元フジテレビ看板女子アナで「アヤパン」の愛称で親しまれている高島彩さん。現在はフリーアナウンサーとして活躍中です。その高島彩さんはゆずの北川悠仁さんと結婚して、現在は2児の母でもあります。子供と夫の4人で幸せな家庭生活を送っている高島彩さんですが、実は死産と流産という悲しい経験をしていたことを本で明かしています。そこでこのまとめでは、高島彩さんが本で明かした死産という悲しい過去と現在の子供について紹介します。

目次
高島彩が本で明かした死産という悲しい過去!
大人気女子アナの高島彩
高島彩さんといえば2000年代にフジテレビの看板アナとして大活躍し、好きな女子アナランキングでは過去に何度も1位を獲得していた大人気女子アナです。ルックス、実力ともに女子アナ界ナンバーワンとも言われましたが、2010年にフジテレビを退社しフリーになっています。その翌年の2011年にゆずの北川悠仁さんとの結婚を発表しました。
高島彩が死産を経験していたことを告白
高島彩さんは現在、2人の子供を持つ母ですが、実は過去に死産という悲しい経験をしていたことを本で明かしています。子供の死産について、あれほど泣いたことはないと語っている高島彩さんですが、他の人のブログを読んで予想以上に流産を経験している人が多く驚いたと話しています。そこで高島彩さんが自身の本で明かした死産という悲しい過去や、高島彩さんの現在の子供について紹介していきます。
高島彩のプロフィール
本名:北川彩(旧姓:高島彩)
ニックネーム:あやぱん
誕生日:1979年2月18日
出身:東京都世田谷区
最終学歴:成蹊大学法学部政治学科卒業
職業:アナウンサー、タレント
所属事務所:フォニックス
高島彩さんは1979年に東京で誕生し、現在39歳です。2人兄弟の長女で3歳上のお兄さんが1人います。お兄さんは以前俳優をしていましたが、現在は芸能界を引退しています。高島彩さんの父は俳優の「竜崎勝」さんです。その父は高島彩さんが5歳の時に44歳の若さで亡くなっています。父の記憶はほとんどないという高島彩さんですが、今でも節目節目でお墓参りは欠かさないそうです。
高島彩さんは成蹊小学校に入学し、そのままエスカレーター式で成蹊中学校、成蹊高校、成蹊大学に通っています。中学時代はバスケットボール部に所属していた高島彩さんですが、高校時代はラグビー部のマネージャーをしています。高校時代には雑誌の読者モデルをしていたという過去もあり、当時から目立っていた存在でした。
大学時代は記者を目指し、出版社でアルバイトもしていたという高島彩さん。大学時代の友人など、周囲の影響もあり大学卒業後、アナウンサーを目指します。テレビ朝日とフジテレビ、どちらも最終試験まで残りますが、最終的にフジテレビを選び2001年に新人アナとして入社しています。入社時からフジテレビのエース女子アナとして活躍した高島彩さんは、入社3年目の2003年4月に「めざましテレビ」のMCになります。
その後はフジの看板女子アナとして数多くの番組を担当し、「好きな女子アナランキング」では5回連続1位を獲得し、殿堂入りを果たしました。2010年10月に「めざましテレビ」を卒業し、2010年いっぱいでフジテレビを退社しています。フジテレビ退社後は「フォニックス」に所属し、現在もフリーのアナウンサーとして活躍しています。
2011年、ゆずの北川悠仁と結婚した高島彩
交際6年を経て北川悠仁と結婚
高島彩さんはゆずの北川悠仁さんと2011年10月20日に結婚したことを発表しています。同日に山梨の身曾岐(みそぎ)神社で親族のみでの挙式を挙げ、北川悠仁さんの地元の横浜で婚姻届を提出しました。挙式は厳戒態勢で行われ、両家の親族のみが参列した極秘挙式だったようです。高島彩さんと北川悠仁さんは以前から交際していたことが知られていて、交際期間6年での結婚でした。
今日はゆずのリーダー北川悠仁とアヤパンの結婚記念日 ♥
— り の (@rino120411) October 20, 2014
おめでとう (゚∀゚ノノ"☆パチパチ★
この夫婦はもう私の憧れの夫婦!!!そして私の大好きな夫婦!!!
これからも家族3人で末永くお幸せに♡ pic.twitter.com/RsWoih8Qjx
高島彩の夫・北川悠仁のプロフィール
本名:北川悠仁
誕生日:1977年1月14日
出身:神奈川県横浜市
最終学歴:横浜高等学校卒業
職業:ミュージシャン、シンガーソングライター、俳優、タレント
所属レーベル:セーニャ・アンド・カンパニー
高島彩と北川悠仁の馴れ初めは?
高島彩さんと北川悠仁さんが初めて出会ったのが結婚の約6年前、2005年の9月です。高島彩さんがレギュラー出演していた「めざましテレビ」のテーマソングをゆずが手掛けた関係で、番組に北川悠仁さんがゲスト出演し共演しています。その時にお互い、なにか感じる物はあったのかもしれませんが、交際がスタートしたのはその後、知人を介して再開した時だったそうです。
再開して、交際することとなった高島彩さんと北川悠仁さん。お付き合いをすると決めた日にその足で、北川悠仁さんは高島彩さんと一緒に、高島彩さんの亡きお父さんのお墓まで行き、墓前で交際報告として挨拶したそうです。結婚を前提とした交際だったということが分かります。
交際していた当時、高島彩さんは朝のめざましテレビを担当していましたので、夜遊びは一切できず、夜10時までには寝て、深夜3時頃に起きてフジテレビに行っていました。一方の北川悠仁さんは夜型だったそうです。また高島彩さんは当時、東京に住んでいましたが、北川悠仁さんは横浜に住んでいましたので遠距離恋愛でもありました。生活時間帯も違い遠距離でもあった高島彩さんと北川さんですが、様々な困難を乗り越え、交際6年で結婚しています。
高島彩が告白した死産という辛い過去
本で過去に死産を経験していたことを明かした高島彩
高島彩さんが実は第一子を出産する前に、死産を経験していたという悲しい過去を明かしたのは2014年です。いつも明るい高島彩さんの死産という知られざる過去の告白に、驚いていた人も多かったです。高島彩さんの出産エッセイ本「彩日記-Birth-」の中で死産を経験していたことを赤裸々に語っています。高島彩さんの本によりますと、最初の妊娠が発覚したのが結婚から半年後の、2012年の春だったそうです。
高島彩さんも旦那の北川悠仁さんも子供好きで、結婚したらすぐに子供が欲しいと思っていたといいます。最初の妊娠が分かった日には、高島彩さんと北川悠仁さんは手を取り合って大喜びし、その時の喜びの様子をビデオにも残していたそうです。妊娠中はいつの間にか、赤ちゃんのいるお腹をなでる癖がついていたという高島彩さん。妊娠発覚から4か月経過して、高島彩さんは世間に妊娠したことを発表しようかと考えていた時に、お腹の中の子供に異変を感じたといいます。
高島彩さんが医師から告げられたのは『子宮内胎児死亡』、お腹の中で赤ちゃんが死んでしまっていたという状態です。死産の原因は染色体異常でした。赤ちゃんの心肺が停止しているため、死産するしかないという事実を医師から告げられた時の高島彩さんは、ショックで頭が真っ白になったといいます。それでも医師の前では気丈に振る舞ったそうです。昔から人に弱みを見せないタイプだったという高島彩さんですが、夫の北川悠仁さんの顔を見たときに号泣してしまったそうです。
高島彩さんが経験したのは流産ではなく、死産になりますので、流産手術はできません。死産というのは出産と同じく分娩形式を取り、陣痛促進剤を使って、強制的に陣痛を起こさせて出産という形になります。流産と違い高島彩さんが経験した死産の場合には、役所に死亡届を提出する必要もあります。
死産の場合には、亡くなった子供の火葬も行い、子供の遺骨も夫婦の手元に残るということになります。お腹の中で亡くなった赤ちゃんですが、普通に1人の子供が亡くなったのと同じように、火葬して納骨し、死亡届を出すという手続きを取るのが死産になります。
お腹の中の子が亡くなり、死産という悲しい経験をした高島彩さんは、生きてきてこれほど泣いたことはないというくらい泣いたと明かしています。これまであった胎動がなくなり、お腹の中にもう赤ちゃんがいないということを思い出すたびに泣き続けたそうです。
当時は芸能人の出産ニュースや、おむつのCMを見るだけでも落ち込んでいたという高島彩さん。そんな高島彩さんの辛さを癒してくれたのが、死産や流産という同じような体験をした女性たちのブログだったといい、ブログを読んで、辛い経験をしたのはわたしだけじゃないんだと思ったと話しています。
高島彩の死産の告白に勇気づけられる人が
高島彩さんがエッセイ本で死産を告白した理由の一つが、死産を経験したわたしと同じような辛さを味わった人のためになりたい、という思いだったようです。高島彩さんのエッセイ本「彩日記-Birth-」のレビューを見てみますと、流産や死産という悲しい経験をした人から「高島彩さんの死産の告白に勇気づけられた」という声も多くありました。
待望の子供を出産した高島彩
化学的流産も経験していた高島彩
高島彩さんのエッセイ本には死産した後のことも綴られています。高島彩さんは死産を経験してから、半年間は下半身を温めるなど子宮やお腹を休ませていたそうです。パワースポット巡りなどもしていたと話しています。半年たったあたりから「妊娠検査薬」も購入して本格的に妊活を開始していますが今度は「化学的流産」を経験しています。
化学的流産という言葉はあまり馴染みがないかもしれませんが、厳密には流産とは違います。妊娠検査薬では陽性反応が出たものの、その後に生理が来てしまうことを化学的流産といいます。妊娠すると胎嚢(たいのう)というものが妊婦のお腹に出来ますが、産婦人科で受診してもその胎嚢が確認できないというものです。
高島彩さんも経験した化学流産というのは以前は気が付かないものだったそうですが、精度の高い妊娠検査薬が普及した現在は気が付く人も劇的に増えてきているそうです。一般的な流産には含まれない、妊娠の超初期段階の化学的流産ですが、高島彩さんのショックはかなり大きかったと話しています。
2014年に待望の第一子が誕生
死産、そして化学流産という悲しい経験をした高島彩さんですが、死産から約1年経って2度目の妊娠をしています。2013年の10月に高島彩さんは「現在妊娠6か月目に入ったところです。」と待望の子供を授かったことを公式サイトで発表しました。その後、胎盤の状態が悪く一時は「切迫流産」の危険性もあったそうですが、無事2014年の2月に待望となる子供が誕生しました。名前は公表されていませんが、性別は女の子です。
出産には夫の北川悠仁さんも立ち会ったそうですが、お昼から夜までかかるというかなりの難産だったといいます。出産の痛みを、ハンマーで殴られて腰骨がねじれていくような、痛さだったと表現しています。無事子供が生まれた高島彩さんは「妊娠したら出産するのは当たり前のことではないということを感じた後の出産だったので、思いはひとしおでした」と話しています。立ち会った北川悠仁さんも「すごく感動して、わけが分からない涙が出てきました。」と話していました。
2016年には第二子となる女の子が
第一子の女の子が誕生した2年後の2016年、高島彩さんは第二子を妊娠したことを発表しています。妊娠6か月目の時に自身の公式サイトで発表しました。第二子の時は妊娠が分かってから出産まで、これまでとは違い、非常に順調だったそうです。予定通り2016年の6月に出産していますが、出産は分娩台に上がってからわずか30分というスピード出産だったようで、前回の難産とは違い体に負担もなかったと話しています。2人目も女の子でした。
第二子の出産にも夫の北川悠仁さんは立ち会いましたが、当時3歳だった長女も出産に立ち会ったそうです。その理由について高島彩さんは「どうやって妹が誕生して、我が家に来たのか長女にも分かってほしかったから」と話していました。現在、長女は妹の世話を積極的にしてくれているそうで、立ち会わせて良かったと思っているそうです。
高島彩さんの子供は現在、長女が4歳で次女が2歳になります。高島彩さん夫婦は教育熱心で、子供が幼稚園に上がる前から英語の体操教室や右脳を鍛える幼児教室などの習い事をさせていたそうです。高島彩さんは2人の子供をほぼ毎日、近所の公園まで連れて行って遊ばせ、公園で出会ったママ友とは子供のお受験の話もするそうです。育児には夫の北川悠仁さんも協力的で、お風呂に入れたり、子供向け番組のコンサートに連れて行ったりもしているそうです。
【子育て・育児ニュース】 高島彩さん「子育ては、できないことの方が多いと分かった」 - マイナビニュース: マイナビニュース 高島彩さん「子育ては、できないことの方が多いと分かった」… https://t.co/4P7bcx2qin #子育て #育児 #子供 #妊娠 #出産 pic.twitter.com/wLG8PXJSRF
— 子供の悩み (@kodomono_nayami) December 2, 2016
高島彩さんは出産した現在も仕事を続けていますが、高島彩さんと北川悠仁さんが仕事で忙しい時に頼りにしているのが、高島彩さんの母です。母が代わりに子供の面倒を見てくれて、子供を習い事に連れて行ったりもしてくれているそうです。幼くして父が亡くなり、母子家庭で育った高島彩さんですが、今でも母娘の仲はとても良いです。高島彩さんが今も人気アナウンサーとして活躍するのには、夫と母のサポートがあったからのようです。
高島彩さんの長女は現在、幼稚園に通っています。幼稚園の年中ということになりますが、長女をどこの幼稚園に通わせているかは明かされていません。高島彩さんの家族は現在、横浜に住んでいるので横浜周辺の幼稚園に通っているのではないかと言われています。
高島彩は死産という悲しい過去を乗り越え今は2児の母に!
高島彩さんが本で明かした死産という悲しい過去、そして待望の出産と現在の子供について紹介してきました。いつも明るい高島彩さんですが、死産を経験し、その後、化学的流産も経験していたことを本で初告白していました。落ち込んでいた時に、同じ経験をした人のブログを読んで励まされたことも死産を経験していたことを告白した理由のようです。
2児の母となった現在は、家族4人で幸せな家庭生活を送っているという高島彩さん。2人の娘は現在4歳と2歳で、高島彩さんは子育てに仕事に奮闘中とのことです。これからも高島彩さんの動向に注目してきましょう。
リファをコロコロしながら、高島彩さんの彩日記を読んだ。ビジュアルだけじゃなく、仕事面や考え方、言葉の使い方までも憧れる女性。この本からも彼女の人柄が伝わってきて、温かい気持ちになりました♡ pic.twitter.com/pI1nBJpHCr
— とろろん (@tororochaan) September 7, 2014
評価 4.2/ 5(合計6人評価)
記事へのコメント
気軽にコメントしよう!
※コメントは承認後に公開されます。