元アイドルとしてAKB48に所属したいた女優の前田敦子。前田敦子がついにAKBを卒業するとなった時は、とても大きなニュースになりましたね。そんな前田敦子がAKBを卒業した理由や卒業公演について紹介します。またAKBから生まれた卒業ソングも紹介します。

前田敦子がAKB卒業を決めた理由は?卒業公演のエピソードなど

目次

  1. 前田敦子のAKB卒業を振り返る
  2. 前田敦子がAKBを卒業するまで①
  3. 前田敦子がAKBを卒業するまで②
  4. 前田敦子がAKBを卒業するまで③
  5. 前田敦子がAKBを卒業するまで④
  6. 前田敦子がAKBを卒業するまで⑤
  7. 前田敦子が卒業は2012年に卒業を発表
  8. 前田敦子が卒業を決めた理由
  9. 前田敦子の卒業にライバル大島優子は
  10. 前田敦子の卒業公演
  11. 卒業後の前田敦子とメンバー
  12. 卒業しても変わらない絆
  13. こじはる卒業に前田敦子たちが集合
  14. AKBから生まれた卒業ソング
  15. 卒業した前田敦子は夢に向かって走り続けている

前田敦子のAKB卒業を振り返る

一大ブームを築いたAKB。そのAKBのセンターとして、チームを引っ張り続けて卒業した前田敦子。様々なバッシングに耐えながらも、前田敦子がAKBとして残した功績と、その後の女優人生について紹介します。時にはAKB商法とまで言われながらも、いままでにない『会いにいけるアイドル』とはどのようなものだったのでしょうか。

前田敦子は1991年7月10日生まれの25歳です。出身地は千葉県市川市功徳です。事務所は太田プロダクションに所属しています。あっちゃんの愛称で親しまれる前田敦子は、どのようにしてAKBの一員になっていったのでしょうか。

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前田敦子がAKBを卒業するまで①

前田敦子は元々引っ込み思案な性格で、とてもセンターというタイプではありませんでした。アイドルになりたいと憧れを持った中で、内気な自分を変えたいという理由があったようです。同時にこのころから女優になることも夢だったようですね。

AKBといえば前田敦子。そうなるまで時間はあまりかからなかったようですね。前田敦子がAKBに合格したのは、2005年10月30日に行われた『AKB オープニングメンバーオーディション』でした。このオーディションは応募総数7,924名で最終合格者は24名でした。前田敦子はこのオーディションで柴咲コウの『Glitter』を歌ったようですね。

決して前田敦子は歌もダンスもうまい人物ではなかったようです。しかし、モーニング娘。などの振り付けを担当していた、振付師の夏まゆみは、ダンスの課題に没頭する前田敦子の集中力に注目していたようです。結果、その集中力の高さはAKBの中で才能を開く糧になります。

前田敦子がAKBを卒業するまで②

AKB48は作詞家である秋元康が、秋葉原に専用の『AKB48劇場』というシアターをつくり『会いにいけるアイドル』というコンセプトとして、チームごとに日替わりの公演をほぼ毎日行うものとして結成されました。いわば、画面を通してのアイドルではなく、いまにも手に届きそうな距離に応援するアイドルが居るというものでした。

当初はオタク向けのアイドルというイメージが強く『アキバよんじゅうはち』という誤読をされるほど、秋葉原のオタク向けのアイドルというイメージでした。しかし、徐々にマスメディアを通して、10thシングルの『大声ダイヤモンド』あたりから、一般層にもファンが増え、後の日本を代表するアイドルグループへと成長します。

AKBの一期生には、後に有名になったメンバーでは板野友美、峯岸みなみ、小嶋陽菜、高橋みなみがいます。ここに前田敦子、そして1.5期生という形で篠田麻里子がいます。篠田麻里子はオーディションに合格は出来ず、AKB劇場内のカフェでスタッフとして活動し、12月に始まったAKBの活動から遅れて、1月にAKBに参加しています。

前田敦子がAKBを卒業するまで③

AKBはまずインディーズとして『桜の花びらたち』を発表しています。後にAKBの卒業ソングのひとつになる曲は、一番始めに発表されたんです。実は、前田敦子はこの曲ではセンターではなく、その後リーダーになる高橋みなみがセンターでした。その後インディーズの2ndシングル『スカートひらり』で高橋みなみと前田敦子のWセンターとなります。

「前田はわたしが全員に出していた課題を、夜中に帰って家でやっていた。この目に見えないところでの努力は、いつか必ず実を結ぶ。のちの前田が、それを実証してくれた」

引っ込み思案で決してセンター向きの性格ではなかった前田敦子。そんな彼女がセンターに抜擢された背景は、当時誰よりも練習し、影での努力を怠らなかったからです。しかし、前田敦子はここからセンターという重いプレッシャーと戦う日々が続くことになります。

メジャーデビューとして発売された『会いたかった』AKBは48といえばこの曲という印象も多いかもしれません。続けてこの曲でも前田敦子はセンターに抜擢されます(高橋みなみセンター、高橋みなみと前田敦子のWセンターと捉えるファンもいます)その後も、高橋みなみや小嶋陽菜らとWセンターという形を取りながらも、前田敦子がセンターという形はほぼ崩れることはありませんでした。

前田敦子がAKBを卒業するまで④

2008年に10thシングルである『大声ダイヤモンド』で11歳でまだ姉妹グループのSKE48としてデビューしたばかりの松井珠理奈が、前田敦子とWセンターを組むというのは大きな衝撃でした。ファンはもちろん、メンバーもこの発表は賛否両論だったようです。

いわばAKB48の売りでもある『サプライズ』というものはこの頃から始まったのかもしれません。後にこういったサプライズがメンバーの卒業を生む原因だったかもしれません。その後、2009年に行われた『AKB48 13thシングル選抜総選挙』という、AKBが一般層に改めて認知されるイベントが催されます。

この総選挙で卒業を考えるメンバーが少なからず生まれ、またその後に行われたチーム間の移動である『組閣』というサプライズも行われました。またメンバーの中で大人組を集めた新チームだったSDN48に完全移籍が決まるメンバーが出るなど、メンバー、ファン、運営、秋元康の間に大きな溝が出来ていくことになりました。

前田敦子がAKBを卒業するまで⑤

AKBをグループは2017年までに200名近いメンバーの卒業が起きることになります。AKB48は2005年に活動を開始しました。おそらく一番始めにAKBをを卒業したのは宇佐美友紀で、それが2006年31日のことでした。宇佐美友紀が卒業を決めた理由は、アナウンサーやナレーターの仕事をしたいという夢があったからのようです。卒業後はFM番組のパーソナリティを務めたようですね。

また2009年3月27日に、大島麻衣が卒業するのに合わせて、初めて卒業公演というものが行われました。卒業公演とは、卒業するメンバーが中心となった公演が行われるもので、これ以降、グループ内で人気の高いメンバーが卒業する場合は、卒業公演が行われるようになりました。

卒業公演が行われたメンバーの一部は、大島麻衣、小野恵令奈、前田敦子、河西智美、篠田麻里子など一期や二期のメンバーをメインに、何度か卒業公演が行われました。野球選手の引退セレモニーのようなもので、この卒業公演をしてもらえるのは非常に光栄なことのようですね。

また、卒業公演ではなく、コンサートやツアーにおいて、卒業公演の代わりに送り出されることもあります。そういった卒業のメンバーが出ていく中で、前田敦子は自身の卒業を決断するときが来たのです。

前田敦子が卒業は2012年に卒業を発表

前田敦子は2012年3月25日に行われたコンサート『業務連絡。頼むぞ、片山部長! in さいたまスーパーアリーナ』の最終日に、ラスト一曲を残したところで、突然、卒業を発表しました。所属事務所である太田プロダクションも、前田敦子の卒業を知ったのは当日のことだったようです。

前田敦子が前に出た時点で高橋みなみが涙していたことから、親友である高橋みなみだけ前田敦子から卒業の相談をされていたのかもしれません。また、プロデューサーである秋元康も度々、卒業の相談をされており、そのたびに慰留していたものの、引き止めの限界があったようです。

前田敦子が卒業を決めた理由

前田敦子が卒業を決めた理由にはどんなものがあったのでしょう。一つは、自身がずっとセンターとして活動していくことによる、いわば停滞感を打破したかったようです。自分が卒業することで、センターが空き、新たなチャンスが生まれる。そのことがAKBに新たな刺激を与えると思っていたのかもしれません。

また、前田敦子はAKBに入るときからずっと、女優になりたいという夢がありました。自分がAKBとして14歳から活動してきた中で、自分がその女優という夢を叶えるために、大きな決断をする必要があると考えたのだと思います。

しかし、同時に6年半センターに立ち続けることのプレッシャーは凄まじいものでした。AKBがずっと目標にしてきた、東京ドームでのコンサートも決まり、そのプレッシャーから解放されたいという気持ちが強かったのだと思います。また、毎年続く、総選挙もかなり負担になって、2011年の総選挙も辞退を考えていたようです。

実際、この前田敦子の卒業は一部の人間しか知らず、卒業発表と同時に、関係者たちは、その後の対応に追われ、不眠不休で動くことになったようです。実際の人気と総選挙の人気。これ以上、自分が嫌われていくのに耐えれなかった部分も卒業の理由だといえるでしょう。

前田敦子の卒業にライバル大島優子は

前田敦子が卒業する理由を語る中で、大島優子はどこか裏切られたというような表情に見えました。相談されなかったということに対する怒りも一つの理由でしょうが、それ以上にこれからも一緒に前に進んでいくライバルが、突然舞台から降りることに対する喪失感があったのでしょう。

この時のコンサートの最後では、卒業ソングのように『会いたかった』が流れる中で、様々なメンバーがかけよる中に大島優子の姿はありませんでした。一期のメンバーはもちろん、プライベートで仲の良かった仲川遥香や多田愛佳と抱き合う姿は見られたのですが、このとき大島優子はどんな気持ちだったのでしょう。

このときの大島優子の気持ちを考える中で、卒業してからの二人の関係を見るのが重要なようです。それぞれAKBを卒業後、二人は交流を続けていることがうかがえます。大島優子にとって、前田敦子はAKBの中ではライバル、かなり意識する相手だったようです。それが無くなり、卒業後はやっと本当の意味で仲良くできたそうです。

前田敦子の卒業公演

2012年8月27日、前田敦子は卒業公演が行われます。先立って8月26日に東京ドームコンサートが終わったばかりで、一般に向けての卒業は終わり、昔から支えてくれたファンに向けての最後の場が用意されました。この日の、秋葉原、そしてAKB劇場の周りは前田敦子ファンが詰めかけていたようで、かなりごった返していたようです。

卒業公演は18時9分に開演され、東日本大震災の被害を心配するものや、東京ドームコンサートを振り返るMCが行われながら、いつものように催されました。公演では22曲が歌われて、最後に卒業ソングとして選ばれたのは、AKBのインディーズデビュー曲の『桜の花びらたち』でした。

卒業が発表されたときのような悲壮感もなく、どこか自分の新しい道に踏み出すことが楽しみで仕方ないという表情だったようです。公演後は劇場外で前田敦子コールがあったとか。警察が出動して、事故がないように先導する形になったんですよね。

秋葉原は、前田敦子のポスターがずらりと並んで、AKB劇場一帯が前田敦子一色でした。東京ドーム公演で疲れもあったようですが、前田敦子は終始笑顔で、疲れが抜けきっていない前田敦子にかわり高橋みなみがダンスではかなりカバーしていたようです。

卒業後の前田敦子とメンバー

温かい卒業ソングで送り出された前田敦子。その後は、ソロ歌手として、また夢であった女優としての活動を行います。すでに卒業前から佐藤健と共演した『Q10』でも、役になりきる演技を見せており、その後も『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011』でもヒロイン役を務めましたね。

卒業後、女優として活動する中で『クロユリ団地』『秋と冬のタマ子』『毒島ゆり子のせきらら日記』などで主役をはるなど、女優の活動は順調でした。同時に、前田敦子につづいて、他の中心メンバーも少しずつ卒業し、それぞれが新しい道を歩む事になります。篠田麻里子や大島優子も、前田敦子と同じ女優の道を選びました。

篠田麻里子の卒業公演や小嶋陽菜なの卒業公演には、前田敦子ら卒業したメンバーが揃ったり、プライベートでも、変わらず交流している姿を見ることができます。特に親友である高橋みなみとの2ショットはSNSで、よく見ますね。

卒業しても変わらない絆

卒業しても絆は変わらないというのが分かりますね。つらい時期を乗り越えてきた仲間だからこそ、離れ離れになっても、そのころの友情は変わらないというわけです。

こじはる卒業に前田敦子たちが集合

2017年4月19日に行われた小嶋陽菜の卒業公演では、一期のメンバーが勢揃いする姿が見れましたね。前田敦子も女優業が忙しい中で訪れていました。また、その前に2月に行われた卒業コンサートでは、元祖『神7』として、前田敦子も久しぶりにAKBの曲に参加して歌とダンスを披露していました。

小嶋陽菜の卒業で、一期のメンバーは峯岸みなみ一人になってしまいましたね。二期に至っては全員卒業してしまいました。三期も柏木由紀、田名部生来(時期未定の卒業を発表)、渡辺麻友だけになってしまいました。アイドルグループのAKBも完全にメンバーが入れ替わってしまった印象です。

AKBから生まれた卒業ソング

AKBと卒業という言葉は切っても切れないものです。実は、AKBは基本的に毎年春に卒業ソングというものを発表しています。

AKBはの卒業ソングと言われるのはインディーズ1stの『桜の花びらたち』を皮切りに、『桜の花びらたち2008』『10年桜』『桜の栞』『桜の木になろう』『GIVE ME FIVE!』『So long!』『前しか向かねえ』『Green Flash』『君はメロディー』『願いごとの持ち腐れ』と2017年まで継続して、卒業ソングを生み出しています。

時にはメンバーの卒業という理由も込められた卒業ソングでもあり、非常にAKBにとって、卒業ソングというのは非常に重要なものなのです。

女優としての活動がすっかり板についた前田敦子。2017年に映画『武曲 MUKOKU』が公開中で、9月には『散歩する侵略者』の公開も予定されています。女優という夢を叶えたいという理由で卒業した前田敦子は、精力的に毎日頑張っているようですね。

卒業した前田敦子は夢に向かって走り続けている

AKBのセンターとして六年半走り続けてた前田敦子ですが、現在は女優としの毎日を変わらず走り続けています。以前のようなプレッシャーから解放されて、とても自然な笑顔が多くなった気がしますよね。度々、熱愛疑惑も出ているので、そちらの方で大きなスクープもまたあるかもしれません。

前田敦子が卒業した理由や、卒業までの流れや卒業公演、そしてAKBと卒業ソングについて紹介しました。歴代の卒業ソングを聞くと、そのときどきのAKBに起きたサプライズを思い出しますね。前田敦子の女優としての活動をこれからも楽しみにしたいですね。また、大きなサプライズを届けてくれるのを期待です。


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