アントニオ猪木のあの名フレーズ「道」あの全文の隠された意味を知っていますか?また、あの道の本当の作者はアントニオ猪木ではないというのも知っていますか?アントニオ猪木が道という名言に込めた意味とはどのようなものだったのでしょうか。道の本当の意味に迫ります。

アントニオ猪木の道の全文!込められた本当の意味や作者について調査

目次

  1. アントニオ猪木の「道」の全文とその意味
  2. アントニオ猪木の道といえば
  3. アントニオ猪木の道の本当の作者は
  4. アントニオ猪木は道の本当の作者を勘違い
  5. 道を発表するまでのアントニオ猪木
  6. アントニオ猪木の道はまさに複雑
  7. アントニオ猪木のプロレス道
  8. プロレスラーとしての道を歩んだアントニオ猪木
  9. プロレス道を体現し続けたアントニオ猪木
  10. アントニオ猪木のその後の道
  11. アントニオ猪木の今後の道
  12. 共に歩んだ仲間と道を示した

アントニオ猪木の「道」の全文とその意味

プロレス界のスーパースターであるアントニオ猪木。そんなアントニオ猪木といえば、あの「道」という名言です。

みなさんは、あの道の全文を知っていますか。そしてあの道の作者は本当にアントニオ猪木なのでしょうか。そして、あの道に込められた本当の意味を紹介します。

アントニオ猪木の道といえば

アントニオ猪木の道といえば「「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一歩が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」というフレーズでおなじみですよね。

みなさんもアントニオ猪木のモノマネをするときに、この道のフレーズをマネることが多いかもしれません。しかし、アントニオ猪木のこの道の本当の意味はどういう意味なのでしょうか。

このアントニオ猪木の道の文章を解説すると、「迷っても仕方ないから、とにかくやってみよう」というのが結論です。

新しいことを始めるときに、失敗などを考えて新しい一歩を踏み出さないと、何も始まらないというわけです。とにかく、一歩を踏み出してみることで、その一歩を道になる。だから迷っても仕方ないから、とにかくやってみよう、というわけですね。

アントニオ猪木の道の本当の作者は

アントニオ猪木は自分の自伝の中で、本当の作者は自分で無いことを説明しています。それがあの「一休さん」でおなじみな「一休宗純」なんです。

アニメなどでおなじみな一休さんは実在する偉いお坊さんで、非常に型破りな人物でした。当時のお坊さんにはいろんな決まりがありました。しかし、一休さんこと一休宗純はそういう決まりをまったく守らない型破りなお坊さんでした。

お酒や女遊びが禁止されていたものの、そういった遊びが大好きだったようです。しかし、臨済宗大徳寺派のお坊さんとして歴史に名前を残しています。

アントニオ猪木は道の本当の作者を勘違い

と、ここまで説明しておいて、実はアントニオ猪木は道の本当の作者を勘違いしていたんです。道の意味は間違いではないのですが、道の本当の作者は別の人が作者だったんです。

道の本当の作者は、清沢哲夫という人物なんです。そして、道は清沢哲夫の「無常断章」という作品の中のフレーズなんです。

全文は多少違いがあるものの、アントニオ猪木がいつもつぶやく全文と大きく違いません。全文こそ違わないものの、その本当の作者を勘違いしているのは、なんともアントニオ猪木らしいといえますね。

道を発表するまでのアントニオ猪木

アントニオ猪木が道を発表するまでの経歴を改めて、振り返ってみましょう。アントニオ猪木は1943年2月20日生まれの74歳です。

アントニオ猪木の出生地は神奈川県横浜市鶴見区です。アントニオ猪木の本名は猪木寛至(いのきかんじ)という名前なんです。

プロレスラーとしてはもちろん、現在は政治家として、無所属クラブの参議院議員として2期目の活動もしていますね。日本プロレス時代のキャッチフレーズは「若獅子」で、新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」です。

アントニオ猪木の道はまさに複雑

アントニオ猪木は結婚していましたが現在は離婚しています。その元妻は女優の倍賞美津子です。倍賞美津子との間に娘さんが一人いるようですね。

また信仰している宗教は、1991年にイスラム教に改宗しているようで、イラクのシーア派の聖地カルバラーにてイスラム教に改宗したそうです。そのため、ムスリム名も持っており「モハメッド・フセイン」というムスリム名を持っているようです。

アントニオ猪木は5歳のときに父親を亡くしています。実家は石炭問屋だったようですが、第二次世界大戦後に、石炭から石油にエネルギー資源の中心が変わったことで倒産してしまったそうです。

そのため、アントニオ猪木の幼少期の生活は裕福とはいえないものだったようです。そして、13歳のときに、貧しい生活から抜け出すために、母親・祖父・兄弟とともにブラジルに移住します。当時はこういった選択をする日本人が何人も居たんです。

アントニオ猪木のプロレス道

そして、ブラジルのサンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしたようです。コーヒー豆の収穫などお、かなり厳しい労働環境で働いていたようです。

しかし、アントニオ猪木はそういった生活の中で身体が鍛えられたのか、陸上競技の選手として、砲丸投げの大会で優勝も経験しているのだとか。

そして、あの昭和の名スターである力道山に出会うことになるんです。力道山はブラジル遠征のため、ブラジルに訪れていたんです。そして、力道山はアントニオ猪木の噂を聞きつけ、直接スカウトして、アントニオ猪木とともに日本に帰国したんです。

プロレスラーとしての道を歩んだアントニオ猪木

アントニオ猪木は1960年9月30日に、本名でプロレスラーデビュー。アントニオ猪木と同日にデビューしたのが、あのジャイアント馬場なんです。二人のその後の数奇な運命は語るまでも無いかもしれません。

残念ながら、アントニオ猪木の初戦は対戦相手の大木金太郎に逆腕固めで敗北しています。その後、1962年11月9日に、アントニオ猪木はリングネームをアントニオ猪木に改名しました。このアントニオ猪木という名前は、先輩レスラーの豊登によるものです。

このアントニオ猪木という名前は、当時の名レスラーであった「アントニオ・ロッカ」という人物にあやかったという説があります。また、本当はブラジル帰りの日系ブラジル人ということを強調する意味もあったのだとか。

しかし、力道山はテレビドラマ「チャンピオン太」に出演したときのアントニオ猪木の役名「死神酋長」にしたかったと言われています。

プロレス道を体現し続けたアントニオ猪木

アントニオ猪木はその後も、自ら最前線で身体を張り続けプロレス道を体現し続けました。そして、1994年5月1日の試合終了後に、「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」として、引退への布石をスタートします。

そして、1998年4月4日に行われた東京ドームの試合で、ドン・フライと対戦し、グラウンドコブラツイストで勝利し有終の美を飾りました。

そして、この引退のときにリングで語ったのが「道」だったわけです。自らのプロレス人生は常に挑戦の連続だったことを、道の全文の中で語ったわけです。ジャイアント馬場はその他のプロレスラーたちとの確執を生み出しながらも、自らのプロレス道を突き進み続けたわけですね。

アントニオ猪木のその後の道

現役を引退しても、アントニオ猪木のプロレス道は終わったわけではありません。「UFO」や「PRIDE」など多くの団体のイベントにアントニオ猪木は登場して、盛り上げ役として活躍し続けました。

そんなアントニオ猪木は2002年には「Dynamite!」において、上空4000メートルからスカイダイビングに挑戦し、国立霞ヶ丘陸上競技場に着地するなど、型破りな自らの道を披露し続けました。

必ずしもすべての興行が成功したわけではなく、PRIDEとは絶縁、日本テレビ協賛の「イノキボンバイエ」でも興行は失敗し、格闘プロデュースからは事実上、手を引いた形になっています。

アントニオ猪木の今後の道

アントニオ猪木は2015年に「日本を元気にする会」という団体に参加して、最高顧問だったものの、2016年に代表の松田公太が辞任。その後、代表就任の噂が出たものの就任せず、2016年7月27日に団体は解散し、現在、政治家としては「無所属クラブ」に参加しています。

師匠である力道山が韓国と関係があったことや、韓国などでプロレスが高い人気を誇っていたこともあり、参議院議員時代の1994年に金容淳の招きで北朝鮮を訪問しています。

その後もアントニオ猪木は、政治家の道として北朝鮮とのパイプがある人物として、自らのやり方でその政治道を示しています。現在まで北朝鮮に30回以上訪朝しています。

そんなアントニオ猪木は、プロレス道として、2017年10月21日から生前葬を開催しました。兄弟2人が心臓の病で無くなったこともあり、自身の体調も最近は不調気味であることが理由だったようです。

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共に歩んだ仲間と道を示した

また、すでに亡くなっているジャイアント馬場から挑戦状を受けたとして、かつてのアントニオ猪木の懐かしいライバルたちを含めた多くのプロレスラーが参列する大きなプロレスイベントとなりました。

そこには、同じ道を歩んだスコット・ノートンやピーター・アーツ。そして、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シン、ドン・フライに藤原喜明が参列しました。

アントニオ猪木の「道」とそこに至るまでの経歴を紹介しました。自らの道を体当たりで示し続けたアントニオ猪木。自らの道に一つの区切りはつけたものの、まだまだアントニオ猪木の道は続いていくことでしょう。


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