歌手の桑田佳祐と長渕剛が犬猿の仲だって知っていましたか?なぜ二人は不仲になってしまったのでしょう。桑田佳祐と長渕剛はとある喧嘩が原因で確執が生まれ、そこから仲が悪い状態になってしまったようです。そんな桑田佳祐と長渕剛に起きた喧嘩について紹介します。

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桑田佳祐と長渕剛が不仲だった!?
芸能界において犬猿の仲と呼ばれる人たちがいます。時には共演NGとしてスタッフの中に情報が出回ることもあるようです。最近でも松本人志がとある人物と共演NGになっていたという話も流れましたが、本人はまったく事実無根だと否定していましたよね。
ときにはそのように本人たちの知らないところ不仲説が流れて確執が生まれてしまうこともあるようですが、歌手の桑田佳祐と長渕剛が仲が悪いと噂されているのです。
確かに歌手である桑田佳祐と、長渕剛は音楽のジャンル的にいえばま反対ともいえます。しかし、それでも確執が生まれるほど二人の仲は悪いのでしょうか。喧嘩するほど仲が悪いと言われる桑田佳祐と長渕剛の不仲説について紹介します。
桑田佳祐と長渕剛の間に何があったのか
桑田佳祐と長渕剛が出会ったのは1983年のころだと言われています。このとき出会ったのはとある飲み屋だったようです。このときはお互い酒を飲み交わし、不仲とは程遠い楽しい飲みになったようです。
桑田佳祐はその後、長渕剛をライブに誘うほど、二人には確執なんてまったく無かったようです。それだけに、現在噂される確執や喧嘩が起きるような状況ではなかったようです。
桑田佳祐の経歴
桑田佳祐は1956年2月26日生まれの61歳です。神奈川県茅ケ崎市出身です。桑田佳祐の父親は茅ヶ崎で映画館を経営していたそうです。そんな桑田佳祐は姉である桑田えり子の影響を受けて、音楽に興味を持ったそうです。
桑田佳祐の姉は当時、大流行していたイギリスのロックバンド『ビートルズ』のレコードを集めており、桑田佳祐は、その姉のレコードを聴きあさっていたそうです。また、ビートルズ以外に、エリック・クラプトンやボブ・ディランなどの洋楽を聞きながら育ったそうです。
姉は桑田佳祐が歌手となって以降も桑田佳祐の音楽を支えており、桑田佳祐のソロやサザンの曲に作詞として何度か協力しています。桑田佳祐自身も作詞に息詰まると姉に電話して相談することがあるようです。
プロボウラー並にボウリングがうまい桑田佳祐
桑田佳祐の意外な特技ってみなさんご存知ですか?実はあのプロ野球選手で中日の監督を務めた落合博満と同じく、あの競技が本職の人と同じレベルにうまいんですよ。
桑田佳祐は中学生ごろから本格的に音楽活動を開始しましたが、同時にパシフィックホテル茅ヶ崎のボウリング場でジュニアボウラーとしても有名だったそうです。アベレージは200以上あり、ボウリング大会の公式最高記録は297という記録を持っているそうです。
そのため、桑田佳祐は歌手になるという夢よりも、プロボウラーになるという夢を持っていたと言われています。実際、まわりの人間も桑田佳祐はプロボウラーになると思っていたようです。
桑田佳祐は明治大学と青山学院大学に合格
鎌倉学園高等学校に在学し、英語が得意な学生だったようです。そのため明治学院大学と青山学院大学に合格し、青山学院大学に進学する道を選んだようです。大学の音楽サークルに所属し、本格的にバンド活動を始め、いろんなバンドを結成したようですが、1976からは『サザンオールスターズ』というバンド名を使用してたそうです。
このバンド名を使用したころには、バンドメンバーも固定され、1978年6月25日にビクター音楽産業より『勝手にシンドバッド』でメジャーデビューしました。桑田佳祐は音楽活動に熱中しすぎたのか、大学を一年留年したのちに、学費滞納により1978年に除籍処分となっています。
桑田佳祐と同じくバントに参加してた、大森、関口、原のうち、結局、青山学院大学を卒業できたのは関口と原だけのようです。20代でありながらステテコ姿という変わった風貌など、当時から桑田佳祐のバンドは変わった格好で注目を集めていたようです。
桑田佳祐はあと一歩でドリフのメンバーに
そのため、桑田佳祐たちはデビューしてまもないころは、いわゆるコミックバンドと言われる一発芸バンドのような扱いをうけていたようです。桑田佳祐自身、物まねを披露するなど、歌手としては異質な存在だったようですね。
幸か不幸か、そのことからバラエティ番組『8時だョ!全員集合』や『スターどっきりマル秘報告』に出演することになりました。そんな活動をしていたためか、ザ・ドリフターズのいかりや長介が、ドリフターズから脱退することを希望していた高木ブーのかわりに、桑田佳祐を加入させようとして直接話し合ったなんて逸話もあるんです。
1982年にはサザンオールスターズのメンバーである原由子と結婚しています。桑田佳祐は、当初は原由子の友人を狙っており、原由子の容姿などは冗談で馬鹿にしていたこともあるようです。しかし、原由子と話してみると洋楽の話ができることを知り、そのまま意気投合したそうです。
長渕剛から桑田佳祐に喧嘩をふっかけた
二人に喧嘩が起きたのは、1988年に長渕剛がドラマ『とんぼ』に出演したとき、サザンの『みんなのうた』を聞いた長渕剛、その曲を消すように言ったそうです。桑田佳祐も何事かと思って話しているうちに言い合いになって喧嘩になってしまったそうです。
桑田佳祐はそれから6年後に『祭りのあと』というシングルをリリースします。このB面に収録された桑田佳祐の『すべての歌に懺悔しな!!』という曲がさらに喧嘩をエスカレートさせました。
この曲の歌詞では、桑田佳祐はテレビに出演しないと言っていた長渕剛がドラマに出演していることを名指しではないもの批判しており、これには長渕剛も大激怒することになったのです。桑田佳祐は歌で長渕剛を批判したというわけです。
喧嘩がエスカレートした長渕剛の経歴
長渕剛は1956年9月7日生まれの60歳です。鹿児島県鹿児島市で生まれた長渕剛はシンガーソングライターとして、特に熱い男性たちから支持を受けています。
長渕剛の両親は二人とも警察官だったようです。兄は乳児期に病気で亡くなっており、姉が一人いるそうです。長渕剛自身も出産後まもなくしてインフルエンザにかかり生死をさまよったそうです。長渕剛はいまのイメージと違って、小さい頃は体がよく喘息発作を起こして、病院によく通っていたそうです。
そんな長渕剛にとっての楽しみは音楽を聴くことだったそうです。同郷出身のシンガーソングライターの吉田拓郎などのフォークソングを好んで聞いていたそうです。中学三年のころにガットギターを購入し、それらの曲をコピーしていたそうです。
大学は九州産業大学芸術学部に入学、大学祭の前座で初めて舞台の上に上がったそうです。友達とフォークソンググループを結成し、ステージでの活動を開始、場末のバーなどでオリジナル曲を披露する日々だったようです。
長渕剛の下積み時代は悲惨なものだった
しかし、このころの生活は悲惨なものだったようで、ビール瓶や灰皿が飛んできたり、泥酔した客がやくざから絡まれながら演歌を歌うことを強要されたそうです。長渕剛はそれでも、その状況には負けずに自分の歌を歌い続けたそうです。
鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科を卒業して上京、最初は世田谷区の新代田にあるアパートで生活していたそうです。
長渕剛といえば『純恋歌』
1976年にヤマハの音楽コンテストに出場。『雨の嵐山』で入賞し注目され、翌年にビクター・レコードよりシングルをリリースしています。しかし、このときレコードはまったく売れなかったそうです。しかし、1978年に『巡恋歌』を発表し、東芝EMIから再デビューを果たしました。
このころから同じくシンガーソングライターであった南こうせつや庄野真代らとコンサート活動を行うようになりました。1979年に吉田拓郎のコンサートに特別出演。観客から罵声を浴びる中で歌い上げ、最終的には拍手喝采を浴びることになります。
長渕剛は喧嘩っぱやいのか
1981年に女優の石野真子と結婚。仲人には吉田拓郎・浅田美代子夫妻が務めました。しかし、この結婚生活は長続きせず、1983年には、長渕剛のDVが原因が言われ破局しています。
1986年に映画『親子ゲーム』、1987年に映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』で共演した志穂美悦子と再婚しました。馴れ初めは、親子ゲームの撮影中に彼女が左手小指を骨折したときに、病院に連れ添ったのが馴れ初めとなったようです。
志穂美悦子は、長渕剛の意向で芸能界を引退し専業主婦として長渕剛を支えることを選びました。1988年3月17日に長女を出産、その後2男1女を授かりました。しかし、またもや長渕剛のDVをふるっていたようですが、彼女が極真空手の経験者だったころから、むしろ長渕剛がやられてしまったというエピソードがあります。
仲の悪い二人は関係修復不可能
そんなそれぞれの歌手人生を歩んでいた桑田佳祐と長渕剛。なぜこの二人に確執が生まれて不仲と言われるようになったのか、という理由にはこのような理由があったんですね。
お互い歌手としてそれぞれの活動に関わるような機会は少なかったように見えたのですが、歌手としてプライドがあるだけにちょっとしたことで仲が悪い状態になってしまったのです。
長渕剛はその後も桑田佳祐のことを批判するようなことを繰り返し、二人の仲の悪い状態は修復不可能になってしまったのです。桑田佳祐は、その行為をずっと我慢していたのに、あんな歌を出したのは、我慢の限界だったんでしょうね。
しかし、そもそもなぜ長渕剛は桑田佳祐の曲が流れたことを最初にいやがったのでしょう。この原因がわかれば、桑田佳祐と長渕剛の喧嘩の本当の理由が見えてきます。
桑田佳祐と長渕剛の思い違いが不仲の原因
不仲であり確執が生まれたことは自然と噂が広まりました。不仲の本質には、二人が仲良くなったきっかけだったあの誘いがあったようです。桑田佳祐はサザンのライブに長渕剛がゲストで出るつもりで、長渕剛はサザンと長渕剛でライブをやるつもりだったようです。
そのせいで、長渕剛はサザンの前座のような扱いを受けてしまったのです。そして、アンコールで登場した長渕剛に、テンションがあがった桑田佳祐が、長渕剛の頭にビールをかけてしまったのです。これが二人の長年に渡る確執の原因だったんですね。
桑田佳祐と長渕剛は表面上和解したが…
最終的に桑田佳祐が、長渕剛のファンクラブの解放で謝罪文を掲載したことで表面上は和解したことになったようですが、それぞれのファンの間では、いまだに二人は完全に和解できていないというのが、もっぱら噂になっているようです。
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