日本の小説家である中島らも氏。2004年に急死という形でその生涯を終えるまで、彼は数々の作品や名言・格言を残しました。また小説家以外にも実に多くの顔を持っており、多彩な才能を発揮した希有な人物でもあります。今回は、そんな中島らも氏のバックグラウンドにもなっている彼の人生と、その中で生まれた人生や恋愛などにまつわる名言・格言、そして死因についてもご紹介していきます。

急死した中島らもの名言集!人生や恋愛に関する格言・死因まとめ

目次

  1. 中島らも氏とその名言
  2. 中島らも氏の数奇な人生
  3. 今を生きる人へ・中島らも氏の名言(人生編)
  4. 恋する人へ贈る・中島らも氏の名言(恋愛編)
  5. 本物の友人とは・中島らも氏の名言(友情編)
  6. 社会に疲れた人へ・中島らも氏の名言(仕事編)
  7. 考える人へ・中島らも氏の名言(哲学編)
  8. 中島らも氏の迷言な名言(伝説編)
  9. 中島らも氏の晩年とその死の真相
  10. 今なお生きる中島らも氏の名言

中島らも氏とその名言

独特な作風と破天荒な生き方で、多くの人々の心を離さない小説家、中島らも氏。彼は小説家でありながら、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャンという顔も持つ多才な人物でした。惜しくも2004年に急死という形で亡くなられてしまいましたが、その作品や名言は今も生き続けています。

今回はそんな中島らも氏の名言・格言を、数々の語録の中から厳選してご紹介します。また、それらが生まれた背景でもある彼の波乱万丈な人生と、最期の死因についてもご紹介していきます。

中島らも氏の数奇な人生

1952年4月3日、兵庫県尼崎市、父親が開業歯科医をしていた家庭の次男として中島らも氏は生まれました。典型的なエリート家系のようですが、父親が躁鬱病を患っており、中島らも氏は父親が度々起こす奇行を目にしながら育ちます。

少年時代

小学生の頃の中島らも氏は、本が好きでスポーツが嫌いな少年でした。友人からの誘いを断りひとりで本を読み、将来は漫画家になりたいと願っていたといいます。

学生時代

小学校を卒業後、中島らも氏は名門進学校である灘中学校へ入学します。灘中学校は、東大よりも合格する事が難しいと言われている最難関の学校ですが、中島らも氏はトップ8位という成績で合格します。しかしその後、ドロップアウト。何とか灘高校を卒業し予備校に入学するも全く通わず、パチンコ屋やジャズ喫茶に入り浸るようになります。そんなフーテン生活を1年間送った後、中島らも氏は大阪芸術大学に入学します。

営業マン・コピーライター時代

中島らも氏は大学在学中に学生結婚をし、卒業後、1976年に印刷会社へコネ入社します。そこで5年間の営業職を経て、1981年に広告代理店に転職。ここで、コピーライターとしての中島らも氏が誕生します。そして、数々の名言もここから生まれて行ったのでした。

作家時代

しかし、その広告代理店も1987年に退職し独立。作家活動を開始します。今度は作家としての中島らも氏が誕生します。執筆活動は小説の他に戯曲、エッセイ、落語、TV番組の脚本、コントなど多岐に渡っていましたが、多忙な生活の中で、次第にアルコールに溺れるようになってしまいます。

父親の狂気を目にした幼少時代、アンダーグラウンドへ足を踏み入れた学生時代、そして転職を繰り返した社会人時代から作家へ。そして最期は急死という形で突然その幕を閉じてしまった中島らも氏。そんな怒濤の人生の中で、彼は何を思い生きてきたのでしょうか?それを紐解く鍵は、彼の作品や数々の名言語録の中にありました。これらの言葉を通じて、ぜひ中島らも氏の思いを感じ取ってみて下さい。

今を生きる人へ・中島らも氏の名言(人生編)

人はどん底まで落ちた時、たった1つの言葉に救われる事がある。これは多くの人が実感としてお持ちではないでしょうか?中島らも氏の言葉には心にストレートに響く力があります。そんな名言・格言を中島らも氏の様々な語録の中から厳選してみました。

人が「生きていてよかった」と思う瞬間には2種類あります。1つは、命の危険に晒されながらも一命を取りとめた時。もう1つは、とてつもなく嬉しい事があった時。どちらにせよ「生きていてよかった」と思える瞬間がこの人生には必ずあるのだという希望を与えてくれる名言です。またその一瞬のために人は生き、その一瞬があれば、たとえ他がダメな毎日であっても良いのだと、肩の荷を降ろしてくれるような名言でもあります。

前を歩いていた人が、ドアを手で押えて待っていてくれた。電車の中に置き忘れていた傘を、慌てて届けにきてくれた人がいた。何でもない毎日にふと現れるこのような人達。彼らは天使であり、私達はその優しさを見落とさないように生きていたい、そう思わせてくれる中島らも氏の名言です。急死という形でこの世を去った中島らも氏からの、温かいメッセージのようでもあります。

人は、生きていれば色々な事があります。これ以上ないほど辛い目に遭った日、限界を超えてしまいもう何も感じなくなってしまった日、そんな一日の終わりに思い出したい名言です。そしてとりあえず、今日のところはご飯を食べて眠りましょう。独りの夜にそっと寄り添ってくれるような中島らも氏の名言です。

沢山の人が行く道に疲れてしまい、ふと狭い路地裏に入る。そうすると、どうしてこのような所に咲いているのかは分からないが、綺麗な花が咲いていた。そんな経験はないでしょうか?人生も同じ、世間や王道のレールを外れたからこそ見つかるものもあるのだという、中島らも氏ならではの格言です。

一見、どうしようもない人間の戯れ言のようですが、その中に希望という光が見え隠れしているのが不思議です。中島らも氏は2004年に急死してしまいますが、その瞬間も彼はこの名言のように「あぁ、運が悪かったんだなぁ」と思っていたのでしょうか?

有名な名言集まとめ!日本・世界の偉人たちが残した生きるヒントになる格言集 | 大人男子のライフマガジンMensModern[メンズモダン]

恋する人へ贈る・中島らも氏の名言(恋愛編)

恋をすると、人は必ずといっていいほど悩みの壁にぶつかります。そのような時にも中島らも氏の名言・格言は心に響きます。そんな中島らも氏語録から、恋をしている人にはもちろん、そうでない人にもぴったりな恋愛にまつわる名言をご紹介します。

恋愛という1対1の人との関わりの中では、幸せな一体感と同時に自分の半分をもぎ取られるような痛みもセットで経験します。恋というものは、ただ甘いだけのものではないのだと教えてくれる名言です。

理性を超えたところに本物の恋愛がある。そのようなメッセージを感じる名言です。将来の段取りを考え、人生も恋愛も用意周到に進めるよう理性でコントロールするのももちろん大切ですが、それすら超越してしまう想いこそが本物なのだと教えてくれます。学生結婚を経験している中島らも氏だからこそ説得力のある名言となっています。

愛する人がいなくても、自分という存在を確立する事はできます。しかし中島らも氏は、誰かを愛する事で自分自身の存在があるのだと、こちらの名言では言っています。破天荒な生き方をしてきた中島らも氏ですが、その人生の中には確かに愛があったのですね。

芥川龍之介の感動する名言集!恋愛や人生の迷った時に読みたい! | 大人男子のライフマガジンMensModern[メンズモダン]

本物の友人とは・中島らも氏の名言(友情編)

昨今では、SNSなどの発展により誰とでも簡単に繋がりを持てるようになってきましたが、それらの繋がりの中に本物の友人と呼べる存在はどれだけいるのでしょうか?中島らも氏語録から、友人にまつわる名言をご紹介します。

本物の友人は、友人である事をわざわざ確認したりはしません。更に、友人である事を利用して何かを求めてきたりもしません。中島らも氏の至極まっとうな名言です。

そして本物の友人は、ピンチの時に軽々しく助けを求めてきたりもしません。大切な相手だからこそ心配や迷惑をかけたくない、そういう思いが起こるものではないでしょうか?人の心の真髄をとらえた中島らも氏の名言です。

社会に疲れた人へ・中島らも氏の名言(仕事編)

毎日毎日、同じ事の繰り返し。いつの時代も社会人は疲れています。中島らも氏のユーモア溢れる語録の中には、そんな社会人の憂いを吹き飛ばしてくれる名言・格言が沢山あります。

世の中には理不尽な事だらけです。特に社会に出て働いていると、そのような場面に毎日と言っていいほど出くわします。そう、それが世の中というものなのです。しかしその理不尽さを知る事が、新たな世界を開く扉であり、しなやかに生きるヒントになるのです。酸いも甘いも噛み締め生きてきた、中島らも氏の人生の重みを感じる名言です。

会社では「君は仕事を何だと思っている?」と聞かれ、プライベートでも「あなたにとって私の存在って何?」と聞かれ、自分自身でも「自分にとって人生とは?」と自問自答する。誰しもそんな事があるのではないでしょうか?そんな時は一言こう答えておきましょう。「愛です」と。ぜひ覚えておきたい名言です。

先述でご紹介した中島らも氏の名言ですが、具体的な使用例がこちらです。たった一言であるにも関わらず、非常に深い意味を持っています。その答えが嘘であったとしても、まことしやかに聞こえてしまう魔法のような言葉、それが「愛です」。様々なシーンで使える中島らも氏の名言です。

考える人へ・中島らも氏の名言(哲学編)

人気の有名作家でありながら、アルコールや薬物に溺れていた中島らも氏。その語録の中には、大きな光と影を抱えていた彼の深い思いが感じられる名言・格言がありました。

心に名前を付けると、心はそれに縛られてしまいます。自分の心は単純なものではなく、また単純でありたいとも思わないと中島らも氏は語っています。己の意思に忠実に、自由に生きてきた中島らも氏ならではの名言です。

太陽は、昇ろうが沈もうが太陽であり、朝日であろうが夕日であろうが太陽なのです。物事の本質を鋭く見据える事ができた中島らも氏の格言です。どのような状況であろうと自分は自分であり、たとえ名前や肩書きが変わったとしても自分以外の者にはなれないのだと、気付かせてくれる言葉です。

中島らも氏の迷言な名言(伝説編)

さてここで中島らも氏の語録紹介は最後となりますが、トリにふさわしい中島らも氏の名言を1つご紹介します。それがこちらです。

一般人の思考回路の斜め上を行くどころか、もはや別次元にまで飛んでしまっている、それが中島らも氏。そしてその言葉が伝説となり今も人々の心に残っている理由すら、もはや考える必要がないのだと誰もが納得できる名言中の名言です。

芸能人・有名人の心に残る人生の名言・格言集!感動する恋愛や努力の言葉! | 大人男子のライフマガジンMensModern[メンズモダン]

中島らも氏の晩年とその死の真相

中島らも氏は晩年、作家活動の傍らバンドを結成し音楽業界でも活躍します。しかしその頃には、躁鬱病、ナルコレプシー、アルコール・薬物依存という症状が中島らも氏を蝕んでおり、ついには自力での執筆活動が困難になり、いつ急死してもおかしくないという状態にまで追い込まれてしまいます。しかしそんな中でも中島らも氏は様々な活動を続けていました。

そして2004年7月15日。その日、中島らも氏は友人のライブに参加していました。ライブの打ち上げではいつものように仲間達と酒を酌み交わします。そして仲間達と別れた後、飲食店の階段から転落。病院に運ばれ手術を受けましたが意識が戻る事はなく、7月26日午前8時16分、帰らぬ人となりました。享年52歳でした。

今なお生きる中島らも氏の名言

急死という形で突然この世を去ってしまった中島らも氏。作家として優れた作品や名言を多く残し、破天荒な言動で周囲を巻き込みながらも、その目は常に人の心や物事の真髄を見据えていたのではないでしょうか?

中島らも氏の残した数々の名言には、しっかりと血の通った温かさがあります。それは上辺だけの心地良さなどではなく、時に鋭く時に情けないような言葉であっても心の深い場所に届きます。今回は、良い所もダメな所も全て包み込んでくれる、そんな中島らも氏の名言をご紹介してきました。死後もなお人々に愛され続ける中島らも氏とその名言たち。人生において、あなたの歩みが止まってしまった時、どうぞ思い出してみて下さい。


評価 4.4/ 5(合計3人評価)

記事へのコメント

気軽にコメントしよう!

※コメントは承認後に公開されます。

アクセスランキング

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ