井口資仁というロッテの選手をご存知でしたか?42歳まで現役を貫き、今年で引退することになりました。そんな井口資仁か来期はロッテの監督として再びユニフォームを着ることになりました!どんな采配をふるうのか楽しみですね。とりあえずこれまでの生き方など調べてみました。

井口資仁がロッテ新監督として就任!「新たな挑戦にわくわく」とコメントも!

目次

  1. 井口資仁の新たな挑戦へ
  2. 井口資仁のプロフィール
  3. 井口資仁ってどんな人?
  4. 井口資仁のデビュー~ダイエー時代
  5. 井口資仁のメジャーリーグ
  6. 井口資仁のロッテ入り
  7. 井口資仁の引退
  8. 井口資仁新監督就任!
  9. 井口資仁のスゴいところ
  10. 井口資仁の今後

井口資仁の新たな挑戦へ

ロッテ・マリーンズの井口資仁をご存知ですか?1997年のドラフト1位でダイエーホークスに入り、メジャーに挑戦。4年余りをメジャーリーグで過ごし、帰国後ロッテに入団した井口資仁です。そして、今季で引退し、来年からロッテ・マリーンズの監督に就任することになっています。そんな井口資仁について調べてみました。

井口資仁のプロフィール

本名 井口 忠仁
出身地 東京都田無市
生年月日 1974年12月4日
身長 178cm
体重 91kg
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手、遊撃手、一塁手
プロ入り 1996年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1997年5月3日
    MLB / 2005年4月4日
最終出場 NPB / 2017年9月24日
年俸 1億3,500万円(2017年)

井口資仁ってどんな人?

1974年12月4日、井口資仁は田無市、現在の西東京市で生まれました。小学校4年生の時に少年野球の「ビクトリー」に入り、その時は捕手として野球を始めます。それから中学校まで捕手を務めます。小学校5年の時に「保谷リトルクラブ」に移籍しますが、小学校と中学校でそれぞれ主将を務めます。

「守備の際に使用するレガースとプロテクターを着けるのが好きで、両親に買ってもらって喜んでいた一幕もありました。」と言います。国学院久我山高等学校では内野手に転向、ショートを守るようになります。2年の時3番ショートで全国大会に出場し、2年の秋から3年まで主将を務めます。しかし、全国大会出場はできませんでした。

その後、青山学院大学に進学し、全日本大学野球選手権大会で優勝し、また東都大学リーグで個人としても1番ショートとして出場し、「青い核弾頭」と呼ばれ、史上初の三冠王に輝き、また、リーグ記録のシーズン中に8本塁打を打ちました。

大学通算成績は101試合出場、打率.281を1996年ドラフト会議でダイエーに1位指名を受け、入団することになります。契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円で背番号「7」で念願のプロとして入団することになります。

井口資仁のデビュー~ダイエー時代

1997年、井口資仁はついにプロ野球の舞台に立つことになります。その際に自分と誓ったのは、2000本安打、大リーグの舞台に立つこと、そして40歳まで現役を続けることだったといいます。オープン戦で捻挫をした井口資仁は、開幕までに間に合わず、デビューは5月3日の対近鉄バファローズ戦で2番ショートとしてスタメンに名前を連ねました。

第一打席はなんとレフト前ヒットで、初打席初ヒットを記録します。そして迎えたその日の4回裏の3打席目、1アウト満塁の大きなチャンスに登場したのが自分でも落ち着いていたと話すルーキー井口資仁。2-1からの4球目、落ちなかったフォークをフルスイングし、レフトスタンド中段へ運びます。

外国人選手以外では初のデビュー戦初本塁打が満塁ホームランという快挙を達成しました。しかし、その後は低打率に苦しみ、2番から下位打線に起用されるようになりました。その後もシーズンを通して低打率で、下位打線を任されていたが、ここぞという時に打つという勝負強さを発揮し「恐怖の9番打者」と言われました。

4年目には.250を越えることなくシーズン途中で左肩を負傷し、手術受けるたため長く戦列を離れることになりました。この年、本名の「井口忠仁」から「井口資仁」に改めました。次の年、ショートからセカンドにコンバートし、島田コーチから「盗塁王」に目標にするようにという助言をもらいました。

打撃についてはこれまでの打法から、確実性のためバッティングフォームを変えてレギュラーシーズンを迎えます。この年は打率.261とそれほど高くはならなかったものの、史上3人目のシーズン30本塁打、44盗塁と盗塁王となりました。

加えて、当時のダイエーのクリンナップであった松中が36本塁打、小久保44本塁打、城島31本塁打を記録したことから、30本カルテットと言われました。2003年、開幕から3番に定着した井口資仁ですが、.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)でシーズンを終えました。

オフに入ると、ポスティングシステムでメジャーへ移籍するということを、球団と取り決めていましたが、小久保のジャイアンツへの移籍が決まったことで流れてしまう形になりました。しかし、球団側と井口資仁が自由契約になるということに関しては、選択権は井口資仁にあるという覚え書きを球団とかわしました。

2004年のシーズンは打率.333(リーグ4位)、24本塁打(リーグ14位)、89打点(リーグ7位)を終え、年末には高塚が部下への強制猥褻罪の容疑で逮捕されたために辞任したため、井口資仁は前年の覚え書きによって自由契約となり、メジャー挑戦に動き出したのです。

井口資仁のメジャーリーグ

メジャーリーグでの挑戦は、2005年のシーズンをメジャーリーグで過ごすことになった井口資仁はホワイトソックスと2年470万ドルで契約しました。4月4日の開幕戦であるインディアンス戦では2番・セカンドでスタメン入りしました。4月6日のインディアンス戦ではメジャー初安打を二塁打で記録し、また、盗塁も記録されました。

5月3日のロイヤルズ戦ではメジャー初本塁打を打ちました。その年の打率は.278で、特にホームでの試合は打率.304を記録しました。ポストシーズンでも、前年の王者のレッドソックスとの第2戦で3点のホームランを打ち、ホワイトソックスのワールドシリーズ制覇に大きく貢献しました。

後に井口資仁は自己犠牲を強いられることが多かったと言っていましたが、ギーエン監督の「今年のMVPは井口。井口みたいな野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇出来た」という言葉で救われたそうです。翌年、フィリーズのセカンドが骨折したため、急遽井口がトレードに出ることになりました。

しかし、骨折した選手が復帰すると同時に、代打要員となります。サードへのコンバートを勧められるが、井口資仁はそれを固辞してセカンドの選手を必要としている球団を探すと言っていたそうです。2007年12月18日、パドレスと1年契約を結びますが、シーズンに入ると絶不調で、さらに6月5日、走塁中に転倒して脱臼してしまい、6月6日に故障者リスト入りしてしまいました。

8月2日、ケガから復帰しますが痛めた右肩がうまくいかず、調子が上がらないまま、9月1日に解雇になってしまいました。

井口資仁のロッテ入り

2009年1月20日、年俸1億8000万円の3年契約で千葉ロッテマリーンズへの入団が決まりました。家族の生活環境とセカンドでやっていかれるということでが決め手になったようです。背番号は以前初芝がつけており、準永久欠番という状態になっていた「6」になりました。開幕戦から4番に座り、123試合出場し、打率.281、19本塁打を記録します。

2010年、井口資仁はトリプルスリー(打率3割、ホームラン30本、盗塁30以上を記録すること)を目標としていましたが、打率.294、ホームラン17本、2盗塁におわりました。一方チームは、レギュラーシーズンは3位に終わったものの。クライマックスシリーズ・日本シリーズともに勝ち抜け、日本一に輝きました。

井口資仁の引退

その日、井口資仁は6番DHと場内にアナウンスされ、スタンドは大きな歓声に包まれました。この9年間、チームを支え続けてきた一人の男の引退の日でした。そして、2点ビハインドで迎えた9回、無死1塁でまわってきたのは井口資仁でした。カウントは2-1、井口資仁が思い切って振り抜いた打球はバックスクリーン右へと飛び込みます。

一気に同点に追いつき、スタンドからは大歓声があがりました。過去、引退試合でホームランを打つということがあったでしょうか。しかも一番出てほしい場面で飛び出したのです。1997年の5月3日のプロ入り初試合で打った満塁ホームランと、引退試合での2ラン。まさに井口資仁の勝負強さが際立ちます。

井口資仁新監督就任!

2017年10月12日、ロッテは今シーズンを最後に引退する井口資仁が、来季の監督に就任し指揮を執るということで基本的に合意したと発表しました。日本人でメジャー経験のある選手が監督に就任するのは初めてのことです。

2017年10月14日に改めて就任会見を開くことになっています。選手としての野球人生は終わりますが、今後はコーチや監督という指導者に就任しての野球人生が始まります。指導者としてもぜひ挑戦する姿で頑張っていって欲しいですね。

井口資仁のスゴいところ

井口資仁の引退セレモニーで意外なことがありました。それは、メジャーに挑戦していた際に最初に行った球団である当時のホワイトソックスの監督、選手たちからのメッセージ動画が届いたことでした。今までメジャーに挑戦したい人々はたくさんいますが、そのように引退セレモニーにメッセージが贈られてくるということなど一度もありませんでした。

メッセージは当時の監督であったオジー・ギーエンや当時のチームメイトである名手ポール・コネルコ、ケニー・ウィリアムズ、ジェフ・ブラムといったメンバーたちでした。井口資仁がそれだけ愛されていたということでしょう。

また、日本球界においてももちろんたくさんの選手たちから愛されていました。ロッテの選手たち、鈴木大地、清田育宏など1軍選手たちはもちろん、2軍の選手たちもセレモニーに駆け付けました。井口資仁はどれだけの人たちに信頼され、愛されていたのでしょう。

井口資仁の今後

ここまで、井口資仁という一人の人間について調べてみました。井口資仁というのは真面目で実直に野球取り組んできたということがよくわかりました。今後のコーチや監督という指導者に就任しても、きっと井口資仁らしく真っ直ぐに生きていくのでしょう。これからも井口資仁という人間から目が離せませんね。


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