野源さんは、再度ここでも苦しみを味わうこととなります。この時星野源さんは、「今すぐにでもベッドの頭上にある窓から飛び降りたい。早く死んでしまいたい。こんな拷問のような痛みはもうたくさんだ」と地獄の底にいる感覚だったといいます。

病気中にもかかわらず・・・

その後、くも膜下出血から回復を見せた星野源さんは、2013年2月28日にJ-WAVEが開催している『TOKYO HOT 100 CHART OF THE YEAR』の授賞式に仕事復帰を果たしました。しかし、同年6月ごろに行った検査でくも膜下出血が再発していることが確認されると再手術を行う事となりました。

手術に成功したものの、苦しい闘病生活が待っていた星野源さんでしたが、ここで生い立ちで経験した『そのうちなんとかるだろう』という考えが思い浮かんだのかは定かではありませんが、美人看護師に座薬を入れてもらう時などは、これはプレイだと妄想したりするなどして、闘病生活を楽しむことに切り替えたようです。星野源さんらしい話ですよね。

そして完全復活へ

苦しいながらも楽しんだ闘病生活を終えた星野源さんは、2014年2月に活動休止時点で延期となっていた武道館のワンマンライブで復活をアピールすることとなります。まさに地獄からの生還といったところでしょうか。苦しい闘病生活にも耐えられたのは、生い立ちから学んだ経験からといえるのではないでしょうか。

療養中はいつも看護師を見ていたという星野源さん。しかも、「もっと、スカート短くならないかな~」とか考えていたそうです。ここまでポジティブな考え方を持てる星野源さん。こういう考え方になれるのも驚きですよね。そんな事を考えていた星野源さんは復帰ライブの日本武道館ワンマンライブにはミニスカナースを登場させてしまうのでした。

看護師として働いていた彼女たちも、まさか星野源さんがこんな考えで闘病生活をしていたとは思っていないかもしれませんね。また、彼女たちのスカートを短くした姿をライブで実現するとは、これまた星野源さんらしいものですよね。でも、きっと心の中では闘病生活に黒を掛けた彼女たちに感謝しているからこその演出だったのだと思いますよね。

生い立ちで学んだことや生への執念がカッコイイ理由

星野源さんの楽曲の中に『地獄でなぜ悪い』という楽曲があります。これは定期検査で入院していた時に星野源さんが病室で歌詞を書き上げたとのこと。この時はまだ検査結果を知らないので呑気に書き上げていたそうです。その検査結果で2度目の闘病生活がきまったわけですが。

星野源さんが書き上げた『地獄でなぜ悪い』の中に「嘘でなにが悪いか 目の前を染めて広がる ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ」という歌詞が出てきます。苦しい生活を送った星野源さんの状況を知れば知るほど、この歌詞は心に響くというか、考えが色々と及んでしまいますよね。本当に色々な気持ちがあったのだと感じ取れます。

生い立ちを糧に作り出された曲は心に響く

星野源さんの他の楽曲も、自分の人生観からくる歌詞がちりばめられています。これは壮絶な生い立ちを送った星野源さんだからこそ書ける歌詞だといえます。しかも、『そのうちなんとかるだろう』という教訓が曲のテンポや雰囲気に表れていて、苦しい歌詞でもそれを感じさせないアップテンポな曲となっていて、これがまた聞くものの心に響くわけです。

星野源さんはインタビューで、「日常の厳しさとか、それを受け入れて進んでいこうっていうことって、もう初期装備なんじゃないかと。あえて言わなくてもみんな頑張って生きてるぞと。自分が倒れたこともあって、もう確信に変わったんですよね、「やっぱり全部そうだったわ」と。生きるとか死ぬっていうことに対しての感覚、やっぱり俺は全部合ってた」と話しています。

数々の地獄を見てきた星野源さんだからこそたどり着いた楽曲へ対する境地とでも言えるのではないでしょうか。こうした数々の経験からくる奥深さと、子供の頃から培ってきた音楽センスが相まって作られる星野源さんの楽曲が、ヒットしないわけがないのかなと感じました。

地獄を経験した星野源だからこそ作れる、最高のポップス

その生き様を知れば知るほど、その魅力が高まっていく星野源さん。多彩な才能で色々なシーンで活躍している星野源さんですが、まさに彼こそが現代のポップスターと家べき存在だといえるのではないでしょうか。これからも星野源さんが作り出す最高のポップスを楽しみにしたいですね。


評価 4.9/ 5(合計10人評価)

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