「K-1」などで空手を駆使して活躍し、90年代に大人気だった元格闘家・ 怪獣王子こと佐竹雅昭さん。格闘技以外にも、ラジオ番組やバラエティ番組などに出演して活躍されていましたが、格闘家を引退してしまった現在は一体何をされているのでしょうか?今回はそんな佐竹雅昭さんが格闘家時代に、一体どんな活躍をされていたか、そして現在の様子や、お仕事、結婚されているのかなどについて色々とまとめてみました。

格闘家・佐竹雅昭の現在は?引退後の活動や現役の頃のファイトマネーを調査!

目次

  1. 90年代に活躍していた元格闘家、佐竹雅昭さん
  2. 格闘家・佐竹雅昭選手について
  3. 佐竹雅昭選手が獲得した主なタイトル
  4. タレントとしても活動していた佐竹雅昭選手
  5. 特撮も大好きな佐竹雅昭選手
  6. 佐竹雅昭選手の現役時のファイトマネーは?
  7. 佐竹雅昭選手の引退
  8. 引退原因の一つと言われるパンチドランカーとは
  9. 引退後~現在の佐竹雅昭さん
  10. 現在は「平成武師道」の総長として活動中
  11. 選挙に出た事もある佐竹雅昭さん
  12. 佐竹雅昭さんは現在結婚しているの?
  13. 現在も「闘志天翔」を座右の銘として

90年代に活躍していた元格闘家、佐竹雅昭さん

元格闘家の佐竹雅昭さんといえば、90年代に「怪獣王子」の愛称で親しまれ、K-1やリングスなどで活躍されていた方ですね。2002年に引退されてから、現在は何をしているのでしょうか?

今回は格闘家時代の佐竹雅昭選手がどれだけ強く、どんな活躍をしていたのかと、現在の様子やお仕事、結婚などについて解説していく事にします。

格闘家・佐竹雅昭選手について

佐竹雅昭選手のプロフィール

生年月日:1965年8月17日(52歳)
出身地:大阪府吹田市
身長:187cm
体重:105kg
格闘スタイル: フルコンタクト空手、キックボクシング
通称:掟破りの空手家、怪獣王子

佐竹雅昭選手は中学時代に空手家の大山倍達氏に感銘を受け、空手の道を志します。その後、17歳時に大阪天満にある正道会館総本部に入門し2年で黒帯を取得します。

大学を卒業した後、TV局の就職が決まっていましたが、その内定を蹴って正道会館の職員になったといいます。その後プロ格闘家として活動し、K-1やリングスなどに参戦して、90年代の格闘技ブームを盛り上げる立役者となっていきます。

佐竹雅昭選手の練習量は人1倍

佐竹雅昭選手は人一倍練習をする事でも有名で、引っ越しのアルバイトの時はわざとエレベーターを使わずに階段で荷物を運んで足腰を鍛えたり、夏場はプールの監視員をする傍ら、水中で蹴りの練習などをしていたそうです。(プールの件は流石に客から苦情が来たそうですが)

そうして鍛えられた佐竹雅昭選手のローキックの威力は物凄く、対戦相手から恐れられていました。同じ格闘家であるピーター・アーツやアーネスト・ホーストも「K-1選手の中でもトップクラスの破壊力」と恐れていたといいます。

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佐竹雅昭選手が獲得した主なタイトル

ISKA世界ヘビー級王者、UKF世界ヘビー級王者、KICK世界スーパーヘビー級王者、全日本空手道選手権6回優勝(3連覇達成)、K-1 GRAND PRI '94 準優勝、K-1 JAPAN GP '97 '98 優勝

タレントとしても活動していた佐竹雅昭選手

佐竹雅昭選手はメディアに出る機会が多く、タレントとしては主にバラエティやクイズ番組、ドラマやCMなどを中心に活動していました。

ゲームが大好きな佐竹雅昭選手

特に根っからのゲーム好きが高じて、ゲーム系ラジオ番組の司会や、ゲーム雑誌でのコラムの連載、アニメ版「餓狼伝説」ではメインキャラの一人であるジョー東役で出演するなど、ゲーム関連の番組には数多く出演していました。

映画にも主演

佐竹雅昭選手の芸能活動は映画にも渡り、格闘ギャグ漫画を実写化した映画「1・2の三四郎」では主人公の三四郎役に大抜擢されました。

特撮も大好きな佐竹雅昭選手

あと佐竹雅昭選手を語る上で外せないのは、佐竹雅昭選手が大の特撮好きであるという事です。「怪獣王子」のニックネームが示す通り、試合の時の入場曲も映画「ゴジラ」使われた「怪獣大戦争マーチ」でした。

現在も特撮好きは変わらない

プロレスラーのスペルデルフィン選手や獣神サンダーライガー選手など、格闘技界での特撮好きは割と多いようで、佐竹雅昭選手もその一人だったようです。特に怪獣のフィギュアなどを集めるのが好きだったようで、後に佐竹雅昭選手自身が監修した怪獣フィギュア「佐竹雅昭コレクション」が発売されています。

引退した現在でも佐竹雅昭さん自身のTwitterでは、怪獣の話をしたり、お気に入りの怪獣フィギュアの写真を頻繁に上げていたりします。

現在でも結構なコレクター気質

怪獣関係は勿論、その他にも佐竹雅昭選手は結構なコレクター気質の持ち主で、先の怪獣フィギュアだけでもゆうに1万体以上を所有しているといいます。それ以外には漫画本も「気に入ったタイトルは大人買いしてしまう」性分との事なので、その数実に5000冊以上も集めているといいます。

本人曰くこれらのコレクションには億単位の金額を使っているとの事です。この物凄いコレクター気質は現在も健在との事です。

佐竹雅昭選手の現役時のファイトマネーは?

90年代こんなに大活躍だった佐竹雅昭選手ですが、現役時のファイトマネーは一体いくらほどだったのでしょうか?佐竹雅昭選手本人が語るところによりますと、k-1デビュー当時は大体100万程度だったといいます。その後の格闘技ブームで人気が出てくると、1000万円ほどに上がったそうですが。

2000年から参戦したPRIDEでは「2500万でどう?」と打診したらあっさりOKが出たそうですが。いずれにせよ、全盛期にはかなり稼いでいたことが伺えます。

佐竹雅昭選手の引退

こうして格闘技とタレント活動に明け暮れていた佐竹雅昭選手ですが、次第に怪我も増え、満身創痍状態となっていて2002年に現役を引退します。現役末期から格闘家の宿命ともいえるパンチドランカーにも悩まされていたとも言われています。

引退原因の一つと言われるパンチドランカーとは

格闘家の宿命ともいえる、パンチドランカーとは、正式には慢性外傷性脳症と呼ばれる高次脳機能障害の一種です。 これは打撃などで頭部への衝撃が蓄積することが主な原因だとされています。

パンチドランカーの主な症状としては、 呂律がまわらなくなったり、物事が忘れやすくなる、記憶が怪しくなる ・手足の止めることが出来ぬ震えが起きる、長時間物事に集中が出来なくなるなど、酷くなると日常生活すら困難になるという恐ろしい病です。

佐竹雅昭選手の場合は?

佐竹雅昭選手の自伝である「まっすぐに蹴る」で自身にパンチドランカーの症状が出ている事を告白し、かなりの重症であるという説もあった佐竹雅昭選手ですが、後のインタビューで「実はパンチドランカーではなかった」と語っています。

現在では後遺症は出ていない

当時の事を「現役当時は医者に『(試合を)このまま続けていたら30歳でアルツハイマーになるよ』と忠告されましてね。試合で脳が揺れ動いたりして、それで死の瀬戸際が4回あっただけですよ。」とあっけらかんと答えたという佐竹雅昭選手ですが、実際パンチドランカーに近い症状は出ていたので、危険な状態ではあったと思われます。

現役当時「試合後は絶対安静にしてもらわないと困る。誰かに付き添ってもらって、あの世に逝かないように看てもらってください」と医者から注意されていた佐竹雅昭さんですが、現在では、幸いな事に生活に著しく支障をきたすような大きな後遺症は出ておらず、日常生活を普通に送ることは出来ているようです。

引退後~現在の佐竹雅昭さん

そうして格闘技ブームを駆け抜けていった佐竹雅昭さんは引退した翌年の2003年に、「総合打撃道」を掲げ京都に「佐竹道場」を構えます。

「平成武師道」を設立

更に2007年には武士から武師へ、士(さむらい)から師(心の拠りどころ)へと置き換え、日本人として心の真ん中に据えるべき「義」を探求するために創設したという、礼節を重んじる人間活塾「平成武師道」を設立します。

現在は「平成武師道」の総長として活動中

佐竹雅昭さん、現在は月に1週間は京都に滞在

佐竹雅昭さんが立ち上げた、「平成武師道」では365日、一日一社長に会うことを目的とした「社長数珠つなぎ」を敢行しています。現在も月に1週間は京都に滞在し、経営者向けの勉強会等を開き、社員研修や大企業の顧問をこなしているといいます。

お寺さんを和解させて現在まで続く「無我の会」立ち上げ

そうして現在は「平成武師道」の総長として活動し、各地で講演などを開いたりしてる佐竹雅昭さんですが、なんと宗派の異なる西本願寺と東本願寺のお坊さんに「年に1回は顔を合わせる場を」と呼びかけて、現在まで続く「無我の会」を立ち上げてしまいます。

そして現在、天台宗や曹洞宗など多くの宗派を含む約140人の大規模な交流会に成長させてしまいました。佐竹雅昭さん曰く「どんなにいがみ合っていても、そこは人間同士、酒を酌み交わせば仲良くなります。(中略)お坊さんも空手家もケンカするのは一緒。皆同じ人間ですね」との事です。現在でも年1回の会合が開かれています。

何故か死亡説が出てしまう

そんなわけで現在もお元気でいらっしゃる佐竹雅昭さんに、なぜか死亡説が流れたことがありました。2000年あたりに「本物の佐竹雅昭は数年前に実は死んでいて現在出ているのはそっくりなニセモノである」という噂がネットの掲示板などでまことしやかに囁かれていました。

言うまでもなくこれはまったくのデマでしたが、この噂の原因は1994年、オーストラリア人空手家サム・グレコとの一戦で強烈な右フックを受け、病院送りにされたことからではないかといわれています。佐竹雅昭さん本人も「生死の境を彷徨った」振り返ってたぐらいの出来事です。

選挙に出た事もある佐竹雅昭さん

このように「平成武師道」の総帥として活動し、現在も邁進している佐竹雅昭さんですが、2013年に参院選に自民党候補として出馬した事があります。

結果はあえなく落選でしたが、佐竹雅昭さんは「必ずしも自分が選ばれる必要はありませんし、チャレンジするには時期尚早だと思っています。」と再び選挙に挑戦する意欲を見せていました。しかし今現在に至るまで、選挙への立候補はしていません。

佐竹雅昭さんは現在結婚しているの?

引退後の現在でも忙しい毎日を送っている佐竹雅昭さんは結婚されているのでしょうか?メディアなどでは全く話題になりませんが、インタビューなどで「ゲームやりすぎて奥さんに怒られた」という話もしているので、結婚した時期などは不明ですが、現在では結婚はされているようです。

しかし結婚の事は現在に至るまで、メディアなどに一切話題に出ない所を見ると、どうやら結婚相手の方は芸能人ではない一般女性のようです。一部で離婚したのでは?という噂もありましたが本当のところは不明です。

現在も「闘志天翔」を座右の銘として

ここまで格闘家・佐竹雅昭選手と引退後の佐竹雅昭さんについて、色々と解説してきましたが如何でしたでしょうか?

この「闘志天翔」という言葉は佐竹雅昭さん自身が作った造語で、「運命を己で切り開き、人生という闘いを通して更なる高みを目指す」という意味で、現役時代から現在に至るまでの座右の銘だそうです。これからも更なる人生の高みを目指して頑張っていくのでしょう。


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