お笑い芸人の明石家さんま。年齢を重ねて衰えるどころかさらに磨きがかかっていますよね。そんな明石家さんまと同じ出身地や同年代のタレントが誰がいるか知っていますか。そんな明石家さんまの年齢や同郷の出身者を紹介します。明石家さんまと同じ出身者は意外な人物ですよ。

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年齢を重ねても止まらない明石家さんま
人は彼のことを『お笑い怪獣』と呼びます。そのお笑い怪獣とは、もちろん明石家さんまです。1974年から芸能界で活動を始めた明石家さんま。そんな明石家さんまは年齢を重ねて、更にお笑いに磨きがかかっています。そんな明石家さんまの年齢や、経歴について紹介します。
明石家さんまは、19557月1日生まれの61歳です。本名は杉本高文、元々は落語家としてお笑い芸人の世界の門を叩きました。出身地は和歌山県東牟婁郡古座町ですが、基本的にすぐに奈良県奈良市に移動したので、出身地は奈良県奈良市育ちということになっています。
お笑い芸人としての明石家さんまは、落語家を目指して、2代目笑福亭松之助の弟子となりました。そのため、最初は笑福亭さんまという芸名でした。しかし、落語家としての才能よりも、お笑い芸人としての才能を見出されて、明石家さんまとしてテレビに活動の場を移します。
明石家さんまは年齢を感じさせないパワーがある
小さい頃から冗談の多い人で、中学、高校時代は学校の人気者だったようです。有名な明石家さんまのエピソードには、学生時代に運動会で笑いを取ろうと、スタートの合図と同時に逆走して、体育教師に追いかけられたというものがあります。昔から、明石家さんまはエンターテイナーだったみたいですね。
明石家さんまの師匠である笑福亭松之助は、明石家さんまに負けないような笑いのセンスのある人物で、いまだに頭が上がらない人物です。入門して半年もしないうちに初舞台を経験するなど、注目されていましたが、当時の彼女と駆け落ちを経験、うまく行かなかったようでまた戻ってきたようです。
1976年に1月に『11PM』でテレビデビュー、このときに女性漫才コンビ『海原千里・万里』の海原千里(後の上沼恵美子)や、横山やすしと出会っています。また、『ヤングおー!おー!』で阪神タイガースの小林繁などの形態模写で、桂三枝に評価され、レギュラーに選ばれました。
明石家さんまと同年齢のお笑い芸人①
このように、桂三枝に評価されたことで、一気に人気お笑い芸人の仲間入りを果たしました。当時は、かなり男前という扱いを受けていたこともあり、アイドル的な人気を誇っていました。このころ、お笑いの世界は新しい時代に突入しており、明石家さんまと同年代のお笑い芸人がしのぎを削ることになります。
わらっていいともの最終回豪華すぎる
— 世界の果てまでイッテQ【動画】 (@sekaiiiiiteQ) May 23, 2017
ダウンタウンウッチャンナンチャンとんねるず爆笑問題タモリさん明石家さんまさん
☆pic.twitter.com/PQtyksFXLV
明石家さんまはお笑いの世界に入ったのが、落語からなので明確な同期というのはいませんが、同年代のお笑い芸人はいろいろいます。また公私でも付き合いがある場合が多いですね。そういった、明石家さんまの同年代のお笑い芸人を紹介していきます。
明石家さんまと同じくBIG3の中でもっとも芸歴の長いビートたけし。年齢的にも芸歴的にも先輩にあたるビートたけしですが、『オレたちひょうきん族』などを通してかなり仲がよく、ほとんど敬語を使うこともありませんね。浅草のストリップ劇場からのし上がった天才お笑い芸人です。
もう一人のBIG3であるタモリ。三人の中では芸歴は一番短く、お笑いの世界に入ったのは30歳になったころです。年齢は3人の中でもっとも高いです。昔は三人でゴルフ番組などをしていましたが、何かと淡々としているタモリの性格もあり、3人が並ぶ機会はどんどん減ってしまったんですよね。
フジテレビの毎年夏恒例の27時間テレビの司会はたけしさんか。
— ひこう (@583bluetrain) June 2, 2017
近年さんま→タモリ→たけしとBIG3が司会のバトンを回したことになったな。
こうなったら次はお笑い第三世代行くしかないでしょ!
とんねるず、ダウンタウン、ウンナンが力を合わせた27時間見たいな〜#27時間テレビ
2017年の27時間テレビはビートたけしが司会することになり、事実上BIG3が司会のバトンを回したことになりましたね。この三人が全盛期だった時代のお笑いはまさに最高でした。現在は三人とも規制が厳しくなったことを嘆いていますね。
明石家さんまと同年齢のお笑い芸人②
同年代では無いにしろあの三人がBIG3として活躍する中、明石家さんまの正確な同年代に当たるお笑い芸人は複数います。こうやってまとめてみると、本当に同じ時代にこれだけ天才的なお笑い芸人が並んだことを驚きます。
さんまの公私ともに友人と言える存在は、島田紳助です。同年代のお笑い芸人として、ひょうきん族を始め、様々な舞台を共にしました。2009年の27時間テレビの司会を島田紳助が務めたときは、昔話でまったく進行が進まない状況になっていますね。島田紳助はひたすら明石家さんまを寂しがりという風に扱っていましたね。
同じくひょうきん族やドラマ『男女7人夏物語』で共演した片岡鶴太郎と同年代です。ひょうきん族の中では『お玉芸』と言われる、熱々のおでんを熱がりながらも食べる芸は、現在もお笑いのスタンダートネタとして残っています。ドラマでの共演も片岡鶴太郎のマルチな才能を感じさせましたね。
明石家さんまと同年齢のお笑い芸人③
また、まるで昔からの仲間のように息のあった掛け合いを見せる同年代のお笑い芸人もいます。どちらかというと、お互いがすでにビッグな存在になってからの方の絡みのほうが多い人物もいます。
特に笑福亭鶴瓶はラジオ『ヤングタウン』でそれぞれ土曜日と日曜日という違いはあれど、お互いに評価しあう仲です。27時間テレビで共演したときは、完全にべろべろに酔っ払っていましたね。笑福亭鶴瓶はいつも明石家さんまが面白くて仕方ない!という感じです。
同年代で共演が多かったものの、あまりにも真面目すぎる性格のせいで、よく喧嘩していたのは、オール阪神・巨人のオール巨人です。明石家さんま、島田紳助、オール巨人でお好み焼きを食べていたときに、明石家さんまのお好み焼きの焼き方の形が汚いことで言い合いになるなど、仲が良いのか悪いのかわからない二人です。
明石家さんまと同年代は熱い
奈良県という出身地から、一躍日本を代表するお笑い芸人になった明石家さんま。現在よりも規制が少なく、スポンサーや視聴者のクレームもあまり気にしていなかった時代。若手といわれるような年齢ながら、誰も寄せ付けないようなお笑いをやっていました。
特に浅草のストリップ劇場からのし上がった鋼鉄のハートを持つビートたけしと明石家さんまのコンビは、当時、あの年齢でテレビを見ていた世代にとっては最高の番組でしたよね。よく『8時だよ全員集合』と比べられる番組でした。
何よりもすごいのは、あの年齢で身体を張っていたのは当たり前かもしれませんが、現在60近い年齢を越えても変わらず、身体を張っているのがすごいですよね。多くの芸人が年齢いくつになったら、上が居なくなるのか、と嘆く気持ちも分かります。それほど、年齢を感じさせないパワーが明石家さんまたちにはあります。
明石家さんまは、ビートたけしたちと、お笑いの革新を起こし、同時にそれがお笑いの一つのテンプレートとなっていきました。すごいのが、当時の番組を見ていた子供たちが、いまのテレビ番組のスタッフになっているというのが面白いですね。
明石家さんまと同郷の芸能人
明石家さんまの出身地は奈良県ですが、同郷の芸能人にどのような人がいるのでしょうか。実際に自分の出身地の芸能人を調べて、同郷の人として親近感が湧いたことあるかもしれませんね。
奈良県が出身地の芸能人といえば、ジャニーズのTOKIOのリーダー城島茂です。最近はすっかり、アイドルが副業と言われるほど『鉄腕ダッシュ』の職人っぷりがフューチャーされていますね。城島茂は、良い意味でアイドルっぽくなくて、お笑い芸人みたいなところが人気が高い要素かもしれません。
同じくジャニーズのKinKi Kidsの堂本剛も奈良県出身です。堂本剛というと『金田一少年の事件簿』での演技が記憶に残っていますね。ジャニーズのアイドルは、本当にお笑い芸人のようにトークも上手で、明石家さんまのバラエティ番組に出演することも多いですよね。
他にも奈良県の出身者としては、お笑い芸人の笑い飯の西田幸治と哲夫、元NMB48の渡辺美優紀、福本愛菜、俳優の八嶋智人、映画監督の井筒和幸、元モーニング娘。の加護亜依、女優の吹石一恵などがいます。なかなか奈良県出身者というイメージがない芸能人が多かったですね。
明石家さんまは年齢の衰えが見えない
奈良の出身者のタレントは意外な人が多かったですね。関西でもあり、少し関東の要素も入る独特な地だけに、一癖も二癖もあるタレントが多い印象です。
明石家さんまは20代のころから、お笑いの最前線を走り続けてきました。しかし、漫才ブームが一度終わり、お笑いの形も変わっていく中で、明石家さんまの人気はまったく衰えることはありませんでした。そのため、同じ奈良県の同郷の人たちからすれば、本当に自慢の存在でしょうね。
明石家さんまが結婚したときの年齢は33歳
明石家さんまが唯一、面白さに陰りが出たと言われた年齢は、大竹しのぶと結婚した33歳のころです。明石家さんまは、大竹しのぶと1988年から1992年の間、結婚関係にありました。実際、離婚後も仲は良く、現在もお互いをネタにしている場面は多いですよね。
この結婚期間の明石家さんまが、つまらないと言われていたのはなぜかと言われると難しいものです。私生活の忙しさがストレスにつながり、あまり気持ちの余裕が無かったのかもしれません。実際に離婚後に人気はまた取り戻しているので、結婚に向いていないタイプだったのかもしれません。
明石家さんまは、娘のいまるの誕生は、非常に喜んだようです。結婚して唯一良かったとことと考えているとも言われ、結婚生活は想像していたようなものとは違うかったようですね。二人がうまく行かなかったのは、大竹しのぶの仕事への復帰希望だったようです。
明石家さんまは、幼いころ継母に愛されずに育ったため、子供に対して全力で愛情を注ぐ母親を望んだとも言われています。そのため、家庭でも女優としてお芝居の練習などをして、母親と女優の両方の人格を家庭に持ち込むのを許せなかったようです。
明石家さんまが年齢を重ねて変わったこと
明石家さんまと同じ同郷の出身者もどんどん増えて、タレント同士の争いが増えていく中、年齢を重ねた明石家さんまは、どのように変わっていっているんでしょうか。
元妻である大竹しのぶは、年齢を重ねた今なら結婚していても続けられていたと考えているようです。いまの明石家さんまを見ていると、自分はお笑いに生きて、お笑いに死ぬ、みたいな決意が見て取れますよね。結婚ネタを毎年やっていますが、実際はもう結婚する気はないんでしょうね。
明石家さんまの年齢や、同郷の出身者であるタレントなどを紹介しました。同年代のお笑い芸人を見ると、本当に凄いメンツばかりが揃っていますよね。いまだに明石家さんまたちを抜けるお笑い芸人が出てこないのが、いかに天才であるかが分かります。年齢を重ねても、いつまでもテレビでみんなを笑わせてほしいですね。
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