歌舞伎俳優の市川海老蔵。市川家として、市川團十郎の息子として有名ですが、その市川海老蔵の家系図がどのようになっているか知っていますか。屋号の成田屋を含め、市川家には呪いが存在すると言われています。そんな市川海老蔵、とその家系図、そして呪いについて紹介します。

目次
市川海老蔵の家系図がすごい!
歌舞伎俳優の市川海老蔵は、正式には、11代目市川海老蔵と言います。初代市川海老蔵まで遡ると時代は1660年ごろまで戻ることになります。時代は江戸時代、将軍は徳川家綱で、第4代将軍の時代なのです。それだけ、古い時代から受け継がれてきた市川家と屋号の成田屋。その歴史を振り返ります。
歌舞伎俳優の11代目市川海老蔵は、1977年12月6日生まれの39歳です。歌舞伎名跡『市川海老蔵』の当代です。一門・一家の特徴を基に家につけられる称号を意味する屋号は『成田屋』です。市川海老蔵の本名は本名は堀越寶世(宝世)と言います。読み方は『ほりこしたかとし』です。また、旧名は堀越孝俊と言います。
市川海老蔵てかっこいいよなー
— mariko (@mariyura) June 7, 2017
言うこともかっこいいよなー
市川家を代表する歌舞伎俳優であり、歌舞伎役者としてだけでなく、ドラマや映画の俳優としても非常に人気が高いです。妻はキャスターでタレントの小林麻央です。非常にオーラがあるため大きく見えますが、身長は176センチ、体重は80キロということです。
市川海老蔵を家系図から紐解く
ファンは市川海老蔵の家系図を見ると、市川海老蔵の歌舞伎をある人物と重ねて見るそうです。それは、市川海老蔵の祖父である11代目市川團十郎です。『海老さま』と言われた11代目市川團十郎。ある種、アイドル的な人気を誇った祖父と、市川海老蔵は重ねて見られているようです。
1977年に市川家に生まれた市川海老蔵。父は12代目市川團十郎です。1983年に歌舞伎座『源氏物語』春宮で初お目見得をしています。1985年に七代目市川新之助を襲名しています。学歴は、青山学院高等部から、堀越高等学校に編入し、そこを卒業しています。
祖父の11代目市川團十郎を超える人気を誇るようになるのは、2000年に歌舞伎座『源氏物語』の光君をつとめ、会場は連日満員になり、チケットは発売初日に完売したときでした。『平成の三之介』として、5代目尾上菊之助と2代目尾上辰之助として、平成の歌舞伎ブームの立役者になりました。
市川海老蔵と家系図と呪い①
市川家には、様々な呪いがあると言われています。それは、市川家が舞台に立つ歌舞伎座の呪いとも言われています。その市川家に降り掛かってきた様々な呪いについて紹介していきます。
日置明子『Rature 』
— saki-chan (@saki_chan721) May 29, 2017
『Shining Days Shining Blue』という曲がすきです♪ TMNの木根尚登さんプロデュースでした。 pic.twitter.com/jZhYtcHhj5
まず、市川海老蔵にとって初めてのスキャンダルは、2003年2月のことでした。歌手の日置明子との間に非嫡出子がいることが判明し、市川海老蔵は子供を認知していて、養育費を支払っていることが発覚しました。このスキャンダルが発覚し、市川海老蔵はその事実を認め、会見で説明することになりました。
市川海老蔵が日置明子と出会ったのは17歳、日置明子が21歳のときだったようで、その後、交際を続けて2001年ごろに妊娠が発覚して、出産に至ったようです。歌舞伎の世界では、こういった非嫡出子が居る歌舞伎俳優は多く、市川海老蔵が特別というわけではありませんが、あまり良いイメージではありませんよね。
市川海老蔵と家系図と呪い②
市川家の家系図を振り返ると、その長い歴史を知ることが出来ます。市川家は、歌舞伎座という場所で歌舞伎をしてきましたが、2010年4月に第4期の歌舞伎座が閉場し、取り壊されてから不幸が続いているといわれています。それが市川家、歌舞伎座の呪いと言われています。
市川家の家系図でとんでもない名前を見付けたwww pic.twitter.com/sUrvEyB9Xu
— 三船 (@Mif_ne) January 5, 2015
成田屋の屋号を持つ市川家。歌舞伎座を取り壊してすぐの、2010年11月に市川海老蔵は、東京の西麻布のバーで、顔を殴られ全治2ヶ月の大きな怪我を負っています。成田屋の人気歌舞伎役者の顔が傷つけられたこともあり、かなり大きなスキャンダルとなりました。
この怪我のせいで、市川海老蔵は、南座の顔見世興行に出演できなかったのです。このとき、市川海老蔵が行う予定だった演目『下郎売』は、市川家に代々受け継がれてきたものであり、演目の難易度も高いものでした。急遽、片岡愛之助が演じましたが、市川家の歯車がここから狂って行ったと言われています。
市川海老蔵と家系図と呪い③
市川海老蔵の父親である12代目市川團十郎。この市川團十郎にも、不幸が起きます。歌舞伎座の取り壊しから、少し経った2013年2月に、12代目市川團十郎が66歳で亡くなってしまったのです。
天才と言われた11代目市川團十郎の息子として生まれたのですが、父は56歳で他界しており、ほとんど自らの努力で、歌舞伎役者としての芸を磨いていきました。父の年齢を越えて、円熟期を迎えた12代目市川團十郎は、これからというときに白血病を発症し、治療を受けながら舞台に立ち続けていました。
妹から骨髄移植を受け、舞台に復帰、しかし、2013年2月に肺炎のためこの世を去りました。11代、12代とこれからという歌舞伎役者が亡くなったことは、市川家の呪いと噂されるようになりました。
市川海老蔵と家系図と呪い④
父は新しい歌舞伎座の姿を見ること無く亡くなり、市川海老蔵にとっては不幸なことが続く年が続きました。そういった中、市川海老蔵にとって、もっとも辛い出来事が起きてしまったのです、
市川海老蔵は、2009年11月19日に、フリーキャスターである小林麻央と交際中であることが発覚しました。そして、2010年1月29日に正式に婚約発表を行いました。2011年7月25日に第一子である長女が誕生、2013年3月22日に第二子である長男が誕生しました。
歌舞伎座俳優としてまさに公私共に新しい節目を迎えていた中、2016年6月市川海老蔵から辛い告白が行われました。それは、市川海老蔵の妻である小林麻央が乳がんを患っていることを告白したのです。当初は、妻が病気であることを隠して生活していたようです。
まだ子供も小さい中で、妻が闘病中であることが発覚し、世間もかなり困惑していましたよね。市川海老蔵が、そのことを発表するまで、まったくそういうことを感じさせないで生活していたことも驚きでした。歌舞伎座が取り壊されてから、様々な呪いが起きましたが、実はこの市川家の呪いは、もっと古い時代から因縁として残っているのです。
市川海老蔵と家系図と呪い⑤
実は、市川家の家系図を初代まで遡ると、なんと初代市川團十郎は、舞台上で刺殺されてしまっています。このように、市川家は初代から複雑な運命を背負っているんです。
また、7代目の市川團十郎も、歌舞伎俳優として贅沢な生活を送っていました。当時は天保の改革によって質素倹約が叫ばれている中でした。その贅沢な生活ぶりが幕府の目にとまって、7代目市川團十郎は、江戸の町から追放されてしまったのです。その後を継いだ8代目市川團十郎は、美男子で有名でしたが、旅先で自殺してしまったのです。
この突然の自殺はあまりにも謎が多く、偽と思われる遺書まで登場し、歌舞伎界最大のミステリーとも言われています。現在まで12代目まで市川團十郎が居ますが、このように数奇な運命に合っているのです。
市川海老蔵は13代目市川團十郎になるのか
父である12代目市川團十郎が亡くなって、現在は市川團十郎が空席になったままです。気になるのは、市川海老蔵がその後を継ぐかどうかということですよね。この問題は、市川團十郎が亡くなってすぐに噂が出ました。
現在、同じく由緒ある名前である勘三郎の名も空席が続いており、いつまでもそのままにしておくわけにはいかないと言われています。そのため、大きな区切りとなる12代目市川團十郎の七回忌、2019年に市川海老蔵が襲名することが噂されています。
2019年に13代目市川團十郎を襲名するのか
しかし、市川海老蔵の家系図からわかる様々な呪いと言われる出来事もあり、どのようなタイミングで襲名するかは、難しくなりますよね。特に、妻の病状もあり、襲名は通常以上に難しいものとなっています。
父である12代目市川團十郎のときの襲名は、歌舞伎座で3ヶ月公演の襲名披露を行っています。市川海老蔵の歌舞伎座俳優としての人気は高く、実際に襲名するとなれば、かなり大きな興行収入が望めます。それほど、名前の襲名というのは一大興行となるので、今後注目したいものです。
市川家の家系図に新しい名が連ねることに
「成田屋!」市川海老蔵が、舞台でキメのポーズをすると大きな合いの手が入ります。この成田屋という屋号を叫ぶ人も決まっているようで、歌舞伎という世界が長い歴史の中で、受け継がれている伝統的な文化であることがわかりますよね。
市川海老蔵の長男も、歌舞伎俳優として少しずつ稽古を受けているようです。市川海老蔵が市川家の呪いと言われるものに打ち勝って、13代目市川團十郎を襲名する日は近いと思います。歌舞伎役者としてもっとも脂が乗っているこの時期に、歴史の新しい1ページを作って欲しいですね。
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